徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    大晦日。

    おはようございます。 今日は12月31日の大晦日なので、いよいよ年の瀬も押し詰まった感が強く、新年を迎える準備に忙しいことと思います。

    今年も一年と言う月日の流れの中で、素敵なお客様に助けていただくことの多い一年でしたが、無事に過ごすことができて本当にありがとうございました。 アヤシイ?霊視カウンセラーで至らぬ点も多々ありますが、来年も引き続きよろしくお願い申し上げます。

    さて、大晦日とは旧年と新年の区切りの日であり、その日の夜を「除夜」「おおつごもり」「年越し」などと言いいました。 これは新年の神様である年神様が来るのを、寝ないで待つ日とされていたようです。

    元々、一日の境と言うのは日没でした。 その為、昔は日没になると同時に新年と言うことになっていたので、大晦日がくれるとともに新年と言うことになっていました。 つまり、除夜の鐘と言うのは新年を迎えて最初の行事だったのです。

    基本的に大晦日の夜は神社の境内で火を焚き、夜を徹して神主が罪や汚れを清める大祓えが行われていました。 寺院では午前零時を前にして除夜の鐘を突き始めて、年をまたいで108回鳴らします。 (なお、除夜の鐘は大晦日12月31日に107回⇒新年1月1日に1回鳴らすのが正式だそうです。)

    ちなみに、除夜の鐘を108回鳴らす意味は2つの説があります。

    一つ目は、中国で宋の時代から始まったもので、1年の暦「12ヶ月+24節気+72侯=108」と言う説があります。

    二つ目は、人間が「過去~現在~未来」にわたって持つ煩悩の数と言われています。 その108の煩悩を打ち払って、罪業の消滅を祈る為に行われます。

    また、大晦日と言えば多くの家で年越しそばを食べると思いますが、この風習はいつ頃からどうして始まったのか、答えられる人は余りいないと思います。

    始まりは江戸時代で、町人の間から始まり下級武士~老中~殿様と、下の身分から上の身分に上がっていったようです。 基本の意味は、「そばのように細く長く長寿であるように。」という願いが込められていると言われます。

    「それなら、うどんでもいいのでは?」と思われる人もいるでしょうが、確かにうどんでもいいのですが、そばの方が少し縁起が良いようです。

    昔は掃除機やモップがなかった為に、色々な物を掃除用具に代用していました。 特に金銀細工の職人さんたちは、少しの材料も無駄にはできないので人一倍掃除には気を使っていました。 実はそばでダンゴを作り、細かい金粉を集めるのに使っていたのです。 落ちている金粉をダンゴにくっ付けて集め、そのダンゴを焼いて金粉を取り出したのです。

    そういった理由で、「そばは、金を集める」と言われていたのです。 縁起かつぎではありますが、庶民のひそかな楽しみだったようです。 実際の所、大晦日にはそばダンゴを食べていたのに江戸から現代へと移り変わる時代の中で、いつの間にかそばになっていたのです。

    もうひとつ縁起物として、ネギがあります。 年越しそばの薬味ネギには意味があり、ネギの語源が元々「ねぐ」と言っていたことに関係します。 昔の言葉では「ねぐ=祈る」と言う意味だったので、ネギを添えることで更なる金運や長寿運を祈願すると言うことらしいです。

    運勢と掃除に密接な関係はありませんが、なんとなくと言うレベルの関係はあります。 それは色々な所や部分で掃除に関することが出てくるので、掃除をしている人と言うのは少なくとも運が悪いとは言えないのです。

    大晦日までに大掃除と言うのも、新年を新たな気持ちで迎えると言う意味では良いと思います。 たまには自分の部屋や仕事場を大掃除してみるのも、運勢を変えるにはいいのかもしれません。

    私は毎日大掃除のつもりでしているので、いつもと同じことしかしないと思います。 普段からしていれば年末と言えど、掃除をするのに力を入れることはないのです。 トイレ掃除をタマにしたくらいで運勢が良くなることはないのですが、常日頃から少しづつ掃除をしていれば、少なくとも悪いことは余り起こらなくなります。

    今年は、どんな一年でしたか?
    来年は、どんな年になると思いますか?
    あなたは今年の反省をして、素敵な来年になると思えていますか?

    今年一年、大変お世話になりました。

    来年もアヤシイ?霊視カウンセリングを、よろしくお願い申し上げます。

    あ(^○^)り(^。^)が(^∇^)と(^O^)う(^ー^)ノ

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    生まれる前のこと。

    今日は朝から冷や汗ものでしたが、ドジな私は天然ボケのような所が多々あります。 今朝は倉敷駅についてから、1月20日の東京出張のチケットを買いに行きました。 そして発券してもらいお金を支払うのに幸運のお札で支払うつもりでした。

    お札には幸運のお札と言って持っていると幸運なお札がありますが、コレの効力は手に入れてから2~3ヶ月くらいなので、財布にいつまでも入れないようにしています。 (一万円札や千円札など、どの種類でも100枚に2~3枚程度はあります。)

    そして窓口で、いざ払おうとすると財布の中にあるのは「千円札」です。 私は幸運のお札が「一万円札」だと思っていたのですが、財布の中にあるのは「千円札」でした。 それを見た瞬間に凍り付いて、「ひえぇ~、お金がない!」 どうしよう~どうしようと凄く慌てて、お客様へのお釣りに使う千円とか小銭とか全部だしてギリギリありましたが、朝からマヌケなことをして寝ぼけた頭がしゃんとしました…。 (汗)

    さて、今日のログは生まれる前のことについてです。

    時々ですが、お客様より良い質問だなぁと感心してしまうのが、自分が生まれる前の出来事について相談を受ける時です。 この世には「生まれてきた時から避けられぬ運命」と言うのがあるのですが、それは自分だけの力ではどうにもならない部分が、生まれつき備わっている部分です。

    運が良いとか悪いとかが、100%自分だけの責任ならば物事はとても簡単なのですが、そういうわけではありません。 この世に生命として誕生したこと自体が大いなるチャンスではありますが、スタートラインが個人個人で違うのは嘆いてみても仕方がありません。

    確かにお金持ちの家に生まれたなら、スタートした時点で先行することはできるけれど、「ウサギとカメ」のように怠けるウサギとなってしまうなら、最初のハンデは一気に縮まってしまうのです。 そして、良い思いをした分だけ苦しみが倍増してしまい、人生そのものを取り返しが付かないようになってしまうこともあります。

    私の場合を例に取ると、山崎家に生まれたことで父親の借金を負わされるのは、100%の確率(確定)です。 仮に誰かに、「霊視カウンセラーのくせに、避けられないのか!」 こう言われれば、「はい、無理です。」 私は素直に、こう言います。

    いくら未来を見ていても避けられない運命と言うのはあり、避けられないなら何とか耐えるとか、ほとぼりが冷めるまで待つとか、やり過ごすことも考えないといけないのです。

    例えば、郵政民営化により公務員の身分じゃなくなるからと言っても、郵政民営化になってしまう流れは止まらなかった。 それをナントカしようと思っても、今から10年位前に手を打っていれば民営化は避けられたかもしれないのですが、「大丈夫だろう。」とタカをくくっていたら、あれよあれよと言う間に進んでしまったのです。

    このように、人には止められない&避けられない運命と言うのがあり、私の父親が借金をすると言うのは、私の祖父母の教育に原因があるので、私が生まれる前のことなどコントロールできません。 お客様より親に関する相談を受けた時に「変えるのは難しい」という前提で霊視に入るのは、誰であろうとも生まれる前のことに責任は持てないからです。

    生まれる以前の運命は避けようがないし変えようがないので、山崎家の息子として生まれた以上は、借金を負わされるのは確定事項です。 なお、夜逃げした父が生きているかどうかは霊視を使わなくても私を勝手に保証人にしてお金を借りまくっている為、年に1回(決算期)は借金の催促状が届くので自動的に生存確認ができます…。 (苦笑)

    私の人生は生まれてきてから今までは、いじめや父の借金など苦労があったかもしれないけれど、現在は幸せだからそれで良いじゃないかと思えるようになりました。

    今の私は目が見えるし耳も聞こえるし、五体満足で自由に動けるし、毎日ご飯も食べることができる。 おまけに素敵なお客様に毎日出会えるのだから、これを幸せと呼ばずして何を幸せと言うのでしょうか?

    自分が生まれてきた人生とは、外界の状態や環境により決められているのではなく、習慣的に思い込んでいる自分の考え方により決まると思うのです。

    自分が不幸だと思えば「不幸。」
    自分が幸せだと思えば「幸せ。」

    思い込みとは自分の意思でやれる範囲のことであり、何事にも一生懸命に取り組み、やり遂げると言う強い決意を持つことだと思うのです。 夢や希望が叶わないのではなく、無理だと思い込んで手を出そうとしないから、運命が叶えてくれない場合もあります。

    否定されたり馬鹿にされたりして、自分の考えを変えてしまうのもひとつの生き方です。 しかし否定されても馬鹿にされても、決して妥協せずに自分の考えを貫き通すのも、信念として立派な生き方だと思うのです。

    運勢の良い悪いの差があるにせよ、自分がこの世に生まれてきた以上は、心を込めて何かをすると言うのが、人を喜ばせたり感動させたりすることがあれば、生きていく元気の源になると思うのです。

    運の存在を信じないよりは、運の存在を信じている方が幸せです。 その上に、「努力すればするほど運がついてくる」 こう信じられると、もっと幸せです。

    あなたは自分の運の強さを、信じることができますか?

    ( ̄ ̄ロ ̄ ̄;;)

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    じつは実話です。

    おはようございます。 昨日で仕事納めの人が多いと思いますが、私は相変わらず事務所にて霊視カウンセリングをしております。 1月1~2~3日の午後は空きがありますので、暇で可哀相な霊視カウンセラーまでお越し頂ければ幸いです。 (この書き出しの意味は、後半でわかります。)

    時間の経つのは早いもので移転して3週間が過ぎましたが、ここでのスケジュールは朝7時前に事務所へ入り、まずは掃除です。 事務所前の道路を清掃したり、トイレなど事務所内の清掃をして、これが約1時間かかります。

    そしてログの更新やお客様をお迎えする準備などをしていると、8時過ぎから事務所内で光のハーモニーが始まり心を癒してくれます。 (お見せできないのが残念ですが、白い基調にして大正解でした。)

    今はお客様ゼロの日があっても内装工事の続きをしたり、清掃やワックス掛けをしているので暇をもてあますことはありません。 アレしてコレしてと忙しいことばかりに感じてしまい、他のことにまで手を出す余裕がありません。

    注:このHPを製作してくれた白石さんがお正月バージョンのフォーマットを作ってくれていたのですが、中身を考える余裕がなく断念しました。 (かわいいデザインでした。)

    また、この事務所に来てから協力者してくれる人のありがたさが身に染みるのですが、平穏無事で本来の仕事に専念できるというのは、とてもありがたいことだと感謝しております。

    商店街時代には「掃除したからと言って、偉いわけじゃない」など、店の前を掃除しただけで文句を言われ、「看板が2ミリ出ているから、すぐに引っ込めろ」など煩く言われていましたが、ここではお互いが干渉しないので平和な毎日です。

    ただし、周りの人が優しいのにはもうひとつワケがあるのですが、それは私が「暇で可哀相な人」だからです。 人の見方と言うのは凄く差がでるものですが、世間一般の人から見た私は、「暇そうだけど、大丈夫か?」と見えているようです。

    私はこの場所をお借りする時に、不動産屋さんや大家さん&その親族など関係者の方々に、「日本全国から来るので、大丈夫です。」 こう言ってお借りしたのですが実際の所、全く信じてもらえていません。

    大家さんも気を使ってくれて、「山崎さん、駅前に天○屋がきたら少しは人通りができるから、がんばってやっていってください。」と会うたびに励まされています。 先日も不動産屋さんが、「山崎さん、お客さん来る?」と心配そうに様子を見にきてくれました。

    この場所はイオンができてからずっと空いていた場所で、借り手もなく大家さんも困っていた物件です。 (駅前は寂れる一方&店舗には駐車場もないなど、不利な条件ばかりです。)

    賃借契約の時もリフォームする時も、「山崎さん、看板を出せば少しは目立つから、正面に看板を取り付けてもいいよ。」と大家さんと不動産屋さんから言ってもらいました。 先日は家賃を払いに行ったのですが「山崎さん、無理せんでもえぇよ。」と、またまた優しいお言葉をかけていただきました。 (苦笑)

    実は周りの人々の見方は、「お客様がいるように見えないけれど、大丈夫だろうか?」と心配してくれているようです。 世間的には全くの無名で「あんた、だれ?」という感じなので仕方がないと思います。 おまけに事務所内は静かで物音ひとつ立てないし、私がお客様の送り迎えをして入り口近辺に姿を現すのは10秒前後なので、隣近所のお店からするとお客様ゼロに見えるらしいです。

    人には妬みや嫉妬など煩悩があり、それを消したり避けたりすることはできません。 しかし、「暇で可哀相な人」と思われている方が周りの嫌がらせもないので、目立たないお店作りは正解でした。

    何の世界でも冷静に考えてみると、本当のトップクラスと呼ばれる人達が広告や宣伝をして、目立つ看板なんかしないと思います。 私は未熟な3流以下かも知れませんが、志は1流を保ちトップクラスを目指して行きたいのです。 広告~宣伝~看板、こんなことにお金をかけるよりも、その分を寄付して誰かの役に立ててもらえば嬉しいです。 

    ここを目指してくる人にはわかりやすいのですが、何も知らずに通った場合は何のお店かわからないので無視して行く人がほとんどです。 中を覗いたりする人は居ませんし、基本的に誰もこちらを見ないので静かです。 外観や内装などお客様には好評なのですが、知らない人からすると「だいじょうぶかぁ~?」と心配らしいです。

    せっかくなので、そういうことにしておいた方が得策です。 家賃が払えないくらい暇なので、お客様のお越しをお待ちいたしております。 (今日のログはネタではなく、実は実話です。)

    人の見方と言うのはそれぞれあり、片方だけから見ていると真実を見落としてしまいます。 表だけ見ていると、その裏に隠された真実を見落としてしまい、チャンスを逃すかもしれません。

    あなたは目の前にあるものだけを見て、その中にある真実を見落としていませんか?

    く( ̄△ ̄)ノ がんばれぇ~!  e(^。^)9 ファイト!!

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    男性、読むべからず。

    おはようございます。 私のHPは意外と男性の方も見ておられるのですが、本日は反省する気持ちのない男性は読まない方がイイ内容です。 (自省なき男性は、読むべからず。)

    未成熟と言うのは果物やワインだけを言うのではなく、人間にも当てはまることでもあると思います。 日本社会では男尊女卑と言うのが脈々と受け継がれてきてはいるけれど、時代が男尊女卑を許さなくなりつつあるのに、それを守ろうとするから結婚しない女性が増えてきたと言う自省をしないといけないのです。

    人の上に立つ人は発言に注意しないといけないのですが、公的な人になるともっと気を付けないといけないのです。 しかし、日本は古来より農耕民族なので、村社会の考えからなかなか脱出できません。

    男性側の要求は高い水準を求めるのに、女性が高い水準を要求すると「わがまま」とか「女のくせに」など、わけのわからない言葉で責められるなんて割りが合わないし、筋の通らない話だと私個人は思います。 しかし、会社に行ってもわかると思いますが、男性と女性が同期入社ならば、実力の有無に関わらず男性の方が早く出世したり、給料やボーナスが上だったりします。

    これは男性が有利な状態でないと、女性に対して威厳が保てない。 つまり、実力で勝負したら男性が女性にコロッと負けてしまう、それが現実としてあるから保護しようと言う証明なのです。

    私は以前から不思議でしょうがないことのひとつに、「共働きなのに、家事は女性がする。」と言うのが理解できません。 同じように働いているのだから、手の空いた方が家事をすればイイと言うのが私の考えなのですが、会社員時代などお勤めをしている時にこれを言ったら「オマエは変だ。」と必ず言われました。

    例えばの話ですが、ある共働きの夫婦の日常を霊視で視るとこんな感じです。

    奥様が仕事帰りに買い物をして重い袋を提げて帰ってきたら、御主人はTVを見ながらくつろいでいる。 奥様はすぐに食事の支度をして、その合間に洗濯物を取り込んでお風呂の準備をして、御主人の世話と家事に追いまくられる。

    そして一通りのことが終わって、「やれやれ、ひとやすみできる…。」 こう思って座ろうとしたら、「おい、コーヒー入れてくれ。」 奥様も疲れているから、「ごめん、自分で入れてくれる?」 つい、ヒトコト言ってしまうと「オマエって、優しさが感じられないよな!」 こういう思いやりのかけらもない男性中心の台詞が向けられるのが、日本の結婚生活なのです。

    これが相手側の家族と同居になると、更に男尊女卑の考え方が酷くなります。 仕事から帰ってきて家事をして、子育てや姑との関係に気を使いながら、自分のことにまで気が回らなくなると、「最近のオマエはおしゃれのひとつもしないから、女を感じないなぁ~。」 こんな馬鹿な台詞を吐く御主人に、悲しさと切なさを感じてしまう現実があります。

    それじゃあと、おしゃれに気を使い女の部分を磨いていると、「お袋の味も作れずに惣菜ばかり買ってきて、少しは家のことをしろよ!」 なんて言われる羽目になります。

    こうなると、もうあきらめにも似た感じで良妻賢母で御主人に従順で、常に家にいるようにして御主人の望むままにしていたらどうなるかと言えば、「俺は外で仕事をして大変だけど、オマエは家にいて世間のことを何も知らずに楽でいいよな。」 こういう感じで見下されてしまうのが、男尊女卑で村社会における結婚生活なのです。

    これは男性側の永遠に続く要求に答え続けないと、「ダメ嫁」のレッテルを貼られてしまうことになるのです。 しかし、室町時代や江戸時代じゃないので、いつまでもこんなことが続くわけがないのです。 そんなことが何世代も続いてきたから結婚に対して用心深くなり、独身でいる方が「気が楽」と言う女性が増えてきたのです。

    それなのに、「独身女性が多いから日本はダメになる」なんてことを言う輩がいるのは、男性の方に世間知らずが多いということなのです。

    現代社会で女性の見る目は厳しくなったというよりも、手抜きしている男性を許せなくなったと言うのが正しいと思うのです。 肩書きや地位は立派なのですが、言っている中身の薄っぺらさに呆れているのです。

    包装紙はいいのだけれど中身は空っぽと言う男性は、「大したことない。」と見抜かれているのです。 それに応じた内容で対応されるとプライドが傷ついて、「女のくせに生意気だ」とか「女がわがまま言うんじゃない」など、いつの時代の~どこの村の話?となります。

    男女共同参画や男女同権の話を50代以上の人にしてみれば、返ってくる言葉は決まりきっています。 「わがまま言うな」「女は結婚して子供を産め」「女は楽せず、文句を言わないのが筋だ」 こんな内容のボキャブラリーしか、存在してないのです。

    未成熟な人間と言うのは、「ありがとう」のヒトコトが言えないし理解できないのです。

    奥様が毎日家事をしてくれているのに、ありがとうと言えないのは精神が子供だからです。 「いつも一緒にいるんだから、言わなくてもわかるだろう!」 もしもこんな気持ちがあるのなら、私はそんな御主人や彼に聞きたいことがあります。

    「あなたは、エスパーですか?」

    何も言わなくても理解しろと言うのなら、会社の上司や同僚に同じことを言ってください。 会社でいつも一緒にいるんだから、何も言わなくても仕事がスムーズに行くはずです。 しかし、その割りには「あいつは何もわかっていない」とか「何で俺のやり方を認めないんだ」などと奥様に愚痴っている日常は、それこそ理解不能です。

    年の瀬が近づいているので一年の反省の意味を込めて、奥様に感謝の気持ちを表してあげてもいいと思います。

    あなたは「ありがとう」と言うヒトコトの意味を、本当に理解できていますか?

