徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    癌の経緯。

    おはようございます。 寒い日やそうでもない日など温度差があるので体調管理には気をつけて、今日も明るく元気に過ごせたらいいですね。 あなたが元気で笑顔でいることが周りの人を幸せにして、それがやがて自分にも返ってくるのです。

    11月10日のログで乳癌について書いたところ意外なほど反響が大きかったので、その補足をもう少し書いてみたいと思います。

    乳癌についてシコリを触診で発見すると言うのは、正確には早期発見ではないのです。 癌の組織がそれと判定できるようになっているのは、その部位が2~3年前には癌組織として発症および進行していたからなのです。

    仮に2007年11月1日にシコリが見つかったとすると、2004年11月1日から2005年11月1日にかけて癌が発症もしくは進行が始まった場合が大部分です。 現実として早期発見と言う言葉がありますが、厳密には医師の間では早期発見とは呼んでいないことが多いです。

    シコリについても自分で触って確かめるのは良いのですが、全部が全部を乳癌のシコリと思うのは早計です。

    まず、乳癌のシコリと間違えやすいのは「乳腺症」と言う病気があります。 これは乳癌などの腫瘍でも炎症でもないものにつけられる診断名です。 胸の痛みを心配して診察を受けると、なんでもないのだけれど痛みやシコリがあると言う場合にいわれる病名です。 心配で診察を受けた人の多くはこれで、乳癌でもなんでもないことが多いです。

    昔は性ホルモンのアンバランスが原因で、乳癌との識別(区別)が大事だと言われていた時代もありました。 しかし、最近では乳腺症の大部分が、正常乳腺の老化現象や退縮過程に過ぎないと言われるようになりました。

    乳腺症の対象年齢の多くは35~50歳が中心で、50歳を超えると急激に減少してきます。 これは乳腺の変化が35歳くらいから始まるので、それと一致しています。 従って乳腺症と言われて凄く心配することでもありません。 それと言うのも乳腺症になった女性の乳癌発症率は5~6%といわれていることもあり、乳腺症と乳癌はほぼ無関係です。

    唯一、乳腺症になって心配しないといけない場合は、家族に乳癌経験者がいる場合のみです。 この場合は、乳腺症にかかった後の定期健診は必要不可欠になります。

    次に間違えやすいのが、「乳腺炎」です。 乳房が赤く腫れて強い痛みがあり、発熱を伴うことがある病気です。 赤ちゃんがいる人の場合は、授乳期に母乳が乳腺に溜まったままになり起こる「うっ帯性乳腺炎」と言います。 その他にも乳頭から細菌が入り込み炎症を起こす場合の、「細菌性乳腺炎」もあります。 なお、治療方法としては、マッサージや搾乳器を使う場合と抗生物質や消炎剤を使用する場合に分かれます。 まれに切開して手術になることもありますが、ほとんどは手術の必要はありません。

    最近の医学の進歩は目覚しいのと、医師の技術レベルは昔とは比べものにならないほどなので、乳癌の手術でも癌組織の必要最小限の切除と言うのが可能になり、その後も形成技術で補うことができるようになりました。

    センチネル(センチネルリンパ節)というのが人の身体にはあり、見張りリンパ節などと呼ばれているのですが、これは「癌細胞がリンパ流に乗って最初に到達するリンパ節」のことです。

    つまり、癌のリンパ節転移はまず最初にセンチネルに起こります。 乳癌で言えば脇窩(脇の下)リンパ節のどれかがセンチネルとなります。 通常、人の身体には脇窩リンパ節は10~30個ほどあり、そのどれかに引っ掛かります。 (造影剤などを使用して、癌組織がどの辺まで転移しているのかなどを見て必要最小限の切除が可能なのは、このセンチネルのおかげでもあります。)

    ただし、その担当になった医師の治療方針にもよりますが、手術を好む医師と抗がん剤などでなるべく手術を避ける医師と、なんとなく分かれる傾向があります。 手術を好む医師の場合は、癌組織や部位をほぼゼロにするまで切除して癌の再発を防ごうとします。 手術を好まない人は自然治癒力など、人間本来の可能性を引き出すような治療方針になります。

    どちらが良いかと言われれば、ケースバイケースで一概にどちらとは言えません。 癌の進行の度合いや患者様の体力の兼ね合いにも寄るので、正解がこうだとは言えないのです。

    ただし、手術と言うのはやり直しが利かないと言うのを頭に入れておく必要があります。 部位を取ったけれど、失敗だからもう一度なんてありえません。 手術と言うのはやり直しのできない一発勝負なので、するのなら極力その一度で終わらせるようにしないといけないのです。

    それに比べて抗がん剤の場合は、AがダメならBに切り替えてみる。 BがダメならCに切り替えてと、次々にその癌に効き目があるのを試していけるので、体力のない人や手術ができない人にはこちらの方が良いかもしれません。 抗がん剤が効くかどうかは2~3日あればわかるので、そんなに時間がかかるわけではないのです。

    なお、TVドラマなどで髪の毛が抜け落ちていくシーンを大げさに取る場合がありますが、抗がん剤の投与を止めると髪の毛はまた生えてくるので心配しなくても大丈夫です。 (髪の毛より、命の方が大事です。)

    あなたがこの世に生きているのは何かの意味があり、その意味を確かめるまでは簡単に死ぬわけには行かないのです。 恋愛でも仕事でも、色々なことを経験したり体験したり、人生の充実感を味わってから出ないと、そう簡単に死を迎えることはできないのです。

    あなたのことを、待っている人がいます。
    あなたのことを、見ていたい人がいます。

    あなたは誰かに頼られて、必要とされる運命がちゃんとあるのです。

    あなたはきっと大丈夫、どんなことがあっても運命はあなたの味方をすると思いませんか?

    ☆⌒(*^∇゜)vダイジョウブ!

