徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    精一杯。

    おはようございます。 寒さがきつくなってきましたが、素敵なあなたは今日も活き活き元気でお仕事にいけると思います。 「働きマン」より輝いている、あなたの精一杯に生きている姿は素晴らしいと思います。

    精一杯の行動に悩みはつきもので、適当に行動していたら悩みは出てこないのです。 悩みの本質は真面目に悩むと言うことで、本来悩みというのは真面目な人しか発生しないのです。

    人間である以上、迷い~悩み~苦しみ~悲しみと言うものからは逃げることができません。 できない以上は、それらと上手く付き合っていくしかないのですが、精一杯の行動をした上での迷いや悩みであるのなら、失敗してもそれと引き換えに大きな成長を得ることが出来ると思うのです。

    「この世に生まれてきて、生きていること。」 これ自体はとても素晴らしい、生命の誕生として感動すら与えると思うのです。 そのひとりであるあなたならば、感動を呼ぶことができるし、美しい真実を奏でていると思います。

    人は生きていると言う行為自体が美しいのですが、満たされている状態に気付かない人は幸せ自体に気付かないのです。

    真実の瞬間と言うものがあるとすれば、知識や学歴ではなく、出世や支配でもなく、成功や金銭でもないと思うのです。 そういうものが真実と言うのではなく、「全力で生きる。」 与えられた生命を一生懸命に生きる、与えられた力を余す所なく発揮するというのが、生における真実の瞬間であると思うのです。

    私はお客様を拝見させていただく度に、その素晴らしい才能や人生に感動をいただいております。 人生には似たような学校や会社に所属することはありますが、全く同じ人生と言うのはありえないのです。

    その持てる力や秘めたる才能を発揮できずに燻っている姿は、もったいないと思えてきます。 自分が進むべき道や場所を得ることができたなら、人生は転機を迎えたように~水を得た魚のように、活き活きと出来るものなのです。

    マザーテレサの言葉に、「この世で最も悲しいことは、誰にも必要とされないことです。」と言う言葉があります。

    どなたの人生を拝見させていただいた時でも、未来において誰にも必要とされない運命なんかないのですが、誰にも相手にされないような人生を選択することはあります。 私自身が誰にも相手にされない人生を歩いてきたので、いじめや仲間はずれに遭う辛さや苦しさは人一倍わかるのです。

    人の為に自分の持てる力や才能を使うのは、とても良いことだと思います。 その行為における運命の利回りは、目には見えないけれど意外と高いと思います。

    「人助けやボランティアなどは、成功した人がするもの。」 こういう考えがあるのは否定できませんし、余裕がない時に他人の面倒まで見れないと言う気持ちもわかります。 しかし、1ヶ月に500円づつ貯めて1年で6,000円にして、それをどこかに寄付するのは今の日本の経済事情ならば、そんなに難しい事ではありません。

    注:寄付の神様○○さんやN市のIさんと同じレベルのボランティアや寄付は、すぐには無理かもしれませんができないことではないのです。 私の寄付のレベルは、この二人には相当負けているので、まだまだお恥ずかしい限りです。 (救急車を寄付するのは、ちょっと厳しいなぁ~?)

    「自分の力を、他人の為に使うと言うこと。」

    これ自体が、もうすでに成功できている人の生き方だと、私はある意味そう思えるのです。

    自分の持てる力と言うのを難しく考えなくても、今できることや~今持てる力を、使うことができればそれでいいんです。

    時間がある人は、その時間が許す範囲で相手の求めることをすればいい。
    お金がある人は、生活に困らない範囲で気持ちが許す範囲の寄付をすればいい。

    それ以外にも、汗を流して貢献したい人は汗を流す、話が好きなら話し相手になってあげる、個人個人のやり方で貢献できればそれでいいんです。 でも、できるのに何もやらないと言うのが、人としての生き方に一番反するのではないかと思うのです。

    わずかな行動や活動でも、毎日~毎週~毎月~毎年としていけば、もうそれはあなたの心に実力として蓄積されているのです。 人間がこの世に誕生した理由のひとつは、誰かに必要とされているからだと思うのです。

    あなたがこの世に生まれてきたのは、どういう役目があると思いますか?