    ブンブン ヾヾ(^-^) ありがとぉ~♪

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    来年こそ。

    今年こそは恋愛したい~今年こそは結婚したい、年の初めにはこう思っていたけれども、年の瀬が近づくと「来年こそは…。」 このように目標や内容が変わってくると思います。 夢や目標は進む過程において必ず叶うものではないし、恋愛や結婚についても相手があることなので自分の思惑だけでは進みません。

    良い恋愛をしたいと思うのなら良い相手と巡り合わないとまず無理なのですが、その良い相手とは何を指して良い相手と言うのかは意見の分かれるところです。

    こればっかりは人によって分かれるのは仕方がないのですが、イケメンや高収入~家柄や跡継ぎの為の養子など、人により結婚に求める条件は違います。 また、自分の意見ではなく親や親戚などの意見を重要視して、自分が好きな人ではなく周りが好きな人と結婚する人も後を絶ちません。 ただし、こういう条件で結婚する人が良いかと言えば、その後の生活を見るとそうでもないのがわかります。

    幸せとか不幸せとか、それは自分が決めること。

    人から見て羨ましいほどに見えても内情はそうでもなく、嫁姑バトルや御主人の浮気や暴力などさまざまな要因で時を過ごしていかなければならない。 そんな耐える結婚がどれほど多いかは、私が言わなくても離婚件数が証明してくれています。 3組に1組が離婚していると言うのは、もはや正常な結婚が行われていないと言ってもおかしくないのです。

    良い相手と巡り合いたいのなら、まず自分の理想の男性を決めることです。

    ただし、理想の男性を決めるだけで出会えたなら苦労はないのですが、理想の男性と出会う為にはひとつの法則のようなものがあります。 私は色々な女性や男性、ひいては夫婦も数限りなく見ていますが、仲の良い夫婦には共通点のような相通じるものがあるようです。

    恋愛の形は人により違うものでもあり共通するものでもあり、不思議な関係のスパイスとも言うべき、多種多様なスタイルが存在しています。

    自分が好いと思っていても人が口を挟む恋愛と言うのは、周りから見て上手く行っていないか~もしくは上手く行きそうにないから、周りが止めたり口を挟んだりするのです。 本人は好いと思って付き合っているか、好くないけれど離れられないと思って付き合っているか、どちらにせよ「本人の意思で離れない」と言う原則を忘れて周りが助言しても無駄なのです。

    世間では「男運」と言う言葉がありますが、これについては良い悪いは存在しません。 そこにあるのは「選択眼」が良いか悪いかだけなのです。 自分の選択眼を駆使して良い相手を見分けないと、それはだめんずへの道をまっしぐらに進むことになります。

    一時期「独身は負け犬」と呼ばれていましたが、それはあくまでTVや雑誌などのマスメディアがおもしろおかしく名づけただけであり実際は全然違います。 いくら彼がいるとか結婚しているとか言ったところで、その生活がどういう状況なのかが重要なのです。 浮気~借金~暴力~その他諸々の状況にあるのに、「私は幸せ!」と言い切れる人はいないと思います。

    未来は選択次第なので、一概にこれが正解と言うのはありませんが、その内容について考えることはできます。 そして考えることにより、その選択肢の幅を広げて見方が変わるかもしれないのです。

    ①:結婚したはいいけれど、浮気~借金~暴力の3点セットに加えて嫁姑の関係~親戚や近所の付き合いなどがあり、その上に親の介護や子育てとボロボロになり、ついには離婚して貰った慰謝料が200~300万円だった。

    ②:独身で彼はいないし結婚の予定もないけれど、ひとりなので時間は自由に使えるし、貯金して将来に備えているのでお金の不安も余りない。

    ①と②は両極端な例ですが、「結婚=幸せ」としたいのなら「良い相手」を選ぶことが一番必要なことであり、そこにはイケメンも収入も関係ないのです。 もしも、だめんずになりたくない⇒恋愛の勝者になりたい、こう思うのならば恋愛に対するスタンスを変える必要があります。

    男性に浮気されても許す、「寛容」
    何でも言うことを聞く、「従順」
    自分を頼らせる、「依存」

    この「寛容~従順~依存」の3点セットを揃えた女性になったなら、それは「だめんず」への道に嵌まっていると考えた方がいいかもしれません。

    人は生きている以上は誰もが幸せを手に入れる権利はあるのですが、その義務を遂行しないからダメになることも多いのです。 良い恋愛における義務とは、自分が花となりミツバチのごとく相手を引き寄せる為の蜜の部分です。 甘いだけなく栄養価として自分も相手も成長できるように、中身が濃くなければならないのです。

    素敵なあなたが身に付けるべきなのは品格溢れる行いができると言う、人間としての部分だと思うのです。

    あなたは来年こそ、良い恋愛ができるようにしたいと思いませんか?

    ぴーす♪ (#^ー°)v

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    上手く負ける。

    はるか遠くに見えていても、自分が進んでいるといつのまにか近づいてくるのが目標です。 上手く行かない時には止めてしまいたくなるけれど、スポーツでも勉強でも最初から上手く行くなんてありえません。

    何度も何度も失敗を重ねながら、自分のものにしていくのが普通です。 会社経営やお店の経営も同じように最初から上手く行くわけがないのですが、上手い失敗と言うのはあります。

    傷口を広げずに最小の怪我で済ませて、完治したら大きく成功させると言う失敗を財産にするのなら、いくら失敗しても復活のチャンスはあります。 それをするのにヒトコトで簡単に言うなら「上手く負けること。」 これに尽きるのです。

    今と言う時間の中で勝った負けたと言っても、未来においてはどうなるかわからないので、現時点においての勝ち負けは意味がないのです。

    基本的に事業を起こすに当たって、才能とか~資金とか~技術とか、小手先&目先のことなど余り関係ないのです。 成功する人は成功する運命に助けてもらいながら努力しているし、失敗する人は失敗する運命におだてられながら図に乗っているだけなのです。 しかし、物事はやってみないとわからないから、失敗を活かせるならいくらでもやり直せると思って挑戦するのが、運命にとっても応援しがいがあると思うのです。

    9回負けても10回目に勝利すれば、それで充分だと考えると気が楽になります。 ただし、最後に勝つと言うのが大勝ちになるのと~トントンになったのと~赤字を最小限にできた場合など、どれくらいの勝ちで終わるかの差は歴然としたものがあります。

    では、大勝ちで終わる為の入り口に立つ条件とは何かを、アヤシイ?霊視カウンセラー的な見方で感じたことを並べてみたいと思います。 ただし、これは自営業をしている人にだけ通じるものではなく、全般的に言えることだと思います。

    ①,まず注意しなければならないのが、自分で経営すると言う点です。 誰かを当てにして経営したり、人任せにしないこと。 例えば、ビルにテナントが入るのを当てにしてお店を出すようでは、「お店本来の実力は…?」と言うことになります。

    ②,お客様に必要とされる経営をすることで、私利私欲で経営していると誰にも相手にされなくなります。 自分が生活できるなら、それ以上のお金は従業員の給料を上げるとか、どこかに寄付するとか、全体を見て行動するのも大切です。

    ③,時間を守る&約束を守る。 お客様と約束したことや時間は必ず守るというのが、信用につながります。 特に時間が守れない人は経営自体をあきらめて、借金などの失敗を味わう前に止めといた方が無難です。

    ④,経営責任は全て経営者にあり、「失敗は自分のせい」で「成功はお客様のおかげ」と「従業員の働きのおかげ」など、自分の実力ではないと思うことです。 成功を自分の手柄にしたい人は、一時的にはいいのですが経営者として長続きはしないと思います。

    ⑤,失敗した原因を見ないようにして、今度がんばればイイヤと責任を置き去りにしないことです。 失敗しても原因を追究せずに「まぁ、いいや。」で済ませると、次も同じミスをしてしまいます。

    ⑥,経営理念を立てて、会社に公共性を持たせて、会社人でなく社会人としての集団になれるかを考えることです。 仕事をする上で仕事ができるのは当たり前のことですが、それに加えて人間としての魅力をもたせるようにしないと、誰にも相手にされなくなります。

    ⑦,今と言う現状に満足せずに、常に新しいアイディアを打ち出して、他との差別化を目指せるかどうかです。 自分が一番と「高いプライドを安く売りさばく」ような真似をしていると、自信過剰と言う名の嵐が不況と言う波で根こそぎ会社をさらっていきます。

    ⑧,経営とは協力者が周りにいるかどうかであり、お金だけのつながりになっていないかの確認と、自分のスタイルの正否を明確にすることです。 自分は○○で~取引先は一流ばかりで~、こんなことばかり行っていると誰にも相手にされなくなります。 プライドが高い人に、協力者はできにくいのです。

    ⑨,やる前からあきらめて、できっこないとやらずに終わることはダメです。 物事はやってみないとわからないし、1%しか可能性が無いと考えるよりも、1%でも可能性があればやり続けるというのもひとつの考え方です。

    ⑩,自分の会社やお店をよく見ること、そして人材や商品(製品や技術)に自信と誇りを持つようにすることです。 経営者が自分の会社の人材や商品を褒めることができないのに、何でお客様がひいきにしてくれることがあるでしょう?

    私は経営者と名が付く人には厳しいことを言いますが、それは会社やお店が潰れたら不幸になる人が大勢いると言うのをわかっていないとダメだからです。 自分のところで働いてもらっている社員の方々には、理屈を言う前に給料もボーナスも目一杯出してあげる方が先決です。 そして「会社の為なら自分はどうなってもいい。」と言う社員の方々に囲まれるようにならないと、経営者として胸をはれないと思います。

    見栄っ張りなプライドの高い経営者によくいるのですが、社内にスポーツジムを作ったり、おしゃれなバーを作ったり、果ては別荘まで作ったりしていますが、「うちは福利厚生にはお金をかけて、社員の為に尽くしています。」 こんなことを言う前に給料とボーナスをしっかりと出してから言いましょう。 社内の福利厚生施設は社長が社外や世間の人に対してミエをはる為であり、社員の方々がどれだけ喜んでいるか真実を知らないといけないのです。

    社内で無記名アンケートを取ってみれば理解できるはずですが、「給料&ボーナスをしっかりと出す」⇔「社長が気に入った社内施設を充実させる」 この2つのうちどちらが本当に社員の為になるのか、自分の考えを修正しないと会社の未来はないのです。

    経営を例にとりましたが、仕事以外のプライベート(恋愛や友人関係など)でも使える内容が多いと思います。

    あなたは自分なりのルールを作り、そして守ることができていますか?

    ( ̄~ ̄;)??

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    芯のある人。

    人に好かれたいか?嫌われたいか?と問えば、ほぼ全員が好かれたいと答えると思いますが、人間関係において全員に好かれることは不可能です。

    自己啓発本などによく書いてあるのが、相手を引き付ける為には「ミステリアスな人と言われたり~奥の深いつかめない人」と言われるよう行動せよと載っています。 単純に言えば、相手に尻尾をつかませないようにして興味を引くと言うことらしいのですが、このタイプでいくと一時的にはいいのですが、その後が続かないのが難点です。

    人は基本的にわかりやすい方が好みで、わかりにくいのは余り好きではないのです。 「シンプル イズ ベスト」と言う言葉があるように、わかりやすい物がヒット商品になるように、明確でない難解な物は一部のマニアにしか受けないことが多いのです。 (数学や物理学でもフィボナッチ数列などは単純明快だから、取っ掛かり易いです。)

    わかりやすい人間と言うのは人の共感を得やすく、その結果において好印象を残すのは単純明快で理解しやすいからです。 わかりやすいと言うのは芯のある人と言うことで、女性であろうと男性であろうと、自分の生き方や信念によってくる&共感してくれる人を好きにならないはずは無いのです。 (共鳴や共感というのが、一番信頼を得ることになります。)

    例え、見せ掛けのテクニックで人付き合いを作り上げたとしても、そこから先は何も無い場合が多いのは、見せ掛けで作り上げた関係などそこまでの関係と言うことです。

    はっきりとした自分の意見や個性を持っていて、どんな状況になろうともうろたえずに落ち着いて行動できる人を目の前にすると、凄いとか素敵とかのように敬意を表してしまうものです。 そして、そういう人が強がりもせず自慢もせず、かと言って卑屈になるわけでもなく自然体でいたなら、胸の奥に秘めた自信を感じてしまうと思います。

    そこにあるのはミステリアスとか尻尾をつかませない行動ではなく、簡明な美学とも呼ぶべき自分のルールを持っているのです。

    そのルールとは人により違うと思いますが、例えるならば「言い訳や弁解はしない」とか「物事を素直に受け入れる潔さ」など、ここ一番におけるすがすがしさと言うのを持っている人ではないかと思います。

    そういう人と人間関係を作り上げる時には余計な駆け引きがいらないので、言葉や表情にある裏側を読む必要もありません。 そんなつまらないことにエネルギーを使わなくてもいいから、気持ちの良い関係が築いて行けます。 極論ではありますが人間関係を突き詰めていけば、基本的には一緒に居て心地好いかどうかが全てです。

    それにわかりやすい人と言うのは裏表が無く、目の前における言動や行動を信じていいんです。 本当はどうなのかとやきもきするよりも、目の前で起こったことを信用するというシンプルさに対して、好感を持たない人は余りいないと思うのです。

    地位や収入により態度を変える人、居場所や自分の立場が変われば態度が変わる人、こういう人達といれば表向きはニコニコしていても、心の奥底では好きにはなれない自分が居るはずです。 それは仕事であろうと個人的なことであろうと、芯からの信頼感が無いからです。

    自分に対しても他人に対しても分け隔てなく明確に態度を表すと言うのは、わかりやすさのあるすっきりとした人しか生み出せないのです。 ここでそうなるにはどうすればいいのかと言う問いに対する答えは、「芯」があるかどうかだと思うのです。

    例えるならば、自分の中にあるこれだけは譲れないと言う部分を守りきれるかどうか。 それは生きぬく覚悟にも似た人生の原則なのです。

    男性上司(団塊の世代含む)によくいるのですが、調子付けばどこまでも付け上がり~小さなピンチでもうろたえてしまう。 権威をカサに来て威張りちらし、いつも自分より上の人間の顔色を伺い、状況報告により態度を変えてしまうような、裏表がありわかりにくい男性。 これを上司として敬わなければならないのが、今の日本の現状であり低迷を脱出できない原因でもあります。

    本人は世渡り上手のつもりなんでしょうが、余りにも日和見的でひ弱な生き方しかできないのだから、支えがないととたんに倒れてしまう生き方しか示せないのです。

    芯のある人と言うのは、行動そのものが美しいと言うのもあります。 マナーや礼儀と言うのはもちろんのこと、そのなにげない仕草の中にも気品溢れる穏やかさみたいなものが在り、同じ空の下にいても状況変化により差がないのです。

    仕事をしていても、冷静に判断できる上司とパニックになる上司だと、どちらがいいかといえば前者です。 行動が美しいと言うのは周囲に安心感のような雰囲気を漂わせて、何があっても何とかしてくれるというような、落ち着きが出てくるのです。

    不幸にも変な上司に当たってしまったなら部署移動や配置変換などのチャンスを待ち、しばらく我慢していることです。 まともな会社ならば変な上司に対して、キチンと対処できるはずなので、それまでの辛抱です。 そんな簡単なことすらわからないような会社なら、こちらからさっさと辞めてしまった方があなたの未来の為なのです。 

    あなたの中には、芯となるものがきちんと存在していますか?