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    夢の道。

    誰しも生まれてきたからには幸せになる権利があり、それを邪魔する権利は誰にも無いのです。 ホンの少しのことで人の心には希望の光が灯るのですが、例えば「好きな人に好き」と言われるだけでも、あなたの気持ちはとても晴れやかになるはずです。

    熱い想いが内なる闘志でいる間はいいけれど、そのまま燻り続けていつの間にか消火してしまうのなら、それは悲しいことかもしれません。

    何故なら、あなたのやりたいことをやらないのなら、それはあなたの人生とは言えないのです。

    もしも人生が2度あるのなら、1度目は親や先生など誰かの言うことを聞く人生を送り、2度目は自分がやりたい人生を歩めばイイのです。 しかし、人生は一度きりだからこそ、夢や希望を叶える人生を送らないといけないのです。 いつまでも夢の中だけで生きるよりも、夢を現実にして~現実の中で夢を歩いている方が楽しいと思うのです。

    昨日も夢見て挑戦。
    今日も夢見て努力。
    明日も夢見て前進。

    毎日毎日夢を追いかけて、いつかはその背中に追いついて、そして追い越して行く。

    夢を追いかけるのは決して悪いことじゃないのですが、それに向かって何もせずに色々言っていると周りが傍迷惑な状況になるのです。 英語の勉強もせずに海外で暮らしたいと言っても周りは協力できませんが、英語が堪能でパスポートも資金も準備してチャンスを伺っていると協力者が出てきます。

    行動に移さない人間に、夢の実現は不可能です。

    誰でも通る道なのですが、夢を見るってことはそれを目標にして突き進むと言うことです。 目標を実現する為には事前に計画を立てて、計画を立てると自然と行動したくなるので、あぁするとこぅなるから何時までにあれをしようとなります。 行動すると言うことは、それに対して何らかの答えが出ることになり、それを成果と呼びます。

    成果=成功ではなく、成果=失敗の時もあります。 しかし、成功から学べることは少ないですが、失敗から学べることは数多くあります。

    まだダメだとか、まだ無理だとか、できない方の理由に「まだ」を続けると、いくらでも出てきます。 そうではなくて、まだ大丈夫とか、まだやれるとか、プラス思考でまだを使えば、「まだ」と言う言葉が生きてくると思うのです。

    右を選ぼうと、左を選ぼうと、それはあなたの自由です。
    夢を追うのも、夢をあきらめるのも、選択の自由です。

    でもね、人生の選択と言うのは毎日で、一回も休ませてはくれないのです。 どちらを選ぼうとあなたの自由ですが、その先には新たな選択があるのです。 本当に自分がやりたいことならあきらめないはずで、あきらめると言うことはそれだけの想いしかなかったと言うこと。

    死ぬ気でやると言うのは、本気になると言うこと。 本気になってできないことは次の道を探しなさいと言う暗示であり、決してあきらめや途中投げではないのです。 真っ直ぐに進めなくても迂回したりジャンプしたりすれば、また違う道が開けてくるのが運命なのです。

    あなたが、何かを頑張っている人の姿を見たら、素敵に見えると思います。
    あなたが、頑張っている姿を見た人は、あなたが素敵に見えていると思います。

    何かを頑張っている人の姿はカッコイイから、頑張っている姿をカッコイイと思ってもらえる自分になれたら素敵ですね。

    頑張るというのを理屈付きで解説しようとする人は、本当に頑張ったことがない人です。 自分の為にがんばろうとする人や他人の為にがんばろうとする姿は、誰がどう言おうともその人の心がきれいな証拠なのですから、余計な台詞に耳を貸さないことです。

    簡単に手に入ると言うことは、簡単に逃げていくと言うことにつながります。 その手の中にある幸せをこぼしてしまわない為には自分の器を大きくして、いくら入れてもこぼれないだけにしておく必要があるのです。

    ただし、結果が伴わないといけないのかと言うと、それはまた違うのです。

    努力に伴う結果が出れば、それが一番良いのはわかっていますが、努力しても叶わない時もあります。 しかし、色々な成功者の意見として共通するのは、「努力したからと言って叶うとは限らないが、努力しなければ叶うはずがない。」 この言葉をどう受け止めるかは人それぞれでしょうが、寝ているだけで幸せになれるというのは夢の中だけです。

    あなたが思い描く夢は、現実世界で花開く方が良いと思いませんか?

    フレー "ヾ(^O^ )ノ..( シ^O^)ノ" フレーフレー

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    いつがんばる。

    世の中には誰でも知っているということと、知っているようで知らないと言うことの二つがあります。

    「1+1=2」 これは算数として、ほぼ誰でも知っています。 算数や数学として成り立たせなくても、物の配分などで自然と身につける計算のひとつです。 生きていくうえで難しい数式などは覚えなくても生きていけますが、「1+1=2」はわかっていないと社会生活が難しくなります。

    人には学習能力があるので自然と色々なことを学ぶのですが、町で見かける風景や意識の中にはあるのだけれど自分には関係ない場合や、さほど重要ではない時は気にならないのです。

    ここでひとつの数字を出してみますが、「60%→40%→15%→5%→2%→0、7%=?」 これは何を表しているのかわかりますか?

    先ほどの数字は、以下の数字とあわせるとひとつの基準になるのですが、何を表しているのかと言えば…。

    1年後=60%
    3年後=40%
    5年後=15%
    10年後=5%
    30年後=2%
    50年後=0,7%

    これは、会社やお店が開業&開店してからの、生き残っている「存続率」です。

    開業&開店して1年後の存続率が60%と言うことは、逆に考えると会社&お店を華々しく開店&開業しても、そのうち40%が閉店&廃業しているのです。 3年後となると40%ですから、スタートして3年で60%の会社やお店がその歴史を閉じているのです。

    意識していないから気付かないだけなのですが、町並みの中でも数多くの会社やお店が開店と閉店を繰り返しています。 その理由として戦略の読み違いなど色々な事情はあるでしょうけれど、幕を下ろしてしまったと言うのは事実なのです。

    飲食店や販売店なども、「前はあったのにいつの間にか…。」 普段良く利用していれば動向が気になるものですが、たまにしか行かない場合や通りすがりの場合は消えてゆく姿に目が行かないだけなのです。

    私は色々なケースを見ているだけに、うまく行っている会社やお店に共通する理由で確信に近いものがひとつあります。 それは、「うまくいっているお店(会社)には理由が無いけれど、うまくいかないお店(会社)には理由がある。」 これは不思議な法則みたいなものだと思っています。