    p(#^∇°)q ファイトッ

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    気まぐれ。

    運命って気まぐれなのか? 思いやりがあるのか? よくわかりませんが、酷い目や辛い目にあわせるかもしれないけれど、必ずうれしいことや楽しいことも授けてくれます。 それが交互に来るなら良いのですが、連続で悪いことや良いことが起こる為に思い悩んでしまうのかもしれません。

    しかし、運命の優しいところは何かの災難(問題)が起こるということは、それに対する救い(解決策)を差し伸べてくれているところです。

    ただ、一番問題なのは、自分自身のアンテナが錆びていて働かなくなっている時です。 こういう時はチャンスが来ていても見逃してしまうし、活かすことができずにもう一度チャンスがあればと考えてしまうのも、人の嵯峨として仕方がないのです。

    言葉にすれば簡単に思えても、行動を起こさないと壊れてしまう夢はたくさんあります。

    恋愛に例えるならば、「出会っても、進まない」 「出会っても、出会えた喜びを伝えられない」 「大事なことは、心の闇の中にしまっておくだけ」 これでは恋の一歩は始まらないのですが、恋が上手く行かないという人に質問です。

    あなたにとって「恋をするのに一番大切なもの」は、なんだと思いますか?

    人それぞれなので、一概にこうだとは言えないと思うのですが、私が思うのは…。

    それは、「想いを遂げることができた瞬間」です。

    「満足感。」 ついに彼にOKがもらえた! 好きな人に告白された!
    「充実感。」 付き合える、結婚できる、毎日会える。
    「達成感。」 これで願いが叶った、これで一緒に入れる。

    このように思いはさまざまですが、自分の行動により授かる最大の報酬とは、「やり遂げたという事実」だと思うのです。

    お越しくださるお客様の行動力は「素晴らしい」と私はいつも思うのですが、それは本人がやれる範囲で少しづつ進んでいくことが大事だからです。

    例えば、走るという事柄でも「速く走れる人」もいれば、「そうじゃない人」もいる。 しかし、それは短距離向きか、マラソン向きかの差だけで、勝ち負けは余り意味のないことなのです。

    自分にできる範囲でやり遂げて、それで結果が良ければ過ぎ去ったことはどうでもよくなります。

    友人や知人、会社の同僚や学校の同級生、このような身近な人が結婚すると焦るかもしれませんが、それはあくまでその人の人生やその人の運勢なのです。 あなたの人生にはあなたが作るシナリオがあるのだから、それについて不安を持ってはいけません。 結果をハッピーエンドにできるように、物ごとは全て上手く行くように、運命とは自分で切り開けるようになっているのですから…。

    「良い事があるかどうかわからない」と嘆き悲しむよりも、「どんな良い事があるんだろう」と期待してください。

    私は今と言う部分だけを切り取ると事務所移転の必要に迫られていて、ピンチ(危機的状況)かもしれません。 お店や事務所(もしくは家や土地)を探された事がある人はわかると思いますが、そんなに簡単に見つかるものではありません。 業種によっては半年~1年探すのもざらにあります。 (特に占い関係は敬遠されがちで、借りるのは難しいのです。)

    さて、私は無事に事務所の移転ができるのでしょうか?

    答えは、「はい、できると思います。」 これ以外にないのです。 ピンチはチャンスだと思っているので、まず大丈夫です。 霊視カウンセラーが自分の行く先を決められない&見つけられないようでは、お客様に対して申し訳ないのです。 (現在は内装もほぼ終わり、少しづつ引越しをしています。)

    これは別に自信があったわけじゃなくて、運命が私を見捨てないと思っているだけです。 私が事務所を探す場合、如何にして見つけるのか? 探し方やその経緯は11月3日のログに書いてあります。 (ただし、これは普通の占い師の先生とは探し方が違うので、余り参考にはならないかも?)

    私は事務所移転後に、どのようなインテリアにしようか? 最初に来るお客様は誰なのか? こういう感じで楽しいことしか考えていません。 もしも、正しい生き方や人生を送っているのなら運命が見捨てるわけがなく、未来で誰かに必要とされているはずだから大丈夫なのです。

    あなたは自分の未来に、どんな良い事が起こるだろうかと期待できますか?

    。。。。。。。。゛(ノ・o・)ノラッキー!