    \( ^o)( ^ 0 ^ )(o^ )/ ありがとう♪

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    サンタさんのプレゼント。

    今日は「クリスマス・イブ」ですが、本来は「クリスマスの前夜」と言う意味があります。 なお、「イブ」とはevening(夜や晩)と同義語のevenの語末音が消失したものです。 しかし、現代では前夜ではなく12月24日全体をクリスマス・イブと呼んでいることが多いです。 23日をクリスマス・イブイブと言うのは日本独特の表現であり、他国で使用されることはありません。

    今日は気分的にハイとローに分かれる人が多い日かもしれませんが、人である以上は落ち込んだりウキウキしたりというテンションの差はあります。 それも自分にとっての願いが叶うかどうかなど夢や目標が掛かっている時は、更にその度合いが大きくなります。 そんな時には、一喜一憂しないで落ち着くことですが、目標が揺らいでも見失わないことが大切なのです。

    例えば、灯台の明かりはついたり消えたりして、遠目には不安定な状態に見えるかもしれませんが、軸はぶれずに同じ場所に立ち続けています。 風が吹こうと~波が荒かろうと、常に航海の安全を守り続けています。 しかし、いつもいつも荒い気象条件ばかりでなく、時には澄み渡る星空の下で恋人達の距離を縮めたりもしています。

    光の場所が変わらない以上、見えたり見えなかったりと表面上は変わり続けても、最後にはその場所にたどり着くことができるのです。 

    人はパンだけでは生きていけないし、夢だけでも生きていけない。 よく言われる言葉ですが、いくら一生懸命にしていても心の張りがなくなる時はあります。 自分では努力しているつもりでも、どうしても違う方向へ進んでしまう時だってあります。 そんなもどかしさは誰でも感じた事はありますが、それはイライラやヤル気の減少と言う事態を引き起こします。

    あなたが夢に向かって航海をしていて荒波に飲み込まれそうになった時に、灯台の光を見ると揺ら揺らと揺れ動いて見えます。 しかし、それは灯台の明かりが揺れ動いているのではなく、自分が揺れ動いているだけなのです。

    目標と言うのは決して揺れ動いたりはしないのですが、自分の方が揺れ動いているだけなのです。 そんな時は不安になって進路を変更しようとするかもしれませんが、その進路変更が正しいとは限りません。 目標は動いていないのに、あなたの方が動いて進路変更したら、行き先(ゴール)は違ってきて当たり前なのです。

    人は弱い生き物ですから自信が揺らいでくると、自分の進んでいる道は正しいのかどうかすらわからなくなります。 でも、肝心の目標を見失わなければ、いつかは必ずたどり着けるのです。

    イブが過ぎてクリスマスになるとサンタさんがプレゼントを運んでくるのですが、強く願うと同時に努力している人の元へは、もうひとつのプレゼントが届くのかもしれません。

    あるところに、ピアノが大好きな女の子がいます。 生まれてきてから、身近な所にオルガンがあったのも幸いして、いつも学校から帰ってきた時やお留守番の時などは弾いていました。 (そして、オルガンからピアノへと弾く対象が変わりました。)

    嫌なことがあっても辛いことがあっても、ピアノの前に向かうと苦しい気持ちは無くなって、心がウキウキと楽しくなってきていました。 少女は本当にピアノが大好きで、「いつか自分の演奏で、みんなを感動させることができたらイイなぁ~。」 自分だけでなく、人にも勇気や力を与える演奏をいつの間にか目指すようになっていました。

    そして16歳になった彼女は、アメリカで開かれたピアノ演奏会に挑みましたが、その舞台とはニューヨークにある国連本部です。 その演奏会で彼女が弾いた曲は、プロコフィエフの「ピアノソナタ第2番ニ短調第4楽章」です。 それを聞いた観客は、素晴らしい演奏だと惜しみない拍手を送りました。

    実は彼女は、末端低形成症により左手の2、3、4の指が無く、親指と小指しかありません。 ピアノを弾いたことがある人ならばわかると思いますが、ピアノの演奏曲は4~5ヶ所同時に鍵盤を押さえないと弾けないものも多いのですが、彼女は人並みはずれた努力によりそれを可能にしています。

    4ヶ所同時に押さえないといけない場合は、まず2ヶ所を押しておいて瞬時に次の2ヶ所に移動して、人の耳では聞き分けられない誤差の範囲内で指を動かしています。 これは人知を超えたスピードであり、人の能力では不可能に近い通常ではありえない動きです。

    彼女は自分がハンディを持っていると言うことを、ピアノ演奏が上手くできなかった時の言い訳にはしていません。 「他の誰かを見た時に、もっと頑張らなきゃなって思う。」 このヒトコトが彼女の生き様を示していると思います。 将来は音楽関係の仕事に就きたいという彼女の希望は、きっと叶うと思います。 (サンタさんも彼女のことを、応援したくなるはず…。)

    それは大好きな音楽とともに、これから先の人生にチャレンジし続けていくからです。

    注:残念ながら、ピアノ演奏者の間では障害者に対する理解が充分ではなく、ピアノ教室のイメージを気にして障害者が習いに来るのを拒否する教室や先生も多いそうです。

    揺らぐのは目標ではなく人の方だから、叶わない夢や目標が出てくるのです。

    あなたの目標は揺らいでいないのですが、あなた自身は揺らいでいませんか?

    (=^0^=)v

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    姓名判断。

    おはようございます。 岡山は水不足で第一次取水制限が出ていたのですが、昨日の雨で少しは潤ったと思います。 今回も今日気が付いたのですが、世の中は3連休でしかもクリスマスが来ると言うのをすっかり忘れていました。 年末に向けて忙しい方も多いと思いますが、体調などには気をつけて楽しい年末年始をお迎えくださいね。

    私は今年も無事に過ごせて、なおかつ新事務所へ無事に移転できたので、少し早いけれどマザーの関連施設へ寄付しようと思いました。 年末なので少し早めにしておけば、施設の方も助かるだろうと思い現状で出来るだけの金額を送ろうと用意していました。 ところが先日電話で寄付の神様とN市のIさんのお二人と話をしていて、自分の自惚れと未熟さに恥ずかしくなりました。

    今の私の現状では結構な金額だと思って満足していたら、「N市のIさんは私の約7倍、寄付の神様は私の約20倍」の金額を寄付する予定なのを聞いて、一気に凹んでしまいました。 (まだまだ私は修行が足りませんので、今後も努力してまいります。)

    ここでも度々、アヤシイ?霊視カウンセラーと名乗っているのは、世間では認められない分野なので図に乗ってはいけないと反省の意味で書いています。 最近のTVなどでヒーリング&スピリチュアルに関することで横浜の方が騒がしいようですが、名前や生年月日や住所を聞くようでは霊視ではないというのを覚えておかれると、騙されることはないと思います。

    ただし、こればっかりは実際に体験してみないと、霊視がどういうものかはわかりづらいと思います。 スピリチュアルでもヒーリングでも霊視でも、名前や生年月日や住所を聞いた時点で普通の占いだと思った方が無難かも…?

    その他にも女性誌などの占い特集で、つい姓名判断をしてしまい自分の画数が気になってしまう、そんなお客様もいらっしゃるようなので姓名判断について解説して見たいと思います。

    自分の名前を書くことは生まれてから何度となくあり、それを疑問に思う人はいません。 自分の名前はどうして付けられたのかを親に聞いている人はいるでしょうが、それも父が付けた~母が付けた、お坊さんがつけたとか占い師がつけたとか、色々なパターンがあると思います。

    ただし、名前だけで運勢が劇的に変わるなんてありえないので、自分の気にいっている名前が一番よく、親が子供に一番最初にプレゼントできるのが名前なのです。 余りに変わった名前をつけるのはお勧めできませんが、そうでないなら画数などを余り気にせずに決めて良いと思います。

    親が姓名判断を気にする余り、その名前を付けてしまって後悔するのは子供の方と言う場合もあるのです。 私が名前を頼まれた場合は霊視で視るのですが、基本的な姓名判断による解説もつけます。 それはサービスの意味合いもあるのですが、画数で解説する場合と霊視で視る場合はどれぐらいの違いがあるのか?と言う比較の意味合いもあります。

    私が赤ちゃんの名前を頼まれた場合は親にいくつか考えてもらい、その中で「この名前ならこういう未来があります。」という感じでお答えしていきます。

    子供の名前を付けるのは親の楽しみであり、それは親子の間にしかわかりえない世界でもあるからです。 3~4個考えてもらい、その名前ではどうなっているのか未来を追いかけていき、それを解説します。 そして、参考意見として「こういう名前も良いと思います。」と、一個考えてお渡ししています。 それを吟味して親が選んで付けるのが、一番いいのではないかと思います。

    注:お店や会社の名前も同じような感じで、基本的にはオーナーの意見が最優先です。

    まず、子供の名前を付ける場合は、余りにも変わった名前を付けないのが人間としての基本です。 例えば、日本人に「クロマティ」とか、「ガクト」とか、もう少し真面目に付けてくださいと思うのですが、その肝心の親が真面目に考えてこれだったりします。

    基本的に日本人なら、日本人の名前(和名)を付けるのが運命を壊さない為には良いのです。 前世がどうのとか先祖の因縁がどうのとか言うわりには、日本人なのに洋名をつける人が多いのですが、日本人なら日本のルーツにおける名前を考えてやらないと、自分の人生ではなく子供の人生なのです。

    国際社会に向けて外国の人でも読めるような名前を付けるのは、とても素敵だと思うのですが、成功している人の名前を見るとほとんどが普通の名前が多いと思います。 名前に凝っている人の方が、世に出ている率が少ないのは姓名判断の矛盾です。

    注:芸能人の「猫ひろし」は「舘ひろし」の対義語としてつけたらしいのですが、洒落が効いてはいるけれど、この意味をここで詳しく解説するのは人として問題になるので、知りたい人は個別に聞いてくださいね。

    これはあくまでひとつの例ですが、「近藤 向」と「真谷 茂」 この2つの名前は、ある占い師さんが画数を見て付けたらしいのですが、占い以前にもう少し考えないといけない部分があります。 (日本全国の占い師の先生方が付けた珍名は、意外と多いのです。)

    姓名判断も流派により画数の数え方すら違いますし、旧字体と新字体の違いによる画数のさも人により違います。 それだけ違う中でこれが正しいと言う基準はありえないので、それだけ不確かなものを確実にしようと言う方が無理なのです。

    もしも、姓名判断で何か悪いことを言われたとしても、それは気にしないでください。 姓名判断で良いと判断された人が全て成功するわけではなく、本人の努力以外に運勢が変わるなんてありえないのです。

    私の名前はあるお坊さんが付けた名前なのですが、画数などから見る普通の姓名判断ならとても良いように付けてあります。 しかし、実際にはいじめや親の借金など、さんざんでした。 しかし、姓名判断ではよくないと言われる平仮名にしても、親や同級生など過去の人生と関係を断ち切ってからはとても幸せです。

    あなたは姓名判断ではなく、努力に自信を持つことができますか?

    アリガト エヘ♪(*^・^)ノ ⌒☆(*^_^*)ポッ

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    撃退法。

    おはようございます。 新事務所に移転して2週間経ちますが、明らかに人の寄り具合が違うので嬉しい限りです。 別に鑑定だけではなくお祝いを持ってきてくれたり、ちょっと顔を見せに立ち寄ってくれたり、お客様の心遣いがとても嬉しいです。

    先日はN市のIさんより、「ラビットスタンド」がお祝いで届きました。 これは観葉植物がウサギのように見えるのですが、ドアを開けて中へ入ると正面にいるのでご覧くださいね。 (首にベルをつけている、かわいいラビットです。)

    さて、土日は軽い話題や日常的な内容も多いのですが、忘年会や新年会を迎えるこの時期に女性が悩まされるご相談のひとつについて、人間関係を壊さない(さりげない)撃退法を書いてみたいと思います。

    いつの時代も自分で勝負できない男性と言うのはいるのですが、アヤシイ?霊視カウンセラー的に言うと「地位や立場を利用せんと、自分の力で勝負せんかい。(関西風?)」と言いたくなる男性が、なんとなく増えてきているのではないのかと思えてきます。

    私のところにはセクハラ&パワハラの相談も多いのですが、それは男性が女性にするのがほとんどです。 会社内でも病院内でも地位や立場を利用して、しつこく誘ってきたりする男性がいます。 これは上司とか~取引先とか、フリーの人なら受注先とか、色々な立場が人にはあるのですが、それを利用してどうこうと言うのは、江戸時代じゃあるまいし時代錯誤もはなはだしいです。

    気の強い人ならバシッと言えるのでしょうが、優しかったり気のイイ人は中々言えないでしょうから、そういう状況での撃退法を少し書いてみたいと思います。 (忘年会や新年会の季節なので、御参考にしていただければ幸いです。)

    まず、プライベートの誘いがしつこい男性です。

    これはよくいるのですが、「今度遊びに行こう。」とか「今度食事に行こう。」とか、馴れ馴れしく言ってきて女性が迷惑しているのに、本人は気が付いていないのです。 これはわざとではなく真面目に気が付いていないので、その点は理解してあげて欲しいのですが気が付くようなら無理な誘いはしてきません。 (こういう男性は、部下や後輩など断りにくい&弱い立場にある女性に言うことが多いです。)

    これは立場を利用しないと言えない(弱い)からでもあるのですが、その他にも上司が部下を誘うとか~フリーの人に仕事を回してやるからとか、立場を利用しないと言う度胸がないから状況を見てする計算高さもあります。

    では、この手の誘いを上手く断るにはどうすればいいかと言うと?

    一番いいのは「忙しい女」と相手の脳裏に認識させて、植え付けておくのが一番です。 セクハラ&パワハラ的な誘いを一々相手にはできないのですが、今日はお腹が痛いとか、今日は親が来る日だからとか、毎回断る理由を捜すのは大変です。 だからこそ、そんな相手にはバシッと苦労しているというイメージを深く刻み込んでおくのです。

    話しやすい(例えやすい)のは、将来の為に何かの習い事に次々と通っているというのが一番いいかもしれません。 将来お店を出したいからネイルの資格を取る学校に行っているとか、将来はピアノ教室を出したいから音楽学校に通っているとか、忙しい自分を演出しておくのが一番無難です。

    更に「親に負担を掛けない為に、学費は自分で出している。」と言えば、けなげな自分を作り上げてイメージアップもできると思います。

    普通の良識ある男性ならばこれだけ言えば引き下がるのですが、しつこい男性はこんなことぐらいじゃあきらめません。 「じゃあ、休みの日は?」とか「土日ならいいだろう?」などと、今度は完全にプライベートに狙いを定めてくるくらいしつこいと思います。

    これに対しては、「ごめんなさい、平日が忙しいから家事など家のことはお休みにしかできないの。」 こういう感じで言えば、家庭的な面もアピールできるので大丈夫です。

    さすがにこれ以上しつこい人はいないと思いますが、もし万が一に家事を手伝うなんて言い始めたら、「尊敬する○○さんに、そんなことはさせられません。」 こんな感じで、尊敬する聖人君子に押し上げてしまうのです。 そうなると元々プライドが高いので、そこをくすぐられると誘いにくくなるのです。

    注:奥の手として富士山のゴミ拾いとか~海岸の大掃除とか、普通の体力では絶対できないクラスのボランティアに連れ出せば音を上げます。 「わたしにとっての家事とは、ボランティアも入っているの。」 こう言えばOKです。 (もし仮に行ったとしても、クタクタに疲れてもうコリゴリと思います。)

    次のケースは、彼やご主人がいるけれど、ヤキモチや嫉妬が激しい場合。

    ケイタイを必ずチェックしたり、どこへ行くのかいちいちスケジュールを聞くのは、あなたのことが好きだというのが基本だから、へそを曲げないように扱わないといけないのです。 この手の男性は、「あなたが一番なの…。」こういう部分を出しておけば、まず大丈夫です。

    では、どうやればいいかと言うと既婚者バージョンは? 友達と遊んで家に帰った時に御主人の前で、「ふぅ~、疲れた。 やっぱりあなたといるのが一番落ち着くわぁ~。」と言う感じを常に演出しておけば「一番」と言うのが心に響くので、後の台詞はおまけです。

    お付き合いしているなら、彼の前で「あなたが一番好きだけど、いつもそれを言っちゃわがままよね…。」と、あなたに頼りたいけど我慢するかわいい女性を演出しておけば大丈夫です。 アピールポイントは、「あなたが一番。」 これ一点のみです。 これを頭と心にわからせてあげれば、心が落ち着いてまとわり付くようなことは減ってきます。 (ただし、嫉妬心をゼロにするのは無理だと思います。)

    「男気」とか、「儀を見てせざるは勇無きなり」とか、現代では忘れられているようです。

    あなたは自分なりの撃退法を、身に付けていますか?

    Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン

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    予知夢。

    おはようございます。 霊視のHPなのにそれに属することを余り書かない私ですが、今日は珍しく予知夢に関することを書いてみたいと思います。

    注:予知夢とは、未来で起こることを夢の中で見たり、夢で見たことが現実となることを言います。

    実は人には古来より危機回避能力があり、なんとなく勘(感)が働いたりして止めたことが正解だったりします。 それは自分を守る為にしたらいけないことを、何かはわからないけど止めてくれるものが存在します。 ただし、それに対して敏感かどうかの差が少しはありますが、わからないからと言って不幸なわけではありません。

    予知夢に関して説明する前に、まず夢の解説をして見たいと思います。 夢とは睡眠中に起こる知覚現象を通して、現実ではない仮想的な体験を無意識の中で体感する現象を言います。 (夢のメカニズムについては不明確な部分が多く、研究対処となっています。)

    今まで言われていたのが「浅い眠りのレム睡眠中」に見るとされていて、「深い眠りのノンレム睡眠中」には見ないとされていました。 しかし、最近の研究では、ノンレム睡眠時にも夢を見ることがわかってきました。

    例えば、フラッシュバック性の悪夢はノンレム睡眠中に起こることがわかってきました。 (注:フラッシュバックとは、トラウマなど過去の嫌な体験を元に作り出す仮想体験や記憶のことを言います。)

    つまり、嫌な夢を見れば見るほど脳は薄皮を一枚一枚剥がすかのごとく、その嫌な記憶を少しづつ消去して行くのです。 何度も何度も繰り返し悪夢と呼ばれるものを見て、起きている状態の時にそれを思い出さないように精神や心を保護してくれる働きがあります。

    夢が出現してくるルートが比較的解明されているのは、レム睡眠中にPGO波と言うノコギリ波状の脳波が、視床下部にある端網様体や後頭葉にかけて現れてきます。 このPGOが海馬などを刺激して記憶を引き出して大脳皮質に夢を映し出すと言われています。

    今のところ、夢を見る理由は不明です。 どうして夢を見るのかはまだ解明されていないのですが、夢の存在意義を定めようとする説はさまざまあります。

    一つ目は、無意味な情報を捨て去る際に知覚される現象と言う説。
    二つ目は、必要な情報を忘れないように活動する際に知覚される現象と言う説。

    この二つが今のところ有力です。

    夢は人によりさまざまで、同一の人でも知覚する現象が千差万別です。 ただし、夢を見ている最中に肉体が感じていることを夢に影響させることが知られていて、寝ている時に食べ物の匂いを嗅がせると、食事をしているシーンを夢見ることがあります。 他にも寝ている人の顔に布をかぶせた所、夢の中で顔に何かを押し付けられた夢を見た人が多かったという研究結果もあります。

    なお、一番わかりやすいのは、尿意が発生した時にはトイレの夢をよく見るというのが一般的です。

    他にも夢の知覚には、性別や年齢によりある一定の傾向があると言われています。 主に男性よりも女性の方が、色付き(カラー)の夢を見やすいと言われています。 他にも人間が持つ五感機能は夢に影響しやすいと言われていますが、痛覚だけは余り関係ないようです。 (針を刺すなどは別として、指でどこかを押さえた場合などは、ほぼ感じないようです。)

    また、夢自体には白黒の映像しかないのですが、知覚(認識)する脳の方がこれまでの経験による情報から、それに適切な色をつけているようです。 これは、脳の働きに関係があるのですが、その夢を見ている本人に都合のいいように処理する性質によるものです。

    他にも、夢には時間軸が存在しないので、その本人が主観する時間感覚でのみ知覚していると考えられています。 これは目が覚めた時点で記憶されている夢の多くが、覚醒前20分以内に見たとされてはいますが、実際には全然違う時間に見ていることが多いです。

    そして、人間が本来持ってはいたけれど、退化して使うことの無くなったもののひとつに「予知夢」と言うのがあります。 人には本来、危機回避能力が備わっているので誰しも予知夢を見ることは可能です。 ただ、覚えていなくて後になって「なんか見たことあるなぁ~?」と思う程度の場合もあり、夢を自由自在には扱えないのが難点です。

    誰しも一度や二度は予知夢のようなことを体験していますが、それが連続して起こらない為に偶然のヒトコトで片付けてしまうのです。

    予知に関して最近、私自身が「えっ?」と感じた出来事がひとつあります。

    確か10月の下旬か11月の初旬だったと思うのですが、たまたま3人の男性と電話で話をしました。 そのうち二人はこのログにもよく出てくる「寄付の神様とN市のIさん」で、もう一人はE県のMさんです。 この3人は職業も年齢も住んでいる地域も全然違いますし、私のお客様と言う以外は何も共通点はありません。 (そして、この3人はお互いのことを、全然知りません。)

    それなのに、ある会社の未来について全員がほぼ同じことを言ったのです。 その未来は私も視てはいましたが「そういう未来もある」という程度だったのに、3人とも同じことを言ったので背筋が寒くなる思いでした。 (この会社の株を持っている人は、売った方がいいかも?)