    うまくいかなくなっているお店や会社の雰囲気は、暗かったりぎすぎすしていたりと、まず普通の感覚なら嫌な雰囲気を感じ取ると思います。 これはひとつの歯車が狂い始めると、その次の歯車も狂い始めて修正が利かなくなっているのが一番大きな原因です。 そして働く人数が多ければ多いほど修正が利かずに、そのまま進んでしまうのです。

    しかし、周りを見渡すと1人でしているお店や会社は、意外と長続きしているのを垣間見ることができます。 美容院でも1人でしているのに20年目とか、喫茶店でも1人でしているのにもう15年しているとか、1人でしていると意外と存続率が上がります。

    お店や会社は、個人⇒有限⇒株式と大きくするだけが良いのかと言えばそうでもなく、1人でしている個人店でも毎日を楽しく活き活きと過ごせたら、自分の心を大切に出来ていると思うのです。

    1人の場合はコツコツと真面目にするだけで長続きする場合が多いのですが、それは軌道修正が必要な時に変えるのは自分の考えや行動だけで良いからです。 間違えたなら素直に軌道修正するのは、個人の場合は難しいことではなく単純明快だと思います。

    確かにどんなお店や会社でも、お客様ゼロの日が2~3日続くと凹みたくなる気持ちはわかりますが、運勢が下降している時には余計なことをしても無駄なのです。 (私の場合、予約の電話が入らなかった最高記録としては、40日間くらい1回も電話が鳴らない日が続き、もう泣きたいくらいでした。)

    私も10月と11月に関しては予約が無く霊視カウンセリングはヒマでしたが、10月と11月は新事務所探しとHPや電話など各種手続きをして、次に解体や基礎工事は大工さんに頼み~内装は全部自分でリフォームなど、新事務所移転は忙しいです。 (天井は白いクロス~床はタイル風クッションフロア~壁はしっくい風の感じで仕上げています。)

    注:私は建設現場で働いていたので電気&水道やクロス&左官など、素人程度ですが全部できます。 (現在、しっくいの壁塗りをしているので、肩こりと筋肉痛の毎日です。)

    つまり、お客様がいなくてヒマと考えずに、内装工事を自分でして経費を抑えろという暗示かなと考えています。

    自分の未来の選択肢を見て焦る気持ちを抑えることが出来たなら、心に余裕やゆとりができます。 自分の未来がわかると、がんばる時と休む時の見極めがつきます。 焦るとよくないと言うのは、いざと言う時にエネルギーを使い果たしていると、そのいざと言う時にパワーが出ないと思うのです。 ならば、そのいざと言う時のために、休む時は休み~動く時は動くのが必要となります。

    運の悪い人は、運が下がってきて調子が悪い時にがんばります。
    運の良い人は、運が上がってきて調子が良い時にがんばります。

    あなたは、どちらのタイプだと思いますか?

    。。。。。。((( ^ ∀^) ♪♪♪

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    夢を買う。

    この時期になると、深刻な相談ではなく遊び感覚で聞かれるのが、宝くじについてです。 これは毎年恒例と言うか、年末ジャンボ宝くじの時期になると聞かれることが多いです。 一時の夢として、ちょっとだけ買って「当たったらどうしよう?」と楽しむ程度なら良いと思います。 脳で楽しいことを考えて、ウキウキするのは良いことだと思います。

    宝くじは必ずしも当たるのが良いとは限らないのですが、表面的に見ると1等3億円が当たった人は幸せに見えるかもしれません。 しかし、本当に当たった人が幸せかどうかは時間の経過と共にその実情が見えてくるので、私が知る限りで言うと高額当選者100人中100人全員が幸せではないかもしれません。 (もちろん、当選金を有効利用して財を増やして幸せな人生を送っている人もいます。)

    日本においては宝くじとは、古くは江戸時代などの昔々からあり、神社や寺の修繕費用などに当てることを目的として、富くじなどと呼ばれていました。 (少し長くなりますが宝くじの歴史と説明をした後、運勢別の買いに行く場所を書きたいと思います。)

    現在のような形の基盤となったのは、昭和23年に当選金付証票法(昭和23年法律第144号)に基づき施行されたものです。 (江戸時代とは違い、現代では神社仏閣の修繕ではなく地方財政資金など、主に公共事業や国や県や市などの財政を潤わす為に調達することを目的とされています。)

    現在発売されているジャンボ宝くじには、次のような種類があります。

    「ドリーム、サマー、年末」の3大ジャンボ宝くじと、グリーンやオータムなどの年に5回発売される大型宝くじがあります。 宝くじを販売できるのは、宝くじの法律である当選金付証票法に定められた全国都道府県と指定都市、つまり地方自治体のみです。 (民間の個人が勝手に発売することは、刑法で禁じられています。)

    この地方自治体が総務大臣の許可を得て発売元となり、発売等の事務を銀行等に委託して、委託を受けた銀行等は発売元である地方自治体の定めた発行計画に従って、宝くじ業務を行います。

    宝くじの販売総額のうち、賞金と経費などを除いた約40%が収益金として、発売元である地方自治体へ販売実績に応じて収められ、公共事業等のために使われているのです。 財政破綻などで知られる夕張市がある北海道の場合だと、この収益金は約90億円(平成14年度)にもなり、交通信号機や横断歩道などの交通安全施設整備に活用されています。

    さて、宝くじの買い方はあるかと言われれば、「あると言えばある」「ないと言えばない」と言うしかありません。

    宝くじが当たる人を見ていると共通点はありませんので、一概にこういう人だと言うのが見当たらないのです。 時々当たりやすい人のイニシャルだとか星座とか、出ていることがありますがあれは当てにはなりません。 その理由として「購入者の総数」と「個別の分母を出していない」と言うのが最大の理由です。 この為、当たった人のイニシャルが○○だったとか、当たった人の星座が○○だったというだけの情報でしかありえません。

    当たった時点でその当選者が、お金持ちだからとか貧乏だからとか関係ありませんし、学歴や職業などの優劣も関係ないので、当選者には共通点はなく個人の運勢のみとしか言えないのです。 ただし、運の良し悪しはあるので、運の良い方角へ買いに行くと気持ちも良く、前向きな気持ちで買いに行くので当たりやすい雰囲気や運気を作り出すというのはあります。

    では、大まかではありますが、買いに行く場所などを少し書いてみたいと思います。 (今回は九星別に分類していますが、中身は九星で見ているわけではありません。)