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    根本的。

    おはようございます。 今週は朝4時起きで新事務所の外回りや内装の掃除をして、西ビルに戻りログを書くという生活が続き、さすがにお昼休みには少し眠気がでてくる感じです。 何とか年内には移転できそうですが、運送屋さんを頼まず自分で少しづつ荷物を運んでいるので筋肉痛気味な毎日です。

    さて、根本的な問題解決と言うのは、その問題の本質を見ていないと見抜くことはできません。 的外れなことや違う方向で解決しようと言うのは、時間の徒労に終わり何の問題解決にもならない場合が多いのです。

    寿命を例にとり、問題の本質と言うことについて考えてみたいと思います。

    人には宿命の寿命と運命の寿命と2つあり、それの増減により寿命が決まってくると思います。 私は過去ひとりだけ寿命をお話したことがありますが、それ以外は全部お答えしていません。 当たる&外れると言う問題ではなく、与えられた寿命を精一杯生きると言う行為をきちんと考えて欲しいからです。

    過去に一度だけ寿命をお話した方は、ボランティア施設を建てる為に残り時間を知っておかないと間に合わないと言う、残り時間が少ない緊急の要件だった時だけです。

    寿命と言えば、自然にお迎えを待つ場合と自らが命を絶つ自殺があります。 1998年以降の日本では毎年3万人以上が自殺を選んでいますが、これに歯止めを掛けるにはどうすればいいかわかりますか?

    子供の自殺を止めないといけない。
    管理職の自殺を止めないといけない。
    自殺サイトがあるから閉鎖しないといけない。

    世論的にはこのような意見や回答が持ち上がると思いますが、これでは自殺はほとんど減らないのです。 人の先入観は怖いもので、TVなどのマスコミ報道があるとついそれを信じてしまいます。

    自殺者数を年代別で言うと、1位は60歳以上なのです。 2位は50代、3位は40代と続いていきますが、自殺者の3分の2以上は中高年なのです。

    次に自殺した方の半数以上が無職なのですが、「中高年+無職=…?」

    これで自殺者が何故1998年以降増えてきたのかと言う理由がお分かりになったと思いますが、1998年と言えば完全失業率が4%を越えた年なのです。

    つまり職がなく生活していけない状態で自殺している人が一番多いと言うのが、表面に出てこない部分なのです。

    これらのことはマスコミ関係者なら理解しているし、防止策を持っている人も大勢いると思います。 しかし、報道になるかと言えば、さまざまな理由によりそれはできないのです。 (簡単に言えば、珍しくないから報道対象にならないと言うことです。)

    基本的に報道と言うのは珍しいことでなければ、話題やニュースにならないのです。 視聴率とスポンサーは切っても切り離せない関係なので、人目を引くことを優先して報道しなければならないのです。 (視聴率がないと、番組は成り立ちません。)

    火事のニュースが、同日の同時刻に2件発生したとします。 その夜のニュースでどちらが報道されるかと言えば「映像がある方」で、どちらの映像もない場合は「インパクトがある方」が優先して報道されます。

    TVや報道関係の人が全部こうではなく、20~30代の人の中には、「こんなことではいけない。」 熱い思いでこう考えている方もたくさんいるのですが、上司の許可が下りず却下される場合も多いのです。 正解とか不正解とか言うのではなく、企業として仕方のない部分もあります。

    このように問題の本質を見る目を養わなければ、きちんと解決することもできないのです。

    今、困っていることは、本当に解決できないのか?
    今、起きている出来事の原因は、本当は何が原因なのか?

    あなたは悩みが発生した時に、本当の原因に気が付いていますか?

    へ(-0-;へ)~~ ツ・カ・レ・タ

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    食品。

    最近は食品の安全性が度々マスコミでも取り上げられるようになりましたが、食の裏側(生産現場)を知ってしまうと、まだまだ氷山の一角かもしれないのです。 今は賞味期限の改ざんなど日数についてばかり目が行っていますが、生産の過程で何が行われているのかにも、目を向けないと本質部分の見落としになります。

    例えば衛生上の問題でも、手を洗うかどうかは生産の現場で任されていることがほとんどで、実際細かい所まで目が行き届くかどうかは別なのです。 仮に経営者が気をつけていても、働いている人全員に目を配るなんて不可能です。 そうなると今度は個人の思想の欠如によるので、雇用する時から気を付ける必要があるという最初の部分に戻るのです。

    私は高校生の時に学費を稼ぐ為にスーパーでアルバイトをしていたのですが、その時も鮮魚部門から野菜果物など全ての部門を回っていたので、色々な知識を得ることもできました