    予知夢と言うのは現実としてあるのですが、自らが体験すると怖くなったり薄ら寒い感じになるかもしれません。 未来で起こる事を明確に感じた時には、便利でイイと言うよりも怖いと言う感覚の方が先なのです。 (特に避けることができない未来を視た時は、怖さが痛切に理解できます。)

    TVでやる予知夢は台本通りに役者の方が演じているだけなので、わくわくしながら楽しく見ればいいのですが、現実として予知夢は「危機回避をする必要」がある時に見るものです。

    あなたは自分の予知能力を、体験したことがありますか?

    (°θ°;) ナヌー

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    恋愛考。

    人を好きになるのは感情として当たり前ではありますが、方程式のように答えが決まっているワケではありません。 目と目が合った時に好きになることもあれば、同じ時間を過ごしているうちに好きになる時もあり、好きになる過程とは似た状況はあったとしても同じ状況はありえません。

    恋愛については雑誌での特集などがよく組まれるように、多種多様な解説がなされています。 それでも、恋愛に対しての考え方が尽きることはないし、恋愛に対してこれが正解と言う方程式も発見されていません。

    「女と男」とか、「淑女と紳士」など、色々な言い方はあるけれど、異性の間に友情は存在しがたく、どうしても気持ちの上で「好きか?嫌いか?」の感情が発生してしまうのです。

    恋愛のチャンスをものにしたいと思っている人や、恋愛のチャンスがきたら今度こそと思っている人は、そこに居る人を相手にしているかどうかをキチンと自分で理解していないと、いつまでも同じ恋を繰り返してしまいます。

    いま目の前に居る人ではなく、「面影を追いかけて好きになっている」ようでは、新しい恋を始めているのではなく想い出の恋をリピートしているだけなのです。

    私は良い未来だけ視て良いことしか言わないように心がけていますが、逆に言うと悪い未来を視て悪いことだけ話すのも可能です。 恋愛が上手く行かないからこそ相談を受けるのですが、恋愛が上手く行く人はどういう人なのか、それに対しての方程式は私の中にちゃんとあります。 (ただし、気の弱い私としては話せるかどうかは別ですが…。)

    毎日毎日、色々な恋の御相談を承っていると恋愛が上手く行くかどうかの別れ道は、顔や年収やスタイルなどの見かけは余り関係ないのが嫌と言うほどわかります。 最後に決め手となるのは性格ですが、ここで言う性格とは一緒に居て気持ちが良いかどうかの部分です。 単なる優しいとか~都合がいいと言うような、接客業的なセールストークとは内容が違います。 (雰囲気とは口では説明しがたい、不思議な感覚の部分です。)

    恋愛と結婚は別物ですが、好きになる過程の部分において相手に好印象を与えるかどうか、それについては同じことなのです。 恋愛の状態で相手に良い印象を与えないのに、それがずっと一緒に居る結婚となれば、なおさら印象が良くないと同じ時間を過ごすのは難しくなります。

    相手に好印象を与えるというのは、相手の目線に立つということであり、人間としての大きさの部分なのです。

    一般的には心が広いとか、度量が大きいとか、許せる範囲の広い人は、その相手に好かれないとしても嫌われることがないのです。 例えば、「自分は○○だから、あなたたちとは違う。」 こんなプライドの高いことを言う人は男女の区別なく、相手に良い印象を与えるわけがないのです。 (世間で言う、裸の王様ではいけないのです。)

    自分なりの好印象と言うものを考えることができるようになったら、次は初々しさと言うか新鮮な感じを与えることです。 今まで出会ったことがないタイプとか、今まで思ったこともない考え方とか、目の前に居る人が自分にとって始めて感じる感覚。 こうなると、人は自分と違うものを持った人に対しては、畏敬か尊敬しか選べないのです。

    最初にあげた人としての心の広さがあれば尊敬になりますが、プライドが高いのなら畏敬になります。 温かい心で包まれるのなら恋愛は上手く行きますが、恐れ多いような心では破綻するのは目に見えています。

    人間として大きいとか~初々しいとか、難しい言葉ではなく簡単に説明するのなら…。

    人の幸せや喜びを祝福してあげて、人の悲しみや苦しみを支えてあげること。 例えるならば、あなたが好きな人があなた以外の人と恋愛することになっても、その人の幸せを願えるような心を広いと言います。

    何かに対して、感動する心を持っていますか?
    何かに対して、無我夢中になれる心を持っていますか?
    何かについて、誰かと何時間でも語り合えますか?

    恋愛に限らず仕事でもいいんですが、あなたの瞳に映るその人の幸せな顔を、素直な気持ちで拍手できる心は素晴らしいと思います。 もしも、目の前で祝福できないというのなら、少し離れた場所でいいから拍手してあげることができるのなら、それでもあなたの心は祝福の心で少しは満たされるはずです。

    恋愛とは人生と同じで、その場限りで終わるものではありません。 次から次へと色々な場面が展開して自分の思いもよらないことが降りかかり、それを乗り越えるというのが、恋愛と人生の共通点なのです。

    「一目ぼれ」や「恋に墜ちる」などの言葉があるくらいですから、確かに瞬間的な恋はあります。 しかし、それは洗い立てのシャツと同じで最初はキレイに見えていても、しばらくするとなんか違って見えてくるのです。

    「今すぐに届けたいと思う言葉」と、「ずっと心に想い続けていた言葉」では、中身の美しさが違うと思うのです。

    あなたにとって大切なものは、恋愛と人生の両方に関わると思いませんか?

    ♪♪~( ̄ー ̄(^^ )ピトッ

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    月並み。

    夢や目標がある人とは本来素晴らしいのですが、周りから見ると馬鹿馬鹿しかったり、出来そうにもない戯言に聞こえたりするかもしれません。 しかし、何もなく自分の保身だけで年齢を重ねている人が、一生懸命に突き進んでいる人を笑う資格はないと思うのです。

    大きな夢や目標は素晴らしいと言えるのは、月並みな目標や夢なら俗世間の垢にまみれている可能性が大だからです。

    出世やお金が目標の人生とは高度経済成長の時代、いわゆる団塊の世代の人達にとっては一番重要であり、自分だけが得をすればいいがまかり通っていた時代です。 それはそれで素晴らしい夢や目標かもしれませんが、今の時代ではそれを虚しいと考えて余り選ばなくなりました。

    月給20万円でやりたくない仕事をするよりも、月給15万円でやりたい仕事をしたい。 こういう感じで「時間と人生」に対するゆとりを求めて、生きていこうとする人が増えてきたと思います。

    月並みな夢や目標が俗世間の垢にまみれているかもしれないというのは、少しの努力で誰にでも達成できることを夢や目標にするのは、ひとりの人間として少し寂しいかもしれないと気付き始めた人がたくさん出てきたからです。

    昔の人は「夢や目標=欲」でした。
    今の人は「夢や目標=希望」なのです。

    昔の人はその時代で素晴らしい人も大勢いるし、否定するものではありません。 昔で言う夢や希望は物欲的にいうなら、小さくてもイイから庭付き一戸建てが欲しいとか、スポーツカーや高級車など車が欲しいというのがあります。 出世欲的にいうなら、課長になりたい~部長になりたい、更には「次の取締役は俺だ。」と社内の根回しにひた走る姿があります。

    「良い高校を出て、良い大学を出て、良い会社に就職して、お金を手に入れて、物を欲する生き方。」 これが人生においては一番良いと思っていた方々が、今はどういう人生を歩んでいるかと言えば、新宿の都庁前にある公園に行って見れば人生の縮図としてわかるかもしれません。 まがりなりにも部長とか専務とか呼ばれていた人が、何でそういう生活をする羽目になるのかは、過去の歩みに原因があるとしか言えないのです。

    「欲と夢は別物」で、家や車や役職とは欲の範疇であり、夢や目標とは違うものだと認識する必要があるのです。

    例えば、月並みな目標で充分と考える人が「俺は部長で結構、それ以上は望まない。」 かっこよくこう言った所で説得力はありません。 それは部長と言う役職を大事にして、降格や左遷やリストラは避けようと考え始めるからです。 そうなると部下の仕事に対していちいち文句を言って自分の身を守ろうとするのだから、そんな上司の姿を見ている部下たちが月並みな未来を進みたいとは思わないのです。

    月並みな目標とは、世間が相手だから狭い考えになってしまうのです。 もしも他人との比較がなければ、欲しい物は格段に減るのです。 誰かと自分を比べて自分が持っていないものを求めてしまうから、その対象となる物や地位を手に入れたくなるのです。

    ところが月並みな目標でなく、とんでもなく凄い目標なら、周りとは最初から言うことや話す内容が違うので、相手にされないことが多いです。 エジソンやアインシュタイン、最近で言うと田中耕一さんや小柴先生など、周りの人はできっこないと言っていたことを成し遂げました。 しかし、成し遂げたところで自分のしたいことや目標であり世間とは離れた所にいるから、態度に変化はなくすぐに次の目標へと進めるのです。

    事業で成功した人や夢を達成した人、その中ですら勝ち組と負け組みが出来てしまうのですが、その差は何かと言うとわりと単純なことです。

    普通の人なら事業で成功したら、「家が欲しい。」「南の島でバカンス。」「のんびりと暮らす。」 このようにひとつの目標や夢を達成した満足感に浸っている人が、負け組や一発屋の道を進んでいくのです。

    楽天の三木谷社長が若かりし頃、ある人に聞かれました。 「キミは成功したら、何をしたい?」 三木谷社長は、「次の事業をやるに決まっているだろ。」と即答しています。 成功を続ける人にとって、夢や目標を達成するというのはゴールじゃないのです。 達成した瞬間に次がスタートするのだから、充実感は持続しても満足感は一瞬で終わりなのです。

    私はお客様の人生が次々と新たな目標を作り上げて、それに向かって突き進んで行き、やがては誰かの目標&尊敬される人になって欲しいと思うのです。 素敵なあなたなら、誰かの目標となってもおかしくはないし、誰かの支えとなってあげて欲しいと思うのです。

    あなたが生きている人生はあなたひとりだけのものではなく、誰かと関わり誰かを助ける人生なのです。 あなたが途中投げしたら、あなたに助けてもらう人はどうすればいいのでしょう。

    未来であなたを待っている人がいます。

    あなたは誰かの目標や夢とされる人生になる、そういう準備はしていますか?

    ミ凸ヽ(^_^ )太鼓判だね

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    優しさ。

    おはようございます。 今日も元気でお仕事に行って、素敵な笑顔で素晴らしい一日を過ごして頂きたいです。 毎日を過ごしていれば良い時も悪い時もありますが、失敗があるから成功があると思うのです。 ただし、成功とはゴールではなくスタートだと考える方が、より高い位置へ進めるようになります。

    例えば、喜劇王のチャップリンに「代表作は?」と聞くと、「次回作です。」と答えたと言うような逸話があります。

    イベントを企画している会社でも、利益が出たら自社の資金にするタイプと次のイベントにつぎ込むタイプと、どちらが大きくなるかは明白です。 映画でも一作目で出た利益を次回作につぎ込んで更にスケールアップするなら、二匹目のドジョウどころか三匹も四匹もいることになります。

    ゴールした瞬間にスタートとなれば目標や夢が次々に見つかり、人生のゴールは何かと考える暇もなくなります。 誰でも物事を達成した瞬間は、「やったぁー。」とか「できたぁ~。」など、それが叶った喜びを自分自身で味わっています。 そして物事を始める喜びと言うのは、新たな自分を作り上げる瞬間なのです。 達成した瞬間と始める瞬間、この2つの感動を同時に味わえるのなら、それはとても深いコクがあると思うのです。

    自分の可能性を伸ばすことができるのは自分だけですが、それは自分のことだから自分でいくらでも改善できるのです。

    その為にも相手の気持ちが分かる、優しい人になって欲しいと思います。 少しお金ができると威張ったり、少し地位が上がると態度がでかくなったり、それが悪いとは言いません。 人にはそれぞれの考え方があるので、「自分は偉いんだ。」と言いたければ(思いたければ)それでいいんです。 ただし、だからと言ってそれを人に強要するのはよくないし、周りから見ればみっともない態度に映ることもあります。 

    赤ちゃんに話しかけるなら、大人が赤ちゃんの目線や姿勢に合わせるかのごとく、自分を相手に合わせてあげるのも、人の気持ちがわかると言うことだと思うのです。 相手の立場になり、相手の気持ちを考えて行動すれば、それはあなた自身を守ることにもなります。

    人間関係が上手くいかないと、社会生活が辛くなります。 会社でも自営でも、自分を誰も見てくれないのはとても寂しくなります。 自己主張するのは人間心理では当たり前ですが、自己主張が激しいのは寂しいから自分の存在を強調する為に行う場合が多いのです。

    そういう人を相手にしないと行けなくなった場合は、「優しい」がひとつのポイントになります。 優しい人と言うのは一見おとなしそうとか~温厚そうに見えるとか、弱弱しく感じる時がありますが、実際にはとても強い人が多いです。

    優しいと言うのは芯の強さが無いと無理で、普段は淑女や紳士で優しく感じる人には、絶対的な何かが秘められているのです。 「優しい人と言うのは、相手の気持ちがわかる人。」 誰にでも優しくできると言うのは、本当に苦労した人や本当に強い生き方ができる人なのです。

    強さと優しさは同時にあるもので、片方だけでは成り立たないのです。 野性の世界でも母親は子供にとても優しいですが、ひとたび敵に襲われたら子供を守る為に猛獣になります。 人間でも「母は強し。」と言う言葉があるように、母親は子供を甘えさせると同時に社会の厳しさも教えます。

    優しさの定義とは人により違うので、どれが良いとか悪いとかはありません。 ただし、余裕がない人は他人に優しくはできません。 自分が困っている状況の時には人に優しくはできないし、逆に人の足を引っ張るような行為をしてしまうのです。

    例えば、あなたが引越しをした時に移転先を書いた紙を張っておいたけれど、大家さんが嫌がらせで移転先がわからないように邪魔したとしても、それは所詮余裕がない人のすることです。 そういう自分のことしか考えない人に対して怒るのではなく、「可哀相な人」だと許してあげるのが本当の優しさを持っている人です。

    自分の未来や会社の未来が不透明で困窮状態になれば、どうしても自分の運が悪いのは人のせいだと思いがちですが、そういうわけではないのです。 運は公平にその人の上にふりかかるのですが、それは自分が過去してきた行いの上にふりかかるのであって、何もしていないのに悪いことだけ起こるなんてありえないのです。

    ただし、甘い人と優しい人は一緒ではありません。

    甘い人と言うのはいつでもどこでも優しいだけで、本当に相手のことを考えているわけではありません。 時には厳しくして、相手の為になることをキチンと言える人が、本当の優しい人なのです。 また、自分に厳しい意見を言ってくれる人は大事にして、それを受け入れる人間としての度量も必要となります。 相手の意見を受け入れるのは、自分に大きな心(広い気持ち)が無ければ無理なのです。

    強いふりだけしている人は心が寂しくて余裕がありませんが、本当に強い人は心に余裕があり人に優しくできます。

    あなたは自分の優しさの定義を、どのように心に決めていますか?

    ☆⌒(*^∇゜)v ありがとう!

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    負けない。

    人生とは常に選択の連続ですが、勝つか負けるかと言う人生との勝負の連続でもあるのです。 たくさんの幸せに囲まれて生きるのも人生だし、地位や名誉など物質的な要素に囲まれて生きていくのも人生です。

    ただし、人生の勝負に勝つということ自体は、そんなに難しくありません。 それは自分と言うたったひとりにだけ、勝つことができればいいからです。 50人~100人といれば勝ち負けが存在してしまうでしょうが、たったひとりだけならば自分の努力でもどうにでもなるのです。

    今よりも生き方を変えたい、今よりもシンプルな自分でありたい。 お金や物ではなく、人生の生き方について考えることが増えてきたと思うのですが、それは目先のことだけ追い求める時代が終わりを告げたということかもしれません。

    今まではお金や物を手に入れる為にだけ生きていても、そんなに不足を感じることはありませんでした。 しかし、生活自体が向上して欲しい物が手に入り不便さと無縁になってきたら、心がそれだけでは虚しいと感じ始めてしまうのです。 家も車も手に入れたけれど、家族は出て行って誰もいない部屋にひとりポツンと居る企業戦士が、物質的に豊かだとは思えても心が豊かとは思えないのです。

    色々な息苦しさと別れを告げてシンプルに自分の人生を見つめて生きていければ、世間の流れに無頓着で余計なことにかかわりを持たずに歩んで行けるのです。

    自分に勝つ人生とは嘘やゴマカし&まやかしは無しで、自分の気持ちに正直であろうとする生き方です。 それは自分に厳しい人生であり、常に今の自分を越えようとする終わりのない戦いみたいなものです。 そんな生き方は簡単ではないし、ダレでもカレでもすぐにできるわけではないと思います。 しかし、仕事や恋愛など色々な局面で、その戦いに勝つことができれば、今よりもはるかに充実した人生を送ることができます。

    人生とは迷いの連続であり、その迷いを乗り越える為にはどうすればイイのかと自問自答するのが、一歩踏み出す勇気を持つ準備ができたということです。 一歩踏み出す準備も整えずにスタートするのは「無謀」と言いますが、準備してから踏み出さないのは「あきらめ」と言います。

    今の生活や存在自体に疑問を持ち、何とかしたいと思うのだけれど失うもの(地位や収入)を考えると踏み込めない。 これが人生の息苦しさにつながり、忍耐と言う鎖で自分を縛り付けてしまうのです。

    しかし、人は馬鹿ではありません。 そういう長い物に巻かれたり~愛想笑いをしている自分に嫌気が差して、本音の部分で情けないとか意気地がないとか、嘘をついている自分を認めて動き出そうとすることがあります。 そこに留まり続けることが無理だと感じたなら、動く自分を誇りに思い一歩踏み出しても良いと思うのです。

    境遇や環境の変化に、最初はビクビクしたり驚いたりしてしまうかもしれない。 しかし、環境や境遇の変化は悠然と受け止めて、なるようになると考えてもいいのです。 今の世の中では平穏無事とか安泰と言う言葉で、将来を保障してくれる会社などありません。

    上司の顔色や周囲の動向、自分が人にどう思われているのか(評価や実績)と、計算したり臆病になったり、つい身の安全を考えてしまいます。 それは生きていく上では決して悪いことではなく、むしろ積極的にしていかないと社会生活ができません。

    ただし、自分の評価を自分でできるわけではなく、人事部や上司など基準のわからない評価があるだけなのです。 そんな評価に一喜一憂する自分に嫌気が差したのなら、それは心が自由を求めているということになります。

    今と言う現実にすがりつくような真似をしなければ、それは充分可能なのです。 自分への厳しさを失わずに、今何をするべきかを常に考えて行動していれば、「負けない自分」になれるのです。

    子供の時ならいじめや仲間外れ、会社なら左遷やリストラ&減給など、あらゆる場面で敗北感を味わうかもしれません。 しかし、自分は孤立しているのかもしれないと考えたりする前に、「負けない自分」であることを思い出して欲しいのです。

    会社が倒産しようと、いじめに遭おうと、自分の生き方を貫いていければ、それは迎合した生き方よりも尊いのです。

    社会生活の上で他人と合わせるのは大事ではありますが、嘘をついたり正義に反することをしてまで自分の保身しか考えられないようでは、団塊の世代を笑えないのです。 自分だけが助かれば他なんてどうでもいいと言ってきたのが、高度経済成長期と言う名の幻想です。

    あなたは自分の人生に、誇りを持つことができますか?