    一白水星⇒1981年、1972年、1963年生まれの人などが、当てはまります。
    自宅を中心にして西の方角で、銀行など金融系の場所で購入してください。 (購入時のラッキーカラーは青)

    二黒土星⇒1980年、1971年、1962年生まれの人などが、当てはまります。
    自宅を中心にして東の方角で、上司や先輩など目上の人が最近行く場所で購入してください。 (購入時のラッキーカラーは白)

    三碧木星⇒1979年、1970年、1961年生まれの人などが、当てはまります。
    自宅近所ならどの方位でもOKで、スーパーなど日用品販売の場所で購入してください。 (購入時のラッキーカラーは黄)

    四緑木星⇒1978年、1969年、1960年生まれの人などが、当てはまります。
    自宅を中心にして東南の方角で、都会のビルにある場所で購入してください。 (購入時のラッキーカラーは紫)

    五黄土星⇒1977年、1968年、1959年生まれの人などが、当てはまります。
    自宅を中心にして東&東南の方角で、人が行き来する往来の場所で購入してください。 (購入時のラッキーカラーは銀)

    六白金星⇒1976年、1967年、1958年生まれの人などが、当てはまります。
    自宅を中心にして北西の方角で、老舗など古くからあるお店や窓口で購入してください。 (購入時のラッキーカラーは黒)

    七赤金星⇒1975年、1966年、1957年生まれの人などが、当てはまります。
    自宅を中心にして東&北西の方角で、駅やバス停など交通関係の場所で購入してください。 (購入時のラッキーカラーは赤)

    八白土星⇒1974年、1965年、1956年生まれの人などが、当てはまります。
    自宅を中心にして東南&北西の方角で、事務系の会社のそばにある場所で購入してください。 (購入時のラッキーカラーは白)

    九紫火星⇒1973年、1964年、1955年生まれの人などが、当てはまります。
    自宅を中心にして南西の方角で、海や川などが近くにある場所で購入してください。 (購入時のラッキーカラーは金)

    以上は、大まかな感じなので個人別に見ると差が出るかもしれません。

    夢はあなたが見る数だけ、いくつあっても素敵だと思います。

    あなたが描く未来には、いくつの夢が存在していますか?

    ( ̄― ̄)(_―_)( ̄― ̄)(_―_)ゴロンゴロン

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    脳の働き。

    今日は月曜日ですが連休明けで調子がいまひとつで、ナカナカ調子が上がらないかもしれません。 実は連休明けと言うのは身体だけでなく、脳の動きもいまひとつの場合も多いので、脳の働きが快調なら身体の不調も取れる場合が多いのです。

    脳の働きは未知数で解明されていない部分がほとんどなので、これから色々なことが判明してくると思いますが、自分で脳の動きを活発化させるようにしていくと運勢が変わることは大いにあります。 脳と運命は無関係のようですが、脳の未知数の部分には運命を変える働きの部分があります。

    脳の働きを上手く利用できない見本としては私自身がイイ例ですが、昔から人に嫌われるばかりだったのは昔のことをしつこく言い続けたり、つまらないことにこだわりを見せたり揚げ足をとるばかりしたからです。 これは「いじめに遭う→仕返しのつもりで言い返す→またいじめられる」の悪循環に陥っていたので、この負のサイクルをどこかで止めればよかったのにブレーキが効かなかった。

    今となっては精神的に子供でお恥ずかしい限りなのですが、議論など相手と何かの話をしている時に負けるというのは、正当性が自分にない為に自分が悪者になるという、被害妄想的な疑心暗鬼があったのです。

    A,相手と議論をして勝つということは、相手が負けるということです。
    B,相手が負けるということは、当然相手にとって気分の悪いことです。
    C,気分の悪い相手と、その後も仲良くできるかと言えば無理です。

    A~B~Cと進むようなことが多ければ、当然ですが人と話ができないというよりも相手にされなくなるのです。 議論に負けて気分の良い人はいませんし、議論にならないようにするのも大人の知恵としては悪くないと思います。 「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい。」と言う教えも立派で、とてもすばらしいことだと思います。 しかし、アヤシイ?霊視カウンセラー的には、「最初から、右の頬を打たれないようにする。」のも大事だと考えるのです。

    私の昔の評価は先ほど書いたように、揚げ足を取るとか、嫌味を言うとか、難しい奴だとか、話をすること自体を周りの人から避けられるような人間でした。

    人間には「同調性バイアス」と言って、「異常な状態に遭遇した時には、思わず他人に合わせてしまう」というような心理状態が起きます。 いじめられる人を次々にいじめが襲う、いじめる人に次々と加担する人が出てきてしまう、これらは脳が「異常な状態を正常」と勘違いして、命令を下してしまうのも理由のひとつです。

    自分がやられない為には自分もいじめる側に入るというのが、自己保身のひとつなのです。 自分のプライドを守る為に嘘をついて相手を窮地に追い込むのは、人としてやることではありません。 ただし、残念なことに生きていれば人との衝突はありますし、避けられない未来と言うのも存在します。

    私はいじめられ歴が長いので、相手がどう思ってそういうことを言っているのか、それが手に取るようにわかります。 工場や建設現場で働いていた時代も周りを見ていて思っていたのが、格下の方が格上に大して嫌がらせをするという事実です。

    注:流行っているお店(格上)は周りに対して何もする必要がないし、自分の事で忙しいので構っている暇はありません。 ところがヒマなお店(格下)は時間があるので、色々と考えたり思い付いたりします。 思いつくと実行したくなり、少しでも流行っているお店にダメージを与えてやれと考えるのです。 (私は看板を隠す占い師ではなく、隠される方のタイプです。)

    脳は心と完全に分離できるわけではないので、心が凹んでいる時には脳も後ろ向きなことを考えてしまいがちになります。

    脳の働きに「スキーマ」と言うのがありますが、これは認知発達の分野において心理的描写(心象や概念)を表します。 (簡単に言えば、思い込みのことです。)

    これが働き始めると、相手を許せないという気持ちが増幅されて、関係がこじれにこじれるのです。 脳の働きとして起こる以上は、脳の動きを止めない限り無理なので、最終的に無理と言うことです。 (脳が止まるとは、死を意味します。)

    思い込みとはその人の中にだけあるもので、他の誰であろうとも理解することはできません。 その人の中だけにあるものを相手に喧嘩はできないので、いじめなどは相手にせず無視するのが一番良い方法です。 実は脳の働きでも示されるのですが、人間にとって無視される孤独感と言うのは、ものすごくダメージがあります。

    嫌がらせをされた場合、無視して一切相手にしないのは脳にわからせる為の最善策です。 相手にすると火に油を注いでしまい、次から次へと色々なことが始まってしまいます。

    これがさらに昇格すると、側頭葉(脳の横の方)にある「ゴッドスポット」という部分を働かすようになります。 ただし、この部分を使うというのは、2つの両極端な面が出てきます。 まず悪い方で言うと、「気難しい」「思い込みが激しい」「幻覚症状が出る」など、日常生活に支障が出ることもあります。

    ところが良い方にその働きが向き始めると、「感が良い」「発想が素晴らしい」「霊視ができる」など、見えないものを見るという感覚の部分が凄く良くなるのです。 霊視はこの部分が使いこなせないと、自由自在に視えるわけではありません。 この部分の説明ができないと、霊視やスピリチュアルを語るのは少し無理があります。 ゴッドスポットは誰でも全員あるのですが、それを使う必要がないと脳が判断した場合は連絡通路(回路)を遮断されます。

    脳科学の分野から霊視やスピリチュアルを説明できるようになると、お客様に対して少しは信頼していただけるのではないのかと、アヤシイ?霊視カウンセラーとしては思います。

    脳の分野はまだまだ未知数の部分が多く、これからドンドン解明されていくと思うので、脳の持つ力とは、どの領域まで可能なのか、人類の進歩に役立つことと思います。

    あなたは脳に操られずに、脳を使いこなす方になれていますか?

    ヾ(@⌒ー⌒@)ノ おはようございまぁ~す!

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    頼る。

    おはようございます。 今日は三連休の最終日ですが、休養して明日に備えるのもいいですし、勉学などにいそしむのも有効利用できていると思います。 休みの使い方の上手い下手の差は、休みじゃない時に出てきてしまうのです。

    冬にヒット曲を飛ばす歌手の人は、「冬になると出てくる」と言われます。 しかし、曲は春から夏にかけて製作して一番一生懸命な時期は夏なのです。 時間の使い方と言うのは人それぞれで、必ずこうだと言う使い方はありません。 しかし、他の人と差が出てくる人はトランクの4隅のような時間の使い方をしています。 一杯詰め込んだつもりでも、よく見れば4隅の三角スペースがまだ開いているから、もう少し詰めることができると言うような使い方をしています。

    同じように悩みや苦しみも、その時は辛くて悲しいかもしれないけれど、イイ経験にして財産にしえるかどうかでその後の人生が決まってしまいます。

    人は悩みや苦しみが大きい時ほど、行動に移せないと言う矛盾を抱えて生きていかなければなりません。 問題発生と同時に解決に向かえれば良いのですが、簡単なことならすぐ行動に移せても難しいことはやりにくいものなのです。

    今の日本で「のどが渇いた」と言う問題が発生すれば、水やジュースなど何かを飲むことで解決します。 これは当たり前と思うかもしれませんが、世界規模で言うと水を飲むことすらできない人が大勢います。

    のどが渇けば水を飲むという簡単な動作で解決する、こういう簡単なことで済むなら人間はすぐに行動できます。 ところが、すぐには解決しない場合は動けません。

    時間がかかること→病気治療など。
    お金がかかること→彼の借金や親の負債など。
    自己コントロールできないこと→恋愛における相手の気持ちや職場の人間関係など。

    悩みの問題解決と言うのは行動が必要になり、失敗したらどうしようなど重責があればあるほど決断や勇気が、後押しとして欲しくなるのです。

    人は自分ですぐに解決できないと思った時には、どうしても癒しなど今すぐ楽になれる方に向かうのですが、それは仕方がないと思います。 人は機械ではないのですから、精神的に甘えたくなったり、精神的に誰かを頼りたくなったり、これは当たり前の行動でなんら悪い事ではありません。

    確かに問題解決をしようと思えば、決断して行動すると言う切り立った岩場を歩くような緊張感が求められると思いますが、そこに立つ為の勇気や後押しとして誰かに頼るのは、決して悪いことじゃないと思うのです。

    私は自閉症でいじめられっ子の為、誰一人友達のいない生活を送ってきて、とても悲しかったです。 普通の人なら、友人ができて~彼や彼女ができて~、このように人とのかかわりを持ち心の平穏を保てる相手を見つけていくことが可能です。 誰かがそばにいてくれる~誰かに電話できる、このように人に頼るのは良いことだと思うのです。

    だからこそ「人に頼るな!」と断言するのは、相手の気持ちを考えない無神経な行動や言い分ではないのかと思うのです。 自分の行動を振り返らず相手に対して「人に頼るな!」なんてことを言う人は、自分が一番わがままで甘えていることに気が付かないといけないと思うのです。 相手のことを理解せずに上からものを言うのは、自分が裸の王様だと気が付いていないからできるのです。

    私はつらい時や悲しい時に誰かを頼るのは、心が元気になる為には良いことだと思うのです。

    お客様が精神的に辛い時には、心の支えになれる。
    お客様の心が悲しい時には、心の隙間を埋めてあげる。

    そういう霊視カウンセラーになりたいと思うのです。 (未熟者でアヤシイですが…?)

    心の悩みを癒すのは、知性や知識ではありません。 決意や行動と言う、物事(悩み)に対して何をしたのかと言うのが、本当の癒しだと思うのです。

    人間がこの世に生誕して以来、不幸な出来事や自分で引き起こした問題を抱えた時に陥る悩みを、知識や知性では解決&癒すことはできないのです。 良い大学を出たら悩みが無いかと言えばそうではないし、学歴が無いと悩みだらけかと言えばそうではありません。

    同じように理性があるなしも、マナーや礼儀と言う点ではものすごく作用しますが、悩みや問題解決と言う点では余り作用しません。 残念ながら人間性が良い人でも悩みは発生しますし、自堕落的でわがままな人でも何も考えないことにより、悩みを発生させない人がいます。

    ところが、時間の経過と言うのは誰にも公平に作用するので、時間が薬と言うのはほとんどの人に当てはまるのです。 忘れがたい悩みに思えても、5年後10年後と言う膨大な時間の中に埋もれてしまうと、大きな悩みがドンドンと小さな悩みになって行きます。 ただし、その解決の為の速度を向上させることはできるのですが、それは固い決意で自ら行動すると言うことです。

    あなたは行動することにより、自分の悩みを受け止めることができますか?