    (@^_^)ゞ ポリポリ

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    日曜日ですね。

    今日は日曜日で、朝からイイ天気です。 すがすがしい気持ちで事務所に居るのですが、ここは居心地が良いのでついつい長居をしてしまいます。 以前の場所では夕方には帰るようにしていたので、4時や5時の鑑定ができずに御迷惑をおかけしていましたが、新事務所では夕方以降の鑑定もできるので遠慮なくお越しくださいね。 (以前の場所では何故?夕方以降の鑑定ができなかったのか、いつかその理由を書きます。)

    新事務所はとても気持ちが良いのですが、この気持ちが良いと言う精神状態が落ち着いた鑑定ができるようにしてくれます。 「貧すれば鈍する」という言葉があるように、生活が貧しくなるにつれて精神状態まで貧しくなってしまうことが人には多々あります。 私自身も小さい時から貧乏生活で、大人になっても1ヶ月うどん生活や1ヶ月ほうれん草生活など、食事にもコトカク有様でした。

    商売の相談に来る人には、できることなら成功してもらいたいと思うのですが、成功する人と失敗する人は紙一重ではなく、大きな河か湖くらいの開きがあります。 これは努力するしないと言うのも関係しているのですが、基本的な考え方によりその後の歩む道が決まるせいでもあります。

    自己啓発本やセミナーなどで、成功している人の行動を良く見ろとか、真似しなさいとか色々言いますが、それでは駄目だと思います。

    成功している人ではなく、「成功して、それが続いている人」の行動を見なければなりません。 一時的な成功と言うのは、努力しなくても運の容量だけでも可能です。 親が有名人だった&親が商売をしていたなど、生まれつきある程度の成功を約束されていたけれど、自分でピリオドを打ってしまった人が、どれだけいると思いますか?

    ※歌手でも俳優でも、一発屋と言う言葉があります。

    成功している状態を続けている人と言うのは、何か人の為になることをしていますし、表立ってしていなくても陰で誰かをそっと支えていると言う場合もあります。 TVカメラの前では寄付ができるけれど、取材がなければ寄付しないなんて考えを、古来より浅ましいと言うのです。

    親の力やコネで生きている人と、苦労や失敗を重ねてから成功した人では、言葉の重みが違うのです。

    例を出すと、地方のホテルやペンションの経営状況は芳しいものではありません。 お客様が来ない為に青息吐息の状態のところは、どうしてそうなっているのかを考えてみないといけません。 観光地だからとか~ブームに便乗してとか、基本的に自分の力でお客様を呼ぼうとしない、だから上手くいかないと言う大原則を忘れているからです。

    ホテルやペンションは、当然のことですが宿泊してもらわなければどうにもなりません。 では、宿泊してもらうようにすれば良いのですが、「宿泊する意味を作り出せない」から努力が足りないと言っているのです。

    ここで、ホテルやペンションの経営者の言い訳として、いくつか上げてみると…?

    A,最近は交通網の発達により、遠方からのお客様でないと日帰りされてしまう。
    B,行政が地元の名所や特産品のPRをしないから、観光客が少ない。
    C,建物が古く新しく設備投資できないから、お客様に来てもらえない。

    出していけばいくらでもあるのですが、流行らないお店や会社の経営者に言い訳をさせれば「これでもか!」と出してくるので、その発想を良い方に向ければと思ってしまいます。

    まず、(A)交通網の発達と宿泊数減は無関係で、発達したからこそ逆に商圏が広がり、今まで来れない距離の人が来れるようになったと言う利点を忘れています。

    次に(B)行政のせいにするのもいい加減にしないと、商売を始めたのは自分の勝手で行政が商売しろと命令したわけではありません。 おまけに流行らなくなったり損したりすると文句を言うのに、好調な時や儲けた時には何も言わずに欲丸出しで自分だけ良い思いをするなんて…?

    最後に(C)建物が古いからというのも、今まで設備投資もせずに怠けておいて、急にどうしようと言うのも変な話です。 古いからお客様が来ないと言いますが、古いというのを逆に利用して、「アンティーク風」とか、「昔ながらの思い出の風景」とか、キャッチコピーひとつでも古いを新しく感じさせるので、古いという前に掃除をするのが先だと思います。

    以上、いくつかの言い訳とその言い訳を打破する回答を示しました。

    精神が肉体を動かすのだから、気持ちが負けていてはどうにもなりません。 こんな言い訳をするようでは、気持ち的に「自分は何もせずに楽して解決したい」としか思えません。 貧すれば鈍するを防ぐ為には、あなたのアイディアや行動でいくらでも防ぐことが出来ます。

    お金がない時には「贅沢は敵」ですが、「素敵な贅沢」を工夫するのは素晴らしいと思うのです。

    あなたは自分の中にある世界を、きちんと表現することができますか?

    (^○^)/ ヤッホー (=^0^=)/ ドモニャン♪ (⌒∇⌒)ノフリフリ

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    忙しい。

    おはようございます。 新事務所に来て今日で1週間が経ちましたが、以前の場所とは快適さにおいて余りにも違う為に自分でも驚いています。 本日の午前には、新事務所で最初の電話カウンセリングがあるのですが、上手くできるかどうかヒヤヒヤしています。

    慣れてしまえばどうってことはないのでしょうが、電話の設定その他が上手くできているかどうか、私ではアヤシイ部分があるので少し心配です。 まだまだ新事務所に慣れていないので、不手際により忙しく御迷惑をお掛けすることもありますが、よろしくお願い申し上げます。

    それでも忙しいのは良いことで、暇よりも忙しい方が断然イイと思います。 「忙しいとは、心を忘れると書く(言う)。」 言うでも書くでも、どちらにしても同じことですが、私は個人的な感想として「忙しい」のは良いことだと思うのです。

    お勤めをしていても、自営業をしていても、忙しい時には「休みが欲しい」と思ってしまうでしょうけれど、暇で会社が倒産しそう~暇でお店が潰れそうなど、危機的状況になると忙しい時の方が良くなります。

    確かに人としての思いやりや気配りができないほど忙しくて、人を傷つけるなら忙しいのには問題がありです。 しかし、仕事がなくて辛い思いをしている人は、忙しいのがありがたいと思えてくるのです。

    私はお客様がいなくて暇だったと言う話にはこと欠かないのですが、本当に暇で暇で悲しくなるくらいでした。 「1ヶ月で7人しか来ない」と思うよりも、「1ヶ月で7人も来てくださった」と感激していました。

    お客様がいなくて寂しい感じのお店や事務所は、普通の感覚の持ち主なら嫌だと思います。 あの暗い感じは何をしても取れないのに、お客様が来てくれるだけで明るく賑わうのです。 忙しいのは嫌だと文句を言っていると、本当に暇になってしまいます。

    私は昔を振り返ってみると、いつも忙しい状態を求めていたような気がします。 今まで色々な所で働いていたのですが、私はいつも忙しい会社や部署にいました。 その時には「何で自分だけ…?」と思っていましたが、私は人を呼ぶとか~人が周りに集まると言うことが多い人生なのに、人とのかかわりを拒否していたから余計な苦労をしていたのだと思います。 

    そして、いざ仕事がなくなって暇になると親の借金など、未来が暗くなるようなことばかり起こり、「暇は嫌だ」と感じるくらい忙しさを求めるようになりました。

    今はいくら予約が入ろうとも嬉しい限りで、自分が休まなければイイだけと思っています。 休むからお客様をお待たせするようになるだけで、年中無休でやればいくらでも鑑定できると考えています。 私は自分のスケジュールは、詰め込めるだけ詰め込んでイイと考えていますし、もっともっと詰め込みたいと考えています。

    私は楽をしてはいけないし、もっともっとできることがあるはずです。 まだまだ忙しくしていないと、どん底人生から助けてくれた運命やお客様に対して、御恩返しができていないのではないのかと不安になってくるのです。

    私は高校生の時に学費や生活費を稼ぐ為に、新聞配達~遊園地~ガソリンスタンド~スーパーなどでアルバイトをしていたのですが、「山崎がいると忙しくてかなわん」 よくこう言われていたのですが、その当時は、「私がグズだから、みんなに迷惑をかけている…。」 こうやって自分を卑下していたのですが、過去の記憶をたどるとそうでもなかったと思います。

    今から考えると私がアルバイトに行った場所は、「忙しくなる=繁盛する」だったと思うのです。 スーパーや遊園地では行列ができていたし、GSでは新規のお客様が増えていました。 ただし、関係がなくなった今、私がアルバイトをしていた所は無くなっているか~縮小しているか、どちらかです。

    私は人と関わることが多い運命なのに、人を遠ざけるようなことをしていたから不運を感じていただけで、周りに人が来るのを素直に受け入れたなら幸運がやってきて当たり前なのです。

    商売をしている人の場合を例に取ると、私のところへ来た人のお店は少しでも良いから業績が改善して欲しいと思うし、来るだけで良い雰囲気を身に纏って帰ることができるようにしたいと思っています。

    私はコンビニに行ってしばらく立ち読みや品物を選んでいると、必ず人が入ってきてレジ待ちをするようになります。 レジに並んで待たないといけないのは運が悪いのではなく、人を呼び込む(集める)から仕方がないこと。 つまり、運が良いから自然と周りに人が寄ってくると考えた方が良いのです。

    仮に私がお客様(あなたの会社など)の事務所や職場にいたとしたら、人はドンドン入ってくるし電話はジャンジャン鳴りまくるし、忙しくて仕方がない状態になります。 そしてその状態の時、自分にとって都合の良い人ばかり来るわけでもないし、仕事の依頼の電話ばかりじゃないかもしれません。

    それでも事務所やお店に人がドンドン来るのは良いことだと思うし、電話が次々とかかりまくるのも、にぎやかで素晴らしいと思うのです。

    しかし、人には色々な考え方があるので、誰一人来ないシーンとした事務所やお店、電話がほとんど鳴らずに注文も依頼も入らない事務所やお店が良いと言う人も当然います。 良い悪いの問題でも、正解不正解の問題でもなく、個人の好みなので人それぞれでいいんです。

    ただし、私と関わる人は忙しく明るく楽しい状態になるので、暇で暗くて寂しい感じが好きな人は私と関わらない方が賢明かも?

    忙しい毎日が「充実感や達成感」を作り上げるのも真実で、暇な時は何もできないし打つ手がないのです。

    あなたは忙しい毎日と暇な毎日、寂しいとにぎやか、どちらが好みですか?

    ありがとさん (*^ - ^*)ゞ ポリポリ

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    友人。

    おはようございます。 新事務所の入り口横通路にある物を置いているのですが、皆様これが気になるようです。 お越しになったお客様より「これ、カワイイィ~。」とか「これ、どこで売っているんですか?」など、聞かれることが多いので置いて大正解でした。

    心が和む対象(人や物)は、何人いても~何個あっても良いと思います。 現代はストレス社会と言われるくらい、日常でイライラや鬱憤を溜めてしまいがちです。 そういう時に部屋へ帰ってふと見ると心が和む、そういうものを部屋や仕事場にひとつくらいは置いていてもイイと思います。

    しかし、できることならば物以外にもうひとつ、友人(知人)がいたなら心のやすらぎや癒しに最適かもしれません。

    普通に生活している人ならば、小学校~中学校~高校と自然に学業から社会生活と言う流れで成長していきます。 そしてその中で人間関係を学び友人を作るのですが、この友人と言うのが曲者で作るのが上手い人や下手な人など、自分の思い通りには行かない場合もあります。

    自分の過去を振り返ってみるとよくわかると思いますが、友達と言うのはかなり変化していると思います。 小学生の時は仲が良くても、高校生の時にはもう連絡すら取らなくなったということもあります。 高校や大学などでも在学中は仲が良かったり連絡を取っていたけれど、社会へ出てからは連絡も取らなくなり年賀状をやり取りするだけになり、やがては音信不通になってしまうこともあります。

    人が生きている以上は、異性のパートナーを求めるのは遺伝子学的にも正解です。 しかし、同性の親友とか友達と呼ばれる人もいると、人生の豊かさに違いが出てきてます。

    社会で働くようになると、仕事を覚えたり人間関係の(横から縦へ)変化とか、忙しいことばかりで自分のことで精一杯になってしまいます。 学生時代の友人と連絡を取らなくなる代わりに、仕事がらみの人達との関係は増え続けていきます。 しかし、それはあくまで仕事がらみであり、プライベートで気軽に話をするような友人関係がなくなってきてしまい、いつの間にか仕事関係の人としか話をしなくなっている自分に気が付いてしまうのです。

    それに気が付いてしまうと、「今の自分は、人間関係&交友関係が狭くなってきているのでは?」と不安を感じ始めてしまいます。 このままでいくと友達はできなくなってしまうのかなと考えたり、自分は人気も無く嫌われているのかなと余計なことまで考えてしまいます。

    社会へ出ると友人関係が変わるのは当たり前なのですが、それを不自然だと考えている人は「自分が何か悪いことをして相手を怒らせたのか?」と、ありもしないトラブルを勝手に作り上げてしまうこともあります。

    男性でも女性でも、社会へ出てからの方が友人は作りやすいのですが、「友人=学生時代」に作るものと言う考え方が、日本社会ではなんとなく暗黙の了解のようになっています。

    しかし、アヤシイ?霊視カウンセラー的には社会に出てからの「大人の友達」の方が、作りやすいと考えています。

    例えば、ひとつの選択肢として、卒業後に就職して結婚退社~子供が生まれて育児と、生活環境が次々と変わっていきます。 そうなると学生時代の友達、就職先での友達、結婚後の近所付き合いでの友達、出産後のママ友。 このようにあるひとつの選択肢だけでも友達の変化がこれだけあるのですから、友達がいない&いると言うのはその置かれた立場で変わってきます。

    私の場合は何度も書いているように、自閉症で知恵遅れと呼ばれいじめられていたので、学生時代に友人を作ることはできませんでした。 そして社会に出て就職してからも、工場や建設現場で友人を作るなんて更に無理でした。 しかし、今の立場になってからは人との関係を作れるのが当たり前で、せっかく知り合ったのに知人&友人にならなければ損と言う考えになっています。

    話しかけるか⇔話しかけないか。 このホンの少しのキッカケ、つまり話しかけないとそこで終わりですが、話しかけるとウマが合うかもしれないし、次には連絡を続けて取るようになるかもしれない。 一期一会の精神でいれば、出会ったチャンスを逃すはずは無いのです。

    私がお客様を全員素敵で素晴らしい人に見えるのは、ウソでもお世辞でもなく真実です。 私は出会った最初の部分から、その人の良いところしか見ないので余計な雑音はシャットアウトしてしまうからです。

    先入観や偏見を持つのは人である以上、仕方がないと思います。 しかし、自分が先入観や偏見の目で見られたら嫌だと思うのなら、相手のこともまっさらの白いきれいな状態で見るようにするのも大切なことです。

    私は目の前の人を女性でも男性でも、最初から良い人だと思ってから話し始めますし、誰にも相手にされなかった過去の自分を考えると、相手にしてもらえる今の現状は天国にいるとしか思えないのです。

    私は特殊な例なので参考にはならないかもしれませんが、もしも「一期一会」を大事にしたいのなら、出会った以上は次への行動をするということを心がければ、自然と大人の友達は増えていくのです。 用事が無くてもメールや電話をしてみるとか、ちょっと連絡してみるという行為が相手の気持ちに何かの変化を起こすかもしれないのです。

    ただし、連絡を取ることができ始めて失敗するのが、自分のことばかり話したり聞いてもらったりするという点です。 せっかく連絡を取ることができるようになったのですから、相手の愚痴を聞いてあげて連絡を取りたいと相手に思わせるようにする努力は必要です。

    最後に、「友人関係になれたら適度な距離を持つ」と言うのが重要になります。 友達になるとついつい繁盛に会うとか、連絡を取りすぎるということにつながりかねないのですが、お互い甘えすぎずに適度な距離を持つことで大人の友人関係になれるのです。

    あなたは現在進行形で、友人や知人を増やしていますか?

    ♪ヽ( ⌒o⌒)人(⌒-⌒ )v ♪

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    ホスピス。

    ホスピスと言う言葉を聞いたことがあると思いますが、それを詳しく説明できるのは医療関係者やその道を専門とする人が中心で、言葉や名前は知っているけれど一般的にはなんとなく実感がわかないかも知れません。

    ホスピスとは、治療よりもケアに重点を置いた医療のことを言います。 通常の医療のあり方で言うと病棟の作り方や医療機器やスタッフの考え方などが、治癒の見込みのない疾患に対しては向いていなかったのです。 限られた人生をできる範囲で快適に過ごせるというのを目的として、ターミナルケア(終末的医療)を実現させるのがホスピスであります。

    元々は、末期癌患者などの死期の近い人を対象に、延命治療を行わずに身体的苦痛を和らげてあげるようにする。 そういう精神的援助をして命を全うできるように医療を行う施設です。 1967年ロンドン郊外にできたものが始まりなのですが、中世ヨーロッパの教会で病人や巡礼者を泊めたことがホスピスの起源と言われています。

    教会で看護に当たる聖職者の汚れなき心からの献身と歓待をホスピタリティと呼び、そこから今日のホスピタルが出たと言われています。 歴史的にはホスピタルもホスピスも、病院だけでなく孤児院や老人ホームや行き倒れの収容施設も含めて、ホスピタル(ホスピス)と呼んでいました。

    ホスピスと言うと、「病院だから作るのにお金がかかる」という先入観があり、施設の整備に注目しがちですが本当は人の問題なのです。 医療機器やベッドなどの施設に加えて、医師や看護師などのスタッフはもちろんですが、それよりも心のケアができる専門家を置くことが必要なのです。 患者本人だけでなく、恋人や家族やボランティアなど周囲の人間も含めた行為が、真のホスピスを作り上げるのです。

    「ホスピスを作るのには、莫大なお金がかかる。」と言うのは、大いなる誤解…かな?