    O(≧∇≦)O ヤルゾ~☆

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    クレーム。

    最近色々と話題になっている搬送拒否について、アヤシイ?霊視カウンセラー的な見方を書いてみたいと思います。 (ただし、ログ上だと書ける限界があるので、新事務所の移転後に忘年会か新年会をしようと思うので、詳しいことはそこで…。)

    「妊婦さんが緊急事態になり救急車で運ばれたが、病院が受け入れを拒否した。」 TVなどで報道されているからご存知の方も多いと思いますが、これは病院が悪い時もあれば行政が悪い時もあればと、状況により色々なので断定はできません。 (ある搬送拒否については、内部調査が足りない…?)

    何の世界でも(状態でも)権利を主張する人は、「自分の権利は大切にする」けれど「相手の権利は大切にしない。」 この矛盾を抱えたまま生きているのですが、権利と義務はワンセットなので、権利を主張するのならするべきことはすると言う義務を消化してからとも言えるのです。 (卵と鶏の関係のように、卵が先か?鶏が先か?と同じです。)

    病院に限らずどんな会社(営業~販売~事務など)でも、仕事をしていればクレームがくることがあります。 デパートなどではクレーム処理の部署があるくらいですが、謂れのあるクレームと謂れのないクレームがあります。 「クレーム=権利」と考えて主張してくる人を相手にしていると疲れてきて大変だと思うのですが、中には信じられないクレームもあります。

    信じられないクレームとしての例えを少し…。

    デパート編:「10年前に買ったワンピースの背中の部分が薄くなってきたから、同じワンピースに取り替えて欲しい。」

    学校編:「校庭に石が落ちているから、ウチの息子がガラスを割ったんです。 だから、石を置いておく学校の方が悪い、石がなければウチの息子はガラスを割らなかった。」

    以上のことは例え話として書いていますが、日本全国単位で言うと氷山の一角です。

    では、本題の搬送拒否についてですが、病院や行政の責任についてはマスコミなどが追いかけてくれているので、未熟な私としては別な切り口でこれを追いかけてみたいと思います。

    病院の本来あるべき姿は、病気を治したい~怪我を治したいと言う人が来る場所です。 しかし、最近はクレームをつけてごねまくる人も居るようで、ストレス社会のひずみが出ているのかもしれません。 病院に信じられないクレームをつけてくる例として、少し取り上げてみたいと思います。

    産婦人科編:「出産の時に陣痛が起きて痛かったのは、医療ミスだから金払え!」

    この奥様の御主人曰く、「医者ならば痛みをなくすのが当たり前だから、出産の時に陣痛が起きて家内が痛がったりして苦しんだのは医者のせいだ。」と言うのですが、こんなことを言うから産婦人科が減少傾向(なりたがらない)なのです。 陣痛が起こるのは医師の腕が悪いからと言うのなら、医師は出産を取り扱えなくなります。

    ER編:「治療の時に名前を呼び間違えられたから精神的苦痛を味わった。 慰謝料を払え!」

    ER(救急救命)は大勢の患者が緊急の状態で運ばれてくるので、医師も看護師も全部の名前を正確に把握はできません。 特に生死にかかわる場合は名前よりも、容態の説明をきちんとして治療をどうするかの方が先なのです。 しかし、ここでもクレームをつける人が居て、「俺が苦しんでいる時に名前を呼び間違えた。 その為に精神的苦痛を味わったから、慰謝料を払え。」

    緊急事態の時に一生懸命に命を助けてくれた看護師や医師に対して、こんなことを言う人が人として正しいのかどうか問題外なので、運命がキチンと判断してくれると思います。 ERは遊びでしているわけではないし、1人の患者さんだけが来るわけではありません。 ERは常に人の命を左右する緊急事態の人ばかりくるのですから、余り無茶なことを言ってはいけません。

    私は搬送拒否の状況を聞いた時に、物事は片方だけから見てはいけないと言う部分を痛切に感じてしまいます。 三者三様の見方があり一概に誰が悪いとは言えない状況下でも、ERは一生懸命にしていると思うのです。 決して前世のカルマや先祖の因縁で搬送拒否が起こるわけではないので、物事の本質を見極めないといけないのです。 (なんでもかんでも、すぐに霊のせいにしないことが大切かも?)

    注:私は当たらないし有名でもないのにクレームが余りないのですが、運の良い素敵なお客様が広い心で寛容に笑って許してくれるおかげなのです。 ありがとうございます。 m(__)m

    クレーム処理は大変ですが、クレームの種類によってはクレームではなく難癖と言います。

    あなたが自分を守る為には、どう対処すればいいのかを考えたことがありますか?

    "ヽ(´▽`)ノ" ハイハイ~ ( ̄○ ̄)/ オマター

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    三連休。

    おはようございます。 今日から世の中は三連休ですが、年中無休の私は今日も事務所に出ています。 私は車を持っていないので、人力で新事務所へ荷物を少しづつ運んでいるのですが、早朝5時頃はまだ暗いので荷物を運んでいる姿はまるで不審者のようです。

    さて、気にされる人が多い相談のひとつに印鑑(印相)があります。 印鑑を作ると幸せになると思う人は作れば良いし、印鑑で運命は変わらないと思う人は作らなければ良いと言うレベルで、運勢とは何の関係もありません。 もしもあなたが神様ならば、「30万円の印鑑を購入する人」と「1万円の印鑑を購入して残りの29万円を寄付する人」と、どちらの運勢を良くしてあげようと思いますか?

    「開運の印鑑は○○な印なり」と言う言葉があるのですが、日本社会では印鑑がないと通帳も作れないので、印鑑の必要性はしかたがありません。 ただし、印鑑で運命が変わるのならば、どの印鑑屋さんも景気に左右されずに幸せになっているはずです。

    例えば、集合テナントビルで閉鎖になった場所は日本全国にたくさんありますが、印鑑屋さんが入居していたテナントビルもあると思います。 それなのに、何故?開運の印鑑パワーでテナント消滅の危機を防げなかったのか不思議です。 また、努力もせずに怠けている人が印鑑を作るだけで幸運になり、全て上手く行くようになったという例を見たことがありません。

    確かに高級な印鑑を持っている人が、お金持ちとか成功者であるという事実は否定できません。 しかし、その真実として成功してお金持ちになったから、そういう高級印鑑を手に入れることができるようになったというのも、もうひとつの見方です。

    仮に30万円出して印鑑を手に入れるというのなら、それは心の張りや元気を手に入れる為だと考えた方がいいと思います。 ただし、30万円で美味しい物を食べたり旅行したりする方がイイと思う人がいるのも事実です。

    ひとつの例として考えてみると、何の業界でもいかに利益をあげるかと言うのを考えます。 特に占い業界のような形の無い物が主体の場合は、1度行くと2度と行かないというような場合もよくあります。 その為、商売熱心な占い師さんはお金儲けの為に色々なことを考えますが、占い=商売と考える人なら物品販売は戦略として当然です。

    注:私は「占い=商売」とは考えられませんし、物品販売など占いの本筋以外のことをする気にはならないのです。

    代表的なのが「開運グッズ系」で、悪いことや不安になるようなことを最後(帰る直前)に言って心を惑わせます。 そして、「この○○を購入して、○○すると運が良くなる」 色々な言い方や方法はあるでしょうが、その不安定な心のスキマに開運と言う言葉を刷り込みます。 お客様側とすれば、将来の不安を解消しようとして意外とあっさり高額なグッズでも買ってしまいます。

    一瞬は金額が高いと思っても、不幸や不安を解消したいが為に購入してしまうのです。 その品物(グッズ)を持つことでパワーや奇跡があると思うのなら、本人にとっては良いのだから横から余計な口を出す必要はありません。

    ただし、何が何でも~どうしても~印鑑を持つことで運が良くなると断言するのなら、それを主張する占い師さんに聞いてみたいのですが、私の父&母は岡山市在住の占い師さんから、開運印鑑を30万円で購入しています。 (その当時、私は小学生で注意することができませんでした。)

    その印鑑に効果があったかどうかは一目瞭然、まったくの効果ゼロです。

    私は500円で買った量産品の印鑑を使用していますが、なんら不自由はありませんし、この印鑑で悪いこともおきません。 逆にその分が寄付に回るので、良い事が起こっています。

    私個人の意見ですが、仮にも占い師をしている者が鑑定だけで生活できず、他に職業を持つようではおかしいと思います。 自分が鑑定だけで生活できないのに、商売の相談に乗るなんて本末転倒だと思うのですが…?

    印鑑の結論として欲しい人だけ買えば良いことで、欲しくない人に無理に勧めるのはどうかと思うのです。 ただし、材質に凝りたい人には、柘植がいいとか~クリスタルがいいとか、「材質はこれがいいですよ。」と言うくらいはイイと思います。 気持ちの問題ではありますが今その人に必要な材質、つまり足りない物を補うサプリメント的な意味合いの材質はあります。

    クリスタルの印鑑なら全体運をあげてくれるとか、ローズクォーツの印鑑なら人間関係を修正してくれるとか、印鑑ではなく材質(パワーストーン)で変わることはあるかもしれません。

    注:ラッキーカラーも同じで、本来のラッキーカラーと言うのは足りない物を補う為です。 「ホワイト」が足りない人が「ホワイト」を身に付けると、それにより弱い部分(短所)が補える(防げる)為に運が良くなって行くというのが、本来のラッキカラーの意味合いなのです。 (ラッキーカラーについては、また後日書きます。)

    あなたの運命は印鑑ひとつで決まるような、軽々しいものではないと思いませんか?

    ( ̄◇ ̄;) ハゥ~ ( ̄Θ ̄;) ムゥ~ ( ̄ω ̄;) ブヒ~

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    楽な道。

    昔話や童話で、一時的には楽だけど後で苦しい⇔今は苦しいけれど後から楽になる。 このような例え話は数多くあるのですが、人は苦しい道を選ぶと言うのははナカナカ難しいです。 あなたが進む人生において自分に正直に生きるというのは、辛い道程を楽しく進める秘訣でもあります。

    人は生きていると、時には自分に対して嘘をつきながら社会生活を送る時もあります。 やりたくないことや憤りを感じることなど、本来の自分ではないことをやらざるを得ないのはとても辛いと思います。

    自分の気持ちに嘘をついて、楽な道を選ぶのはもうやめにした方がイイと思うのです。 その瞬間は楽だと感じても、後からその道は苦しい道に変化して行くのです。 自分の歩む道を楽な方へ楽な方へと選択したつもりでも、それはその時だけで未来を見据えた行動にはなりえないのです。

    何か行動を起こしたら周りは色々言うでしょうが、反対意見ばかりではなく賛成意見も耳に残して欲しいのです。 人はつい反対意見の方を強く印象付けてしまうのですが、「残り物には福がある」ということわざもあります。 少数意見の中にもきらりと光る、あなただけの悲しみや苦しみを受け止めてくれる大切な言葉があるはずなのです。

    あなたの考えるようにしていい、あなたの好きなように行動していい、あなたが決めたことは間違いではないんです。

    世の中には絶対なんてないのですが、人はついそれ以外の道は考えられなくなってしまうのです。 世の中にはあらゆる可能性が眠っているけれど、それはあなた自身にも言えることなのです。 あなたの中に眠っている可能性が目覚める道を選ぶのは、それもまた一生懸命に生きるということだと思うのです。

    どんな健康体の人でも一つくらいは病気を持っているものですが、ほとんどの人が人生において一度はかかるのが「他の誰かと自分を比べる」という病気です。 ただし、この病気は自分で治すしか治癒の道はないのです。

    自分が勉強したり~自分が行動することで、その不安を解消する。 「本当にわたしはやれるのかな?」と思うよりも、「やっていくしかない」と覚悟を決めるのも、自分に対する責任なのです。

    あなたが自分の才能を信じなければ、どうしてその才能や可能性が花開くのでしょうか?