    東京~大阪~広島など大都市圏のドクターにホスピス建設について世間話程度にお聞きした所、「普通に総合病院を作るよりも、お金はかからないと思う。」と伺っております。 お金がかかるからホスピスはできないなんて言い訳を、本当にボランティア精神がある人はしないと思います。 (言い訳する前に、まず自分を厳しく律するかな?)

    また、ホスピスとはがん患者だけを対象にしているわけではなく、エイズなども含まれます。 (ただ、エイズホスピスは治療の改善により一時期ほどではなくなりました。)

    現代の医療で治せない病気、つまり治療抵抗性のある癌や悪性リンパ腫、カボジ肉腫の末期症状、脳が冒されるリンパ腫、トキソプラズマ症などの医療は、キュア(治癒)ではなくケアに移行する必要が出てきています。 その為にも、日本でもホスピスの重要性が高まってきているので、ホスピスを作りたいと言う人が増えてきているのです。

    なお、一般的にホスピスを分類すると5種類ほどに分類することができます。

    1、病院内病棟型→病院内でホスピスを行う病棟や階を決めてするタイプ
    2、病院内独立型→建物や職員など全て分けるが経営母体は同じタイプ
    3、完全独立型→ホスピスのみ行う施設で、他の診療科を持たない専門タイプ
    4、病院内緩和ケア→病院内に専門チームを作り主治医とは別にケアをするタイプ
    5、在宅ホスピス→自宅で全ての緩和ケアを行うタイプ

    日本で最初にホスピスケアを提供したのは、1973年ごろ大阪の病院が始めたのですが、本格的に始めたホスピスは1981年ごろに浜松で開設したのが最初だったと思います。

    従来ホスピスの開設は主に民間が主体で行ってきましたが、公的な機関も最近は乗り出してきています。 1987年に千葉県の国立病院で開設されて、その後は全国の国立病院でホスピス開設および開設の動きが始まっています。

    今のところは、癌およびAIDSにより治癒が難しくなった患者を対象としていますが、入院は健康保険が適用されて高額医療制度も受けられるようになってきています。 設置基準として病室の半数は無差額でなければならないと決められている為、ホスピスがお金がかかると言うのは少し誤解があるようです。

    例えば、有名人や芸能人なら元々の収入が違う上に、寄付や募金を募ればホスピスを作るのはすぐにできるのです。 民間の人でも作ろうと動いている方は大勢いますし、私は微力ながら協力できる範囲内ですぐに行動したいと思います。

    「将来&いつか」ホスピスを建てると言っている暇があれば、「今日」ホスピス関係者に少しでいいから寄付をすると言うのが今の私です。

    あなたは自分の未来において、自分の心に嘘をつかずに歩んでいけますか?

    (#^ ^)/'`*:;,。・★ ラリホ~☆・:.,;* (v_v) Zzz...

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    幸せとは。

    人は生きる事は宿命で、誰もどうにもできない事が多々あります。

    例えば、生まれた時代(年数)とか、性別や国籍はどうしようもありません。 寿命に関しても、どうして死ぬのか? どうして生きているのか? 生命誕生の神秘はあるにせよ、それが何故なのかは誰にも分かりません。

    そこで考えるのは幸せの基準なのですが、幸せな人間とは何を持って幸せだと言うのでしょうか? その基準とは、何を持って幸せだと決める事ができるのでしょうか?

    人によりその基準は色々とあるでしょうが、幸せとはある環境に置かれた人の事ではなく、ある心構えと言うか、ある姿勢を持った人の事を言うのではないでしょうか?

    例えば、お金があれば幸せかと言えば、お金は増えたり減ったりするから基準にはなりません。 また、お金があっても健康でなければ、お金だけある事を逆に不満に感じ始めて、お金はいいから自由に動けるようにしてくれと言い始めます。 お金そのものにしても、100万円貯まると次は200万円と言う風に、貯金によって満足を得るのは際限が無くなるのです。

    物にしてもあれほど欲しいと思った物が手に入れた時点で、なんとなく違う感じがしたりするのは、そこから先の事がなくなるという、次への期待がなくなってしまうからではないのでしょうか?

    物やお金が対象の場合はどうしても限界と言うか、やりつくした時点で燃え尽きてしまうと言うのが、避けられないのです。

    次に生活環境とか~育った環境とかは、自分の行動で改善できるから、これも幸せの規準にはなりません。 私自身が自閉症で知恵遅れと言われていた環境から抜け出しているから、今があると思うのです。 仕事の環境にしても資格取得や転職などで、就職先を変える事が出来るので、自分に応じた場所や職種を探すと言う努力で、いくらでも変える事が出来ます。

    つまり環境に関しても、自分の意思や行動で抜け出せるから、これも幸せの基準にはなりません。

    ところが「心構え」や「生きる姿勢」となると、自分の中で幸せと感じるのですから、周りがどうであろうと幸せに感じる事ができます。 すでに満たされているという事、もう充分に幸せな状態だと気づいている人、これらの方々は人生において欲しいものとは、もうすでに心の中にあると気づいているから、幸せだと思えるのです。

    例えば、「健康である事。」

    目が見える、足が動く、手がある、人体がきちんと形成されているのは、ものすごく幸運なのです。 もしも手がなければ、もしも目が見えなければ、もしも健康でなければ…。 このもしもの状態に無い人は、健康のありがたみを今一度考えてもいいと思うのです。

    例えば、「食べ物がある事。」

    毎日食事が出来て、綺麗な水が飲める。 お菓子も食べられるし、ジュースも飲めるし、たまには外食で美味しい物が食べられる。 美食家や食通などと言ってウンチクをたれるのは、今の日本だからこそだと思うのです。

    このように今でも充分に幸せだと気付いた人は無欲の状態なので、逆にもっと幸せが運ばれてきたりするのです。 例えるならば、お金持ちの所にお金が集まり、忙しい会社ほど仕事の依頼が多く、忙しいお店ほど人が行列を作ると言うのが好例です。

    物事に感謝できる人は、「誰かに会った時に、その相手を尊敬できる。」 会う人~会う人、全てに尊敬の念を持つ事ができれば、少なくとも相手に嫌われる可能性は低くなります。 仲良くならなくてもいいから、嫌われないようにしようと思えば、そんなに難しくないと思います。 そうなると、自分が自然体になれたり、誰と会っても普通でいられます。

    私はお会いした人全てが素敵な人だと思うところから始まるので、出会った時に嫌な人はいないのです。 会社であれ街中であれ、その誰かと出会うのは、その人と知り合いになるチャンスだと考えています。 一期一会の意味の解釈を、二度と会えないかもしれないのを、もう一度会えるようになる為と言う意味に解釈して「チャンス」と捉えるのです。

    生きる姿勢と言うのは、常日頃から自分の中で考えたり思ったりしていないと、実践するのは難しいのです。 常日頃から、「あぁしたい!」「こぅなりたい!」 このように思い続けて~考え続けているから自分の血となり肉となり、やがては信念の域にまで昇格するのです。

    あなたは自分の支えとなるべき信念を、どれくらい持っていますか?

    (/-\)いやーん 6("ー ) ポリポリ

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    携帯電話。

    人間には好奇心と言うものがあり、知りたいという欲求から色々なものを発見したり、空想の産物と言われたようなものを現実に作り出したりするのです。

    今では珍しくもなく、誰でも持っている携帯電話。 有線状態の普通の電話から進化して、無線でいつでもどこでも電話により音声が通じるようになり、とても便利な世の中になりました。 これも最初は「いつでもどこでも話ができたらいいな。」と思って無線が開発されて、それが携帯電話にまで進化したのです。

    電話の始まりと言うのは、アレクザンダー・グレアム・ベル(日本でのカナ表記は、グラハム・ベル)が1876年3月7日に米国での特許を取得して、3月10日に音声を通じさせたのが始まりと言われています。 その時は壁一枚隔てた隣の部屋にいる相棒のワトソン氏に、「ワトソン君、用事がある。 ちょっと来たまえ。」と言ったのが音声が初めて通じた最初の言葉です。

    そして翌年の1877年には、もう日本へ電話機を輸出しているのです。 ちなみに、ベルが電話で音声を通じさせた後、井沢修二氏(後の東京音楽学校校長)とその当時の留学生仲間である金子堅太郎氏(後の司法大臣)が電話を使って会話をしており、電話を使って会話をした世界で2番目の言語は日本語です。

    ただし、歴史認識と言うのは国や個人の見方により変わるもので、1854年にフランスのブルサールと言う人が理論を確立して、1860年にドイツのフィリップ・ライスがそれを実際に製作しました。 豚の腸膜の伸縮を利用して音声を電流の断続に変える装置が、ベルよりも先だと言われています。 (しかし、他国で広くは認められていません。)

    なお、この時にドイツ語で「Telephon」と呼んだことから、現在の「TEL」と言う言葉になっているのです。 

    話しは元に戻りますが、これでグラハム・ベルが特許取得により莫大なお金を得ることになりましたが、ここが歴史上におけるひとつのキーポイントになります。

    グラハム・ベルは得たお金でベル電話社(後のAT&T社)を設立して、名実共に名士となりました。 普通の人ならここでお金に目が眩んで、家や車や貴金属など贅沢&豪勢な暮らしになっていくかもしれませんが、グラハム・ベルは聴覚障害者の生活向上を図る為の労を惜しまなかったのです。

    注:元々グラハム・ベルは勉強のし過ぎで身体を壊して、余命6ヶ月と言われたこともあったので障害者への理解は深かったのです。

    名士となった以上は、当然資金力もあり顔も広くなっていきました。 そしてベルは「アーサーとケイト」と言う、一組の夫婦と出会うことになります。 ベルは聴覚障害者の教育に力を入れていたので、「アーサーとケイト」の子供が障害で教育すらままならないのを聞き、すぐにひとりの家庭教師を派遣しました。

    派遣された女性教師の名前は、「アン・サリヴァン」と言います。
    その夫婦の障害を持った子供の名前は、「ヘレン・ケラー」と言います。

    ここで、へレン・ケラーのことを知らない人もいるので、ヘレン・ケラーについての簡単な説明をしてみたいと思います。

    へレン・ケラーとはアメリカの教育家&社会福祉事業家で、自らも障害を背負いながらも、世界各地を歴訪して身体障害者の教育と福祉に尽力を尽くした人です。 1880年にアメリカのアラバマ州で生まれたのですが、2歳の時に熱病にかかり一命は取り留めたものの、聴力と視力を失い話すことさえできなくなりました。

    しかし、アン・サリヴァン(通称アニー)が家庭教師としてへレン・ケラーの元にきて、字を教え~マナーを教え~人生について説き、その後50年にわたり、教師として友人としてヘレンを支えていくことになるのです。

    もしも、ベルが電話を発明できずに普通の研究者で終わっていたら、サリヴァンをヘレンに紹介することはできませんでした。 サリヴァンがヘレンの元に行かないのなら、偉大なヘレン・ケラーは誕生していないのです。

    このように、電話の歴史を紐解いてみても意外な発見があります。

    私は人生における出会いの重要性をよく言いますが、誰かと出会うことにより自分の人生に何がどう影響するのかは、一番大切な何かを得る為に必要なのかもしれません。

    自分が運命上に存在すると言うのは誰かに影響を与えて、それが回りに回って世の為人の為に役立っているのかもしれないのです。 今までと変わらない人生がいいのなら、歩く道はなるべく変えない方がいいです。 しかし、未来における自分の変化を感じ取りたければ、たまには踏みならされた道を外れて森の中に入り込んでみるのも、新しい発見があるのでいいと思うのです。

    あなたは自分の人生が、誰にどんな影響を与えるのかを考えてみたことがありますか?

    ( ̄・・ ̄) .。ooOO○

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    価値判断。

    おはようございます。 今日は月曜なので1週間の始まりとして、今週も気持ち好く過ごせたらイイですね。 人は生きて行く為に収入と言う面だけでなく、生きがいとかやりがいと言う精神面での充実も必要です。 仕事は収入の為だけでなく、人生で何かを得る為に働くことができたなら、また違ったものが見えてくると思います。

    お勤めをしている人でも自営業の人でも、未来の予定表(予約)を一杯にしたいと思うのならば、誰かの心を希望で一杯にしてあげることが一番の早道です。

    私はお客様の心に希望の光が灯るのなら、自分に休みが欲しいとは思いません。 誰かが喜ぶ顔を見て嬉しいと思えない人が、笑顔や嬉しそうな顔を人に見せているとは思えないのです。

    いつも怒っている人は、暗い気持ちや暗い顔が周りへ伝染していきます。
    いつも笑っている人は、明るい気持ちや笑顔が次々と周りに移っていきます。

    笑顔でいることの効用はわかってはいるけれど、作り笑いをしている自分に嫌気がさしてしまう時もあります。 そんな時に思い返して欲しいのが、今の自分が居る場所と言うのは誰が指示したものでもなく、自分が運命上で選択した結果が出ているということです。

    今の現状を変えたいと思うのなら、選んだ場所から旅立たない限りは違う自分と出会うことはないのです。

    希望と言うのは決してあなたを見捨てることはないのですが、あなたが希望を見捨てることはあります。 もう無理だとか、やっても無駄だとか、自分の方から希望を見捨ててしまい「ダメだった…。」とあきらめることはあります。 しかし、希望の方は運命と共にあなたを見続けていて、あなたの行く末に良い結果が出るお手伝いはしてくれています。

    人生において経験して無駄なことや悪いことは何もなく、全ての経験を財産として活かせるかどうかだけで、無駄にしてしまうのも自分なのです。

    未来と言うのは現在の自分があるから存在しうるのですが、現在ですることが未来の自分を作り上げるという基本を忘れてしまうと、今と言う時間を大切にできなくなるのです。 一番大事なのは今起こっていることなのですが、今起こっていないことを心配して「どうしよう?」と思い悩むから、先へ進めなくなるのです。

    私はいつも思うのですが、夢は見るだけではなく叶える方が楽しいと思うのです。 確かに夢を見るのは楽しいし、想像するだけでわくわくしてくると思いますが、その夢を叶えると「もっと楽しく」なると思うのです。

    自分だけと勘違いしてしまいそうになることのひとつに、「新しいことを始めるのは不安。」と言うのがあります。 しかし、新しいことを始める時に不安でない人なんていないし、誰でも新たな道を進むのは勇気のいることです。 ただし、進む道に対していつまでも不安に思う人と、気持ちを切り替えてやるしかないと思う人に分かれるだけです。

    「新しいことは不安だ」と、いつまでも今のままでいるのがいいのか、思い切ってやってみて経験を得るのがいいのか、それは自分が選択することであり運命が強制することはないのです。 (ただし、何事も無理してはいけません。)

    続けても、良い事があるとは限らない。
    続けなくても、悪い事があるとは限らない。

    夢や希望に関しては踏み出す勇気が必要でも、嫌な事やこれ以上の上積みがないことは潔く引くのもひとつの改善方法だと思います。

    引くことの重要性は、発想の転換ともつながります。 自分に才能がないと悩んでいる人は多いと思いますが、「才能がない」のではなく「才能がまだ見つからない」と考えてください。 まだ見ぬ才能を探して進むのも、ひとつの希望の明かりとなるはずです。

    行動したことに対して出た結果を「良い」「悪い」で判断するよりも、自分らしさが出ているかどうかで決める価値判断もあるはずです。 私は色々なお客様を拝見させていただく度に可能性を感じるのは、向かない部分でがんばって思い悩んでいるのだから、向く部分でがんばれたなら、どれだけ素晴らしい結果が出るだろうと明るい未来が視えるのです。

    問題問題と言うけれど、それが本当に問題なのか?
    悩み悩みと言うけれど、本当に解決できないのか?

    何をどうしてどうやったら、それを問題とか悩みとかに区別できるのか、少しでもいいから考えてみるのも自分磨きになると思います。

    世の中には良いことばかりではないけれど、命を取られるほどのことは余りないのです。

    あなたが今直面していることは、本当に手に負えないことばかりですか?

    ワーイ♪\(^ω^\)( /^ω^)/ワーイ♪

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    想い出のワンシーン。

    おはようございます。 新事務所2日目の朝ですが、実は暖房設備の稼動ができておらず、初日は暖房無しで霊視したのでお客様には大変申し訳なかったです。 今日は朝5時よりブレーカーなど設備の点検や掃除などを済ませて、なんとか稼動させることができました。

    早朝の暗い中で屋外作業をしていたら、昔の建設現場時代をふと思い出してしまいました。 誰しも記憶の中に残る思い出のワンシーンがあるのですが、ホロリと涙がついこぼれてしまうような切ない想いは、心の宝箱の中で大切に取っておいてもイイと思います。

    心に残るワンシーンが人生において何を意味するのかは、人それぞれ想い出の深さがあり一概には言えません。 仕事や恋愛、遡れば学生時代の淡い思い出、色々なシーンで想い出の中で鮮明な追憶となるワンシーンをどれだけ心のアルバムにしまってあるのでしょう。

    例えば、恋愛だけとっても色々なワンシーンがあります。 (切ない恋の物語は、恋する人の数だけ存在するのです。)

    好きで好きでたまらない人と、ついに想いが叶ってお付き合いすることになった恋愛成就日。 この恋愛が成就するという瞬間は無性にウキウキしてきて、「あぁ、イイ天気だなっ!」 どんな天気であろうとも、こう思えるくらい嬉しい気持ちがあるのが、愛する人と一緒にいれるようになった瞬間。

    恋をしているだけで、ひとりじゃないという実感を味わえる。 「あぁ~あ! 落ち込んでいたのに…。 あなたからの電話で、また元気になっちゃった。」 人生のパートナーがいると言うのは、心の張り合いを持つ為にもイイこと。 たったヒトコトだけれど、ウキウキしてくる大きなヒトコトは誰でもいいわけじゃないの。

    恋をしている時はイイことばかりじゃなくて、時には涙のしずくが想い出の空を流れる時もあるけれど、恋をするのは待つ時間でさえ楽しくしてくれる魔法みたいなもの。 さよなら~さよなら、あなたがいたから今のわたしがあると思えるくらい、素敵な恋をした瞬間は、さよならさえ素直に受け止められるようになるかもしれない。

    「すき、きらい、すき、きらい…。」 何度も何度も心の中でひとりつぶやくのは、本当は彼のことが好きだから。 好きと言う気持ちを押し殺して~自分の気持ちに無理して、それでは恋愛に向き合っているとは言えないかも…。

    想いが届かないかもしれない、想いが届くかもしれない、心の中にあるホンの少しの勇気を出すだけで未来の結果がわかってしまう。 本当は想いを伝えるのに勇気が出ないんじゃなくて、想いが叶うかどうかの結果が出るのが怖くて、伝える勇気が出ないのかもしれない。

    好きでいるのは苦しいのかもしれないけれど、好きじゃないって嘘をつくのはもっと苦しいと思います。 「どうか、わかってください。」 こう想い焦がれるのは、涙と共に明日を信じるということにつながるのかな?

    同じ恋をするのなら、「わたしの全部は、アナタで作られている。」 こう信じれるほど、彼のことを想ってもいいんですか…。 自分の誇りは大切にしまっておいて、幼い時の想い出のように、いつか取り出して幸せを感じれるようになるかもしれない。

    「雨のち晴れ、時々曇り。」 天気がめぐるましく変わるように、わたしが彼を好きな度合いも彼の反応と共に変わってくるのは当たり前だから。

    昔みたいに話せたらイイナと思っても、好きと言う気持ちが出てきた以上、それは無理なこと。 ヒザ突き合わせて普通に話せたのは友達の時で、意識しだしたら思いはあの時のままでも、もうわがままは言えなくなるのが愛し始めた証拠。

    ごめんね…。 まだ、アナタの幸せを願えるほど、気持ちに整理がついてないの。 まだ、わたしの幸せを願っていたいの。 別れたことが、頭では理解できても心で理解できるほど、時間が経ったわけじゃないの。 わたしの中では旅立ちの時間がとても長く感じるから、とりあえずのサヨナラとしか考えられない。

    アナタがつけていた香水だけでも手に入れたいと思って売り場にいくのだけれど、いつも買えずに帰ってきてしまうのは、まだアナタへの思いが複雑に残っているの…。

    いくつか、恋のワンシーンを列挙してみましたが、恋する気持ちは100人いれば100通り。 同じ相手に恋しても同じ恋の物語が始まるとは限らないのが、運命のいたずらと呼ぶべきものなのかもしれないのです。

    彼が言った一言、「俺たち」や「僕たち」など、一緒にいることを実感させてくれる言葉が嬉しかったのは、紛れもない真実が心の中に響いてきたからです。 言葉と言うのは悲しくも嬉しくもさせてくれる魔法のようなもので、使い方によって良い悪いがはっきりと出てしまうのです。

    「悲しかった時」
    「嬉しかった時」
    「恋しかった時」

    あなたの中の想い出は、どのようなワンシーンとして残っていますか?

    (ノ_<。)うっうっうっ

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    お客様への感謝。

    おはようございます。 本日より新事務所にて、霊視カウンセリングを開始できる運びとなりました。 素敵なお客様のおかげで今まで何とかやってこれたのですが、今後もますますの努力と精進を持って歩んで行きたいと思います。

    霊視カウンセリングは普通の占いとは違い、お客様の未来を強制して言うことはありません。 運命は決まっているわけでも必然でもなく、自分で作り上げていけるからこそ楽しいと思うのです。 お客様の選択肢や未来を広げる為に、霊視カウンセリングを有効利用していただければ幸いです。

    あなたの輝かしい未来において、無理なことやダメなことはひとつもありません。 ただ、その起きたことに対して理解や納得があれば、またその先へ進める原動力となるのです。 以前の私は自分の未来を見ることが嫌で嫌で、「どうせ暗い未来しかない」とあきらめていた時代がありました。 しかし、運命はチャンスをくれて、立ち直るきっかけを作ってくれました。

    ならば、それに対して何もしないのは私自身の問題で人のせいにはできない。 人のせいにできない以上は、自分で行動するしかない。 その繰り返しで今に至るのですが、それは決して自分ひとりの力ではなく、お越しくださるお客様に元気をいただいてこそ今日があるのだと感謝しております。

    未来は選択により変わるのですが、のんびりしすぎているとわかっていても避けられないことがあります。 この度も移転することになったのは、私が自分の未来を過信していたと言うヒトコトにつきます。 元々西ビルには2年間だけ居る予定で、それ以上留まることは無理と言う未来を見ていたのに、「怠けていた&見落としていた」と言うしかないのです。 (私の不徳のいたす所です。)

    私は以前とは運勢が違ってきていますし、同じ道ばかり歩いているわけではないので、いつまでも同じ場所には居られないのです。 運気が一緒なら同じ場所に留まることは可能ですが、運気が違ってきたら人間関係や住居や職場などが次々と変化してくるのは、運命を切り開いているのと同じで止められないのです。

    新事務所に来た人は、以前とは違う感じを受けるでしょうが、それはこの事務所は素敵な運気の塊だからです。 新事務所は私が内装工事をして、自分がしたいと思ったインテリアにしています。 また、こうしたら良いと思うことを誰にも文句を言われずに次々と実行できるので、ここへ来るだけでなんとなく良い感じになると思います。

    なお、それは風水(方位や気学など含む)で決めているのではなく、私が心地好いと思うことをしているのです。 クマのプーさんを置きたいと思えば置き、加湿器を置きたいと思えば置き、水晶を置きたいと思えば置く。 (西に黄色で商売が流行れば、世の中に苦労はないのです。)

    新事務所の場所は霊視で視て決めましたが、内装も同じようにどうしているのかを視て、壁や天井は白にしているのだから白に、入り口には白い椅子を置いているのだから白い椅子を用意する。 このように今度の事務所は全部未来でどうしているのかを視て、その通りの内装&インテリアにしているのだから外れはありません。

    注:ただし、これは自分のことなので「時間制限無し」で視ているからできるのです。 お客様を見る時は時間内で視るので、ここまでできるかと言われればできない場合もあります。 2~3回お越しくださったお客様の場合は視やすいということもあり、お店の内装などを「未来でこうしています。」と同じように言う場合もあります。

    例えば、家具屋さんに行っても希望通りの品に落ち着くようなことばかりありました。 本棚を注文した時に目的の物がないので仕方なく、そのお店にある物を注文すると「製造中止だったので代替品になります。」と連絡があり、その代替品が霊視で視た物だったということもありました。

    「お客様の笑顔。」

    私にとっての霊視カウンセリングとは、これが一番嬉しいことなのでお客様が心地好い場所にするのは当たり前のことなのです。 自分のプライドを満足させる為の事務所にするのは、私ではありえないことです。 「えっ、ここ土足でイイの?」とお客様に言われるくらいにしていますが、汚れたら掃除をすればいいだけのことです。 (注:土足OKなので、遠慮なく中へお入りくださいね。)

    事務所と言うのは「お客様の為」にあり、「私の為」じゃないのです。 事務所に入った瞬間から、嬉しい気持ちや楽しい気分になり「あれっ、何を聞きに来たのかな?」と相談内容を忘れるくらい幸せな気持ちになれば理想です。 お店や事務所を出す場合、「わたしの事務所」とか「わたしの店」と言うような、自分を中心に考えるようなことはアヤシイ?霊視カウンセラー的にはできません。

    「なんかわかんないけど、ここって心地好いね!」

    こう言ってもらえたなら、私はとても嬉しいです。 高級家具や贅沢な内装で気分良くさせるのなら、一流ホテルや三ツ星レストランには太刀打ちできません。 しかし、雰囲気が良いから「いつのまにか心地好くなっていた」というのは、言葉や物で説明できない部分でしか作り出せないのです。

    この事務所は霊視で視ていた太陽の光がとてもキレイで、偶然起こることですが朝8時頃から5~10分間ほど、太陽の光でとても不思議な風景になります。 もしも朝、時間がある人は遠慮なくお気軽に事務所へお立ち寄りください。 私は人が来て嫌だなんて思わないし、人で賑わう事務所はとても素晴らしいと思っているので、用事が無くても立ち寄ってもらえるのは嬉しいです。

    世間的には、西に黄色でお金持ちになれるとか、南西にピンク色で恋愛が上手くいくとか、こういう風水が流行っています。 また、守護霊や前世がどうのこうのと言うのも求める人がいる以上はイイと思いますし、上からものを言う叱るタイプや神の声が聞こえるなど、占いにも色々なタイプがあって然るべきです。 どんな所やタイプであろうとも、心が元気になるのならそれはそれで良いことだし、否定するものではありません。

    私の霊視カウンセリングもその中のひとつのタイプ(考え方)であり、自然と心が軽くなり生きる勇気や元気が出ればイイナと言うのが、私のあるべき霊視カウンセリングだと考えていますし、そうなりたいと思います。

    私は今日から運勢が以前より良くなり、更なる飛躍ができるようになる…かな?

    まだ、このような断言をできるほどではありませんが、少なくともこの新事務所にお越しくださる全ての人に、心地好いスペースを提供できるように努力したいと思います。

    これもひとえに、これを読んでくださっている素晴らしいお客様や、日本全国からお越しくださる素敵なお客様と、一期一会の出会いがあればこそだと感謝の気持ちで一杯です。

    今後とも御支援と御愛顧の程、よろしくお願い申し上げます。

    v(^_^v)♪ありがとうございます♪(v^_^)v

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    運を壊す人。

    どんな人でも一度や二度は感じたことがあると思いますが、自分は何もした覚えはない筈なのに、急に運が悪くなったことがありませんか?

    私も気をつけてはいるのですが、運の悪さや良さは伝染することも多く、運の悪い人と行動を共にしていると、急激にやることなすこと全てケチがつくようになったりします。 ただし、それはずっと同じではなく未来における運勢の変化は当然あるので、今は運が良くても未来でも運がイイかどうかは別なのです。

    運を壊す人と言うのは、知らず知らずのうちに相手の運にダメージを与えてしまいます。 このタイプの人に出会ってしまうと、私もダメージを受けることがあります。 このダメージは人にもよりますが、2~3日でなくなる時もあれば、1ヶ月くらいかかる場合もあり、ダメージを与えられる量はその相手のクラッシャー度により違います。

    例えば? 何故か就職先が全部潰れてしまう人や、行く先々で急にトラブルが発生する人、経営者ならば従業員の人と喧嘩別ればかりして2度と会うことがないとか、不思議とトラブルばかりを呼び込んでしまう人がいます。

    本人に責任はないのですが、関わっていると自然と運が落ちてくるとか、不思議と不運なことにばかりめぐり合わせる間の悪さとか、なんとなくタイミングが悪い歯車がかみ合わない状態、これを自分だけでなく周りの人にも影響を及ぼしてしまうのです。

    運とは目に見えないので、「そりゃ、偶然だ。」と言われればそうかも知れませんが、私は毎日色々な人にお会いしているからこそわかる部分もあります。

    それは、私の目の前にいるお客様自身の運が悪いわけではないのに、不運なことが起こっているという状態を何度も視ているからです。 目の前にいるお客様の未来を視ても、良い未来があるのに運を壊す誰かと関わっているせいで、運を吸い取られると言うか~運を乱されていると言うか、不思議と運を壊されてダメージを受け続けている人がいます。

    霊視でお客様にダメージを与えている人を発見して、「この人とは挨拶程度で、相性的にどうかなぁ~?」と、やんわり遠まわしに言っても何故か?その人から離れられない状態に、はまりこんでいる場合もあります。

    「運が悪い人と運が良い人。」 これは認める認めないは別にして、占いが好きかどうかも別にして、なんとなく存在するだろうと言うのは誰しも感じていると思います。

    生まれ持った幸運や努力により呼び込んだ幸運など、色々な部分が交差して人生を作り上げるので必ずこうと決まっているわけではないのですが、運の良い人は運の良い道ばかりをなんとなく選んで歩くようになる場合が多いです。

    運の悪い人は自ら泥沼に足を突っ込む場合が多いのですが、運の良い人は危険な道は最初から歩かないし、足が少しでも汚れたら泥沼だと気付いて修正してしまうのです。

    運が悪い道に入り込んでいる人は、本人には責任が無いのだけれど責任を負う道を選んで、苦労ばかりする道を選択するようになる場合が多いです。 何故こんなことになるかと言えば、義理人情とか~先輩後輩とか~同僚や知人~さらには恋人や夫婦など、人間関係を冷静に見れなくなってしまう立場にいるからです。

    運の悪い人といると、自分の運も悪くなる。
    運の良い人といると、自分の運も良くなる。

    以上の事柄は、上手く説明はできなくても肌で感じると言うか、感覚的にわかっている人は多いと思います。 いくら運の良い人でも物には限度があり、最悪の運勢の人といると理由はわからないけれど、急に不運になったと言う状態がいつの間にか忍び寄ってきます。 

    自分がいつもと違うと感じたなら、それはあなたの「第六感」が正しい証拠で気をつけないといけないのです。

    なぜか、歯車が狂っているのではないのか?
    なぜか、タイミングが悪いのではないのか?

    不運の原因を見つけて修正すれば簡単なことでも、人間関係が絡んでくると無視したりできないので、否応無しに一緒にいないといけないのです。 間をはずすと言う言葉があるように、これは危険だと「第六感」が指示したら、すぐにその場を離れるとか~すぐに席をはずすようにするとか、不運な状態を長く続かせないようにしないといけません。

    運の貯金と言うのは、使うのは簡単ですが貯めるのは難しいのです。

    運が悪いとか~運がいいとか、人は色々言うけれど生まれ持った天賦の才だけでなく、自分で引き起こしている場合もあるのです。

    あなたは出会う人や周りの人の、運勢の勢いをキチンと見ることが出来ますか?

    (^◇^ ;) ほぇ~ (°m°;) アレマッ! (◎-◎;) ビクッ

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    自閉症とは。

    おはようございます。 昨日はPCの設定が、やはりスムーズに行きませんでした。 白石さんとWさんに来ていただいたのですが、私の手続きの仕方に問題があって御迷惑をおかけしてしまいました。

    待ち時間を作ってしまい申し訳ないので香川県の○○事件の真相と、この事件について私が何故一切ログに書かないのかの理由など色々お話していたのですが、Wさんは途中から設定作業しながらだったので事件の真相が気になって、耳がダンボになってたかもしれません。

    何とか設定してもらい本日も無事にログが更新できていますが、私は元々自閉症でパニックになると、どうしてイイのか思考回路が停止することがあります。 今は昔ほどではありませんが、どうしようどうしようと焦り始めるとどうにもならなくなる時があります。

    自閉症と言う言葉を聞いたことがあっても、それがなんなのかを知っている人は少ないと思います。

    自閉症とは、言葉の意味をうまく理解できなかったり、相手の感情を共感できずに自分の感情を最優先して、人とのコミュニケーションがうまく取れないのです。 その他にも特定の音や声に反応して不安や恐怖を持つことがあります。

    また、自分の持つこだわりが激しく変化することを嫌がります。 環境は同じ方が安心するし、スケジュールを決めたらその通りでなければ納得できないし、急激な変化に対応できないのです。 時間の概念に対しても敏感で、一度決めたらその時間通りでないと待つことがとても苦痛なのです。

    いま自分が何をすればいいかがわからない時は不安が大きく、予定調和の中ではとても平穏に過ごせます。 慣れない場面や初めてすることに対しては緊張が走り、できるだけ過去の体験にすり合わせて、混沌とした状態を決められた手順どおりにするようにして、周りから誤解を生むこともあります。

    注:今の私を見て自閉症と言う人は余りいませんが、私は人と話ができませんでした。 相手に何かを言われることを恐怖に感じていたので、愛想笑いをして嫌なことでも耐えるしかできなかったのです。

    自閉症は聴覚よりも視覚優先で、話しかけるよりも絵で説明する方がわかりやすいと言う特徴があります。 そして抽象的な表現や言い方では理解できずに、白黒はっきりつけるような言い方をする方が良いのです。

    例えば、「もう少ししてから行きます。」→「もう5分したら行くからね。」のように、具体的にわかりやすく言わないといけないのです。 つまり、結末をはっきりさせて、ゴールはここだからこうしようと言う問いかけの方が良いのです。 できればその後の予定表を見せて説明すると、余計に安心感が広がり落ち着いて行動できるようになるのです。

    規則の理解にしても、否定形ではなく肯定系で言う方がわかりやすいです。 「廊下を走ってはいけません。」→「廊下は歩いた方が、静かで素敵だよ。」 このように言い換えると理解できるのです。

    なお、自閉症の人がこだわりを持つのは、自分に対して落ち着かせようとか~安心させようとか、自分を保護する為の行動なので、そこは見守ってあげないといけないのです。

    自閉症と言っても普段はとても物静かな人が多いのですが、パニック(問題行動)が起きた時に自閉症と感じてしまうのです。 自分の思いをうまく伝えられない時や不慣れな場面に遭遇するとパニック状態になり、問題行動を起こしてしまいます。 この問題行動の中身は人により違うのですが、黙っていなくなる、傷つける、怒り始める、物を壊す、服を破るなどの、人が理解できない行動をしてしまうのです。

    ただし、私の場合は親がロクデナシだったのが幸いした部分もあります。

    親がちゃんとしていないから自分で行動せざるを得ない、そういう状況だから立ち直れたと思います。 もしも私の親がまともならば、働かなくても生きていけるから家に閉じこもっていればいいので、ニートになっていたかもしれません。

    また、いじめに遭うことで相手に対してしてはいけないと言うことを学べた部分も大きいです。 もしも私がいじめに遭わなければ、傲慢で態度のでかい人を馬鹿にする大人になっていたかもしれません。

    その他にも、もしも学校の先生が尊敬の対象となるような人だったら、今の私はないと思います。 私の質問に答えられる先生がいないから自分で勉強しようと言う気になり、遺伝子学、物理学、医学、経営学、文学、歴史など、あらゆるジャンルに興味を持つことができたと思います。

    最後に自閉症の特徴として、抜群の記憶力があります。 1988年の映画「レインマン」が有名ですが、あの映画の通りの記憶力が自閉症の人には備わっています。 自閉症の人が資格試験を受けると、内容を理解しないまま記憶力により合格してしまうことがあります。 資格を持っていても、「じゃあ、やってみろ」と言われるとできないのが現実です。 (例:私は情報処理を持っていますが、PCは苦手で使いこなせません。)

    自閉症は理解されにくいので、お子様がその状態だと思われたなら、愛情を持って接してあげて欲しいです。 子供は生まれてしばらくの間は親だけが頼り、その親に見離されたならどうすればいいのか、子供の心の内にある寂しさを汲み取ってあげて欲しいと思うのです。

    あなたの心に宿る本当の優しさが、誰かの心に愛情を灯すと思いませんか?