    わたしは生まれてきてから、親~先生~同級生~先輩後輩~同僚など、生きる過程において出会う人が全て「オマエでは無理だ。」と否定される人生でした。 しかし、時間はかかりましたが自分の中にある悪い方の信念ではなく、良い方の信念を取り捨てにおいて残すことができたから素敵なお客様と出会えるのだと思います。

    何か行動を起こせば周りの人が色々と言うかもしれませんが、それはあくまでその人の評価であり、その人の人生観や経験の中で知りえた情報を元にしているだけなのです。 学校や会社では、人間関係を保つ為に自分の考えを引っ込めないと衝突してしまいます。

    しかし、内に秘めている希望や夢は持ち続けていれば、いつか自分の考えとして主張できるチャンスはめぐってくるのです。

    人生とは、予期しないことが起きるから楽しいのです。

    あらかじめわかっていることばかりがおきるのなら、それは人生が予定調和ばかりで敷かれたレールの上しか進めないという証拠なのです。 予定調和が好きな人はそれでいいし、否定することではありません。 しかし、予定調和でなく自分の人生を変えてみたいと思うのなら、たまには脱線して他の道を走ることも必要になります。

    面白いことが起きるのを待つのではなく、起きたことを面白がるのもひとつの才能や可能性です。

    人生には浮き沈みがあり、色々起こると「どうして自分だけ…?」 こう考えてしまうのも仕方がないのですが、私は浮き沈みのある方が人生らしくていいと思うのです。

    どうして苦しいんだろう?
    どうして辛い目に遭うんだろう?

    人は生きていると必ず人生について考える時がありますが、それはチャンスの来る前触れだからです。 悪い事が起きるのは良い事がおきる前兆であり、良運や強運は前払いでしかあなたの元にやってこないのです。 (後払いは通販だけ…?)

    あなたの人生はまだまだこれからであり、今が終着点ではないと思いませんか?

    ( ̄ ̄Θ ̄ ̄;;)

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    命がけ。

    自分の気持ちを理解されない苦しさって言うのは、理解されないがゆえ更に苦しくなると思うのです。

    理解してくれたら、それだけで心が軽くなると言うのは、いかに相手の気持ちを判るという行為を置き去りにして、自分本位で過ごしてきたかと言う裏返しでもあるのです。 団塊の世代は日本を成長させる為にしゃにむに仕事をして、それはそれで評価できることだと思うのですが、心の教育と言う部分で置き去りにしてしまったものがあるのを思い出して欲しいのです。

    年配の方だけとは言いませんが、特に年配の方に多いのが、「お子さんはまだ?」とか、「子供はいるの?」 こう聞く人が多いのを、どうにかならぬものかと思うのです。

    もしも、その相手(夫婦)が不妊症で苦しんでいたらどうするのか?

    世間話だとか、知らなかったと言う話しでは済まされないと思いますが、日本では聞く人が多い言葉の一つです。 これは心に思いやりが欠如しているから~自分はそれで苦労をしたことがないから、それで相手に平気で聞けるのではないのかと感じてしまいます。

    今は医学技術が進んできたので、昔は不妊と言われていた人が赤ちゃんを作れるようになりました。 人工授精~体外受精~ケンビ授精と、本人が望むならできる限りの手を尽くすことはできます。

    しかし、不妊治療に関して総じて軽く見る傾向があるのは、病気と言う感じがしないからなのかどうかわかりませんが、女性がする不妊治療と言うのは命がけでする治療方法なのです。 「不妊治療は命がけ」と言う言葉を大げさに感じる人は、少し勉強不足だと言わざるをえません。

    例えば、卵巣の動きを活発化させて良い卵子を作り、それを保存して体外受精させる治療を行ったとします。 これは文章で書くと一行ですが、女性の身体に起こる変化で言うと気が抜けないくらい大変なことなのです。

    まず、卵巣の動きを活発化させるというのは、女性ホルモンの分泌が激しくなると言うことです。 これは血液をドロドロにしてしまう危険性があり、血液がドロドロになるというのは、脳梗塞や心筋梗塞を起こす可能性もあるのです。 (血中濃度が高いと色々な病気を引き起こすから、サラサラ血液が良いと言われるのは血管が詰まったり破れたりするからです。)

    これは何歳であろうと危険性に変わりはなく、20代でも30代でも起こる可能性は同じです。 おまけに普段の生活において不健康な状態であれば、この血中濃度の高さはまた一段と上がり、更に危険な状態になりかねません。

    通常であれば卵巣は親指大の大きさですが、それが5~6センチに膨れ上がり小腸などを圧迫して激痛を伴うこともあります。 その状態がひどくなれば手術しないと命の危険もあり、卵巣の動きを人為的に活発化させるというのは、これくらい危険なことを予見して行わなければならないのです。

    不妊治療により他の病気を併発する危険が、女性には常にあるので注意しないといけないのです。 しかし、家族や御主人のプレッシャーにより、「早く子供を作らないと…。」 この焦る気持ちが、更に病気併発の危険性をあげていくのです。

    不妊治療により子供ができたとしても、今度は無事生まれるかどうかで気をもむようになります。 常に家族や御主人の目を気にしていたら、女性はどこで気を抜けばいいのでしょうか?

    御年配の方や男性陣は、特に注意して人間として正しい生き方をしてください。 お嫁さんや奥様が子供を作る為に不妊治療を決断したなら、御主人やお姑さんのするべきことは、「子供ができたらそれでいいし、できなくてもそれでいい。」 常日頃からそう思って、プレッシャーを掛けないことです。

    「もしも」の何かが起きてから、「あぁ~だ、こぅ~だ」と言う暇があるのなら、その前に出来ることをしてあげて欲しいと思うのです。

    ここから先は男性(御主人)に問いかけたいのですが、奥様の命と言うのはこの世にひとつしかありません。 そのひとつしかない命を大切にできない人が、新たなる生命をどうして大切に育てることができるのでしょう?

    不妊治療を行っている奥様の気持ちを理解出来ないご主人は、生まれてくる子供の気持ちも理解することはないと思うのです。

    あなたが選ぶ相手(御主人)とは、心優しき愛情を持っていますか?

    (..、)ヾ(^^*)ヨシヨシ

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