    ヽ(^◇^(。。 )ゝ ダイジョウブダヨ

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    予期せぬ出来事。

    おはようございます。 今日から本格的に事務所の移転に入りますので、内装工事も急ピッチでしています。 午後よりPCの移動と設定を白石さんにお願いしてあるので、ログ更新も途切れず出来る予定なのですが内装工事をしているのは私なので、それが一番予期せぬアヤシイ部分かと心配しています…。

    世の中には予期せぬ出来事と言う言葉があるように、本来考えている様にばかりはいきません。 もしも、計画を実行してから思いもよらないことが起きたら、「どうしよう?」と思い悩むのが自然です。

    起こってしまった事柄(事象)を変えることはできませんので、その結果に対して臨機応変にやり方(対処法)を変えていくしかないのです。 人は何かを始める時には計画を立てるのですが、その計画通りに行かないのが人生なのです。 人生は思い通りに行けば良いのですが、思い通りにいかないからこそ悩んでしまうのです。

    進学する、就職する、独立する、お店を出す、引越しをするなど、その他にもまだまだありますが、人生において始めてすることなのだから、計画通りにいかなくても当たり前なのです。

    例えば、Aさんが大学に進学するとします。 しかし進学と言うのは当たり前に思うかもしれませんが、Aさんが大学を受験するのは初めてだし、Aさんが大学に通うのも初めてです。 同じようにBさんが就職するとして、その会社に新入社員は大勢いるかもしれないけれど、Bさんにとってはその会社が始めての経験なのです。

    言葉として進学や就職と言う言葉を知ってはいるけれど、体験するというのは常に初めてのことばかりです。 同じ業種に転職したとしても、職種には慣れているかもしれないけれど、その会社に慣れているわけではありません。

    人生において始めることは全てにおいて未知なる世界で、過去の記憶や知識として知っていることを、慣れと勘違いする為に予期せぬ出来事が起きてくるのです。

    物事を見失いやすいのは、「知識と知恵」を混同して間違えてしまうからです。

    あなたと言うひとりの素晴らしい人間は、体験したこと全ての集大成が作り上げているのであり、知識として頭の中だけにあることがあなたと言う人間を作り上げているわけではないのです。

    本を読むということは自らの意識で考えるということであり、それにより得た知識は忘れた頃に役立つ知恵となります。

    知識と言うのは、今の時代なら簡単に手に入れることができます。 本やインターネット、専門学校や塾なども多種多様にあり、勉学するというのはそう難しい事ではありません。 つまり知識と言うのは、本人が望めばそう苦労しなくても手に入れることができます。

    ライオンについて知りたいと思えば、すぐに調べることができます。
    ケーキの作り方が知りたいと思えば、これもまたすぐに調べることができます。

    しかし、知識としてライオンのことがわかっていれば、猛獣使いになれるかといえば違います。 同じようにケーキの作り方を知っていれば、必ず美味しい物ができるかと言えば違います。

    知恵を出すと言うのは、「どうしてなんだろう?」と考えるから、初めて生まれるものなのです。

    どうして、ライオンは自分の言うことを聞かないのか?
    どうして、このケーキは人気店の物と比べて美味しくないのか?

    自分の実体験により必死に考えることで、知識だけではない新たな知恵が生まれるのです。

    知識と言うのは基礎部分として必要ではありますが、それだけだと頭でっかちになり余計な障害を生むことがあります。 理論的に無理とか、過去にやった人がいるけどできなかったとか、いくら良い提案をしてみても、頭ごなしに否定されてしまいます。

    この世の中に起こる、「誰かと自分の体験」は似てはいるけれど別物です。
    誰かの体験はあくまでその人の体験であり、自分のことではないのです。 

    世の中には実際にやってみなければわからないことがたくさんあり、いくら昔はできないと言われていたことでも、今はきちんとできるようになっているかもしれないのです。 条件や技術の進歩など、過去の自分と今の自分は違うのですから、物事はやってみないとわからないのです。

    今やっていることや努力していることは無駄ではなく、未知なることへの挑戦でもあります。

    あなたが積み上げる体験は素晴らしい未来を切り開くと、運命が語っていると思いませんか?

    (^ニ^)(^コ^)

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    100人に1人の人材。

    「100人に1人」の人材と言うのは、「100人に1人」しかいないから凄いのであって、どこにでもいたらそれは普通になります。 しかし、「100人に1人」の人材になる可能性は誰もが持っていて、ただそれを気付いているかどうかだけなのです。

    私は色々なお客様の人生を拝見させていただいていると、「惜しい。」「ワンチャンスで…!」 このように「あと一息で凄くなる可能性がある」のに、本人が気が付いていなかったりします。

    世の中には経営コンサルタントに代表されるように、人生指南や経営指南は色々ありますが、それが果たして本当に自分に合っているのかどうかはよく考えないといけないのです。 「人生のメンターを持て」とはよく言われますが、「じゃあ、誰のこと?」となると途端にわからなくなります。

    経営コンサルタントでも銀行マンでも、数字には強いし頭も切れるし学歴もある人が大部分です。 本当に申し分ない人生だけれど、実際に自分がお店を経営したことが無い人が多いのが不思議と言えば不思議な所です。 また、思い切って独立しても銀行マンで成功した人がどれくらいいるのかと言えば、銀行に就職した人が辞めずに勤めていると言う現状がひとつの答えです。

    証券会社でも、本当に証券会社の人の言うことが正しいのなら、何故売買手数料などで利益をたたき出しているのか、自分が会社を辞めて株の売買をして儲ければいいのにと、いつも思ってしまいます。

    私はそういう場所へ行ったことがないのでわかりませんが、○○セミナーや○○勉強会などの自己啓発セミナーに行くと、自分を改革しようとか色々言われるらしいですが、私は興味がない話が多いです。

    あるセミナーでは、コンサルタントの方が集まった人々に、「ここに300万円あります。 これを自由に使ってもイイと言われたらどうしますか?」と言うような質問をされます。 普通は「貯金」「家」「車」など、自分なりの使い道を言うのですが、そこで一言「だから皆さんはダメなんです。」と、こんな感じでお話を進めていくらしいのですが、これで「つかみはOK!」となるのがセミナーの不思議な所です。

    コンサルタント曰く、「これを誰かの為に使う。」「増やしてから使う。」など、色々なバージョンで、まず「ダメさ加減を演出」して「ここを改善しよう」と話がつながっていくのです。 しかし、私は同じ質問をされた時に「全額寄付します。」と答えるので、コンサルタントなど色々な方々が、逆に私にどういえばイイのかわからなくなるそうです。

    私は「100人に1人」の人材は見つけやすいと思っているのですが、それは各人の才能が目覚めると、自動的に「100人に1人」の人材となっているから、見つけ出すのではなくて目覚めさせるだけなのです。

    あなたは、間違いなく「一流」です。

    もしも、それに文句をつける人が居るなら、何を根拠に言うのか知りたいです。

    仕事が遅いとか、グズだとか、いじめられていた人が会社を変わった途端に、「彼女は丁寧に仕事をしてくれる。」と、評価が一変して本人もやる気が出たというようなことがあります。

    人の見る目と言うのは当てになりませんが、それは自分の体験でしか人を見られないからなのです。 自分の過去に照らし合わせて人を評価するのは、相手の可能性を封じ込めてしまうことになるかもしれません。 人の記憶回路はいい加減で、自分の都合のいいように記憶をつなぎ合わせてしまうことがあるので、それを元に相手を評価するのはとても危険なのです。

    「100人に1人」の人材。

    それは紛れもなく、あなたの中に眠っているのです。 私はそれを発掘して、輝ける方向に進むお手伝いができたなら、とても幸せで嬉しいです。

    日本には昔から「天は二物を与えず」という言葉がありますが、逆に言うと一物は与えてくれているということです。 誰でも才能や可能性があるのだけれど、それを使えなかったりわからないままでいるのなら、持っていないのと同じことになってしまいます。 私の場合は運命が助けを差し伸べてくれて、素敵なお客様に出会うチャンスをくれたのですから、一生懸命にやらなければ自分自身にも嘘をついたまま人生を終えることになります。

    人には人生で一度もチャンスが無いということはなく、誰でも何度かのチャンス(別れ道)は来るのですが、そのチャンスの時に「どう決断するか?」でその先にあるゴールは変わってくるのです。

    ただし、一つだけ注意しないといけないのですが、お勤めをしている場合は「社長や上司」により「可能性」を「封じ込められたり⇔見いだされたり」して、かなり自分以外のことで左右される点です。 よく自己啓発本やTVなどメディアでも、「打たれる杭になれ!」とか「人と違うことをしろ!」とか、上を目指す為の正論ではありますが、実際やると人間関係に亀裂が入ったり、会社での立場がまずくなったりするので、基盤も基礎も固めずにむやみやたらに実行してはいけません。

    それをしても良いのは、「認めてくれる。」「度量が広い。」「人間力が素晴らしい。」と言うようなことが当てはまる、素晴らしい「上司や社長」でないと無理です。 (社会生活における人間関係は、無難とか平穏無事と言うのも世渡り上手のひとつです。)

    もしも、尊敬できる素敵な上司に出会えたなら、あなたの想いをぶつけてもキチンと返事をしてくれると思います。 そして社長や上司と呼ばれる人は、人を見る目をしっかりと養ってください。

    あなたは「100人に1人」の人材ですが、自分の未来を大切にできていますか?

    (=^_^=)

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    直感。

    おはようございます。 今日は月曜なのでお仕事の人も多いと思いますが、笑顔で元気に過ごせるように、日々を努力できたら素敵だと思います。 私も事務所移転が近づいてきたのですが、移転の日をはっきりと書いていない&お知らせしていないのは、西ビルでの霊視もギリギリまでしていたいと思ったからです。

    しかし、お客様の「直感の鋭さ」には驚いているのですが、新事務所オープンの日以降の予約は次々入るのですが、それ以前の予約はゼロです。 残りの内装工事や引越しの為に何日か休まないといけないなぁと思っていたのですが、予約ゼロなので自動的に休みとなりそうです。

    直感とか、虫の知らせとか、人は五感(見る、聞くなど)以外の不思議な力を誰でも持っています。 右脳が関係しているのですが、危機的状況や危険回避など自分に何かが起きる時に目覚めることが多いのですが、元々持っていたものを使えるようになっただけなのです。

    まず「直感」の方ですが、人生の上においてこの直感と言うのはかなり重要です。 仕事でも恋愛でも、何かについて考える時にその有効性が発揮されて、他の人との差が生まれることもしばしばあります。 

    直感とは、瞬間的に~もしくは突発的に新しいアイディアやひらめき(考え)が生まれることです。 もしも、これを意図的にコントロールできるようになれば凄いのですが、ナカナカそういうわけにもいきません。 理論上はコントロールできるのですが、実際は偶発的な場合が多いです。

    ただし、日頃からそのことについて考えていたりして、努力の下地の上にその能力を高めて、偶然を必然に変えることはある程度可能だと思います。

    直感力を高めるのは、まず何よりも右脳が有効に働いていないと無理です。 右脳は「想像、直感、芸術」などの分野を処理する能力があるのですが、普段の生活においては余り使うことはありません。 右脳タイプの人は、「劣等性」「変わり者」などと、普通の人とは感覚が違うことが多く、学校や組織の中では実力が発揮できません。

    ちなみに左脳の働きとしては、「論理的思考、言語、計算」などの処理が働いているので、日常生活を送る上では左脳の方がよく使われています。 勉強ができる人は、この左脳がしっかりと機能している場合が多く、現代社会では左脳がよく働く人の方が「優等生」「仕事ができる」と、学校や組織の中では重宝されるようになります。

    なお、この直感に関しては明らかに男性よりも女性の方が優れています。 人類の発祥よりこれは不変であり、例を出すと「男性の浮気を女性が見抜く」のは簡単ですが、「女性の浮気を男性が見抜く」のは、かなり難しいと思います。

    次に「虫の知らせ」については、これは身近な人に何かが起こると予知した場合に使われることが多いです。 実は近親者や友人知人などが亡くなることを予知する人は、日本だけでも年間で4千~5千人くらいはいるのです。

    肉親が枕元に立って死を知らせるとか、亡くなった同時刻に人影を見かけたなどの体験例は多いと思います。 虫の知らせが直感と違う部分は、愛情や人情など近親者や身の周りの人に対する想いが生み出している、人間の能力と言う点があります。 想いを伝えたいとか、最後にもう一度会いたいとか、心からの想いが呼び起こす現象であると思うのです。

    直感や第六感や虫の知らせなどは、超心理学でも研究対象とはなっているのですが、通常の器官と違い証明できる部分がない為に、科学的根拠に乏しく否定的な科学者も多いです。

    大地震や天災など何かが起こった場合でも、度々マスコミなどで事前に察知していたなどの事例が出るのは出るのですが、その多くは確率論や集団心理学なども絡んできます。 また、事後報告がほとんどで「わかっているなら、何故先に言わない?」 この部分で科学的立証は不可能とされています。

    ただし、立証できないからと言って「直感や第六感」を全面否定する材料がないのも真実です。

    シンクロ現象や量子論において、その科学的説明をつけようとも試みられていますが、今のところはまだなされていません。

    私はいつも思うのが、人は素晴らしい能力を持っているのに自らがそれを否定してしまうことがあるのです。 直感は正しいことを指し示してくれているのですが、つい頭でそれを否定して間違った方向へ進んでしまうのです。

    あなたは自分の直感を、大切にして信じることができますか?

    (°◇°;) ゲッ (°〇°;) おおっ (⌒▽⌒;) オッドロキー

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    優先順位。

    今日は日曜日ですが、「今日は何して遊ぼうかな?」「今日はどこへ行こうかな?」 このように明るい気持ちで過ごせたなら、幸運が向こうの方からやってくるかもしれません。 大丈夫、きっとあなたは素晴らしい一日が過ごせるはずです。

    さて、日曜日は少し軽めのお話をすることが多いのですが、今日はお客様より質問のあった内容に関して返答を兼ねた内容です。 お越しくださったお客様より時々聞かれるのが、「寄付の優先順位はあるんですか?」と言う質問なのですが、私もお金を印刷しているわけではないので無尽蔵にはできません。 (寄付の配分や割合は、ほぼ決まっています。)

    「自分がしなければ、他の誰がするのか?」 これは誰であろうとも、意気に感じると心を動かす原動力のひとつです。 いつも感じるのですが、必要とされる度合い&感じ方でも心が動く原動力は違ってくると思うのです。

    お越しくださるお客様から、ご相談内容以外にも「どうすれば、社会に貢献できますか?」とか「どうすれば、人の役に立てますか?」 このような質問が増えてきているので、私自身もより一層の努力が必要だと感じています。 (私が自分に甘いようでは、人に対して何も言う資格がないと思います。)

    セーブ・ザ・チルドレンやユ○○フなどは支援している人も多いし、公的機関の援助がある場合も多いので、私がしゃかりきにならなくてもいいかもしれない。 有名なボランティア団体になると、芸能人や有名人も含めて私以上に貢献している人が大勢居ます。 寄付はいくらあってもいいと思いますが、やはり寄付金額の少ない所に援助した方が、より喜ばれるのではないかと考えさせられることがあります。

    例えば、1万円を寄付するとして、寄付金が年間1000万円集まる団体と年間10万円集まる団体では、10万円集まる団体の方へ寄付する方がはるかに1万円の価値があるのではないのか…。 (寄付する先の利用頻度や有効利用の面まで考え始めると、どれが正解かわからなくなる時があります。)

    私が寄付する金額の比率が一番大きいのは日本盲導犬協会で、その次に多いのはマザーテレサの関連施設への寄付です。 (その次がセーブ・ザ・チルドレン、最後がユ○○フです。)

    盲導犬は圧倒的に数が足りないし活動費用の95%が寄付なので、「なんとかせんといけん。」と誰かの台詞みたいですが、本当に大変な中でやっている人達に報いたいと考えています。 そして、マザーテレサの関連施設への寄付ですが、これはお礼の手紙が来るたびに心が痛むのです。 「寄付して心が痛むとは、なんでやねん?」と思うかも知れませんが、それには理由があります。

    マザーテレサが亡くなってからは東京にあるマザーの関連施設、神の愛の宣教者会(女子修道会)へ寄付しているのですが、「最も貧しい人たちの為に働くこと」を使命とするのは素晴らしいと思います。

    注:ただし、私はいかなる宗教~団体~占い師などと、一切関わりはありません。 私自身の神に対する考えはまた別なものであり、他のスピリチュアルカウンセラーやヒーラーや占いの先生方とも、かなり方向性が違う未熟なアヤシイ?霊視カウンセラーです。

    実はここは教会でもあるけれど、男性に暴力を振るわれて逃げてきた女性を保護したり、生活苦の人を助けたりしています。 マザーテレサの精神が生きているなら、援助しないわけにはいかないと思います。

    マザーテレサに関するところへ寄付した人は知っていると思いますが、寄付したらちゃんとお礼の手紙が届きます。 マザーテレサに手紙を出して返事を貰った人も大勢いるし、その手紙を受け取った人達はどれだけ励みになったかもしれません。

    私はこの話をある経営者の人にした時、「ふ~ん。 所詮は印刷かコピーで、直筆の手紙じゃないから意味も価値も無い。」 こう言われました。 確かに印刷かコピーの場合が多いのですが、世界中から来る寄付のお礼を全部手書きでしていたら、その他の業務ができなくなります。

    「マザーテレサ本人が、直筆のお礼の手紙をくれるなら寄付する。」と言う方が、いやらしい考え方だと思うのです。 寄付をした人が貰ったお礼の手紙を馬鹿にするなんて、人としてしていいことかどうか位の分別は持たないと、大人のマナーとしてはどうかと思います。

    すみません、話しがそれたので元に戻りますが、女子修道会からのお礼の手紙には直筆の手紙と通しナンバー付きの英文領収書が入っています。 私は決まった日ではないけれど月末になると現金書留で送っているのですが、その寄付と寄付の間が約1ヶ月間空いています。 仮に「9月30日に寄付、次は10月30日に寄付」としたら、その通しナンバーの差を計算することにより、1ヶ月でどれくらいの人が寄付しているのかがわかります。

    マザーテレサの関連施設ですから、日本中から寄付している人が相当いるんだろうと思った人は、霊視カウンセリングに来た時に一声掛けてくだされば手紙をお見せします。 それを見ると、なぜ日本盲導犬協会の次に位置するのかわかると思います。 お手紙を読むたびに、「他の人がしないのなら、私がするしかない。」と言う気持ちになっていくのです。

    今後も足りている所に寄付するのではなく、足りない所に寄付していきたいと思う私です。

    あなたが持つ善意の気持ちは、どの方向を向いているのか確認できていますか?

    σ(TεT;)ナイチャウヨ・・・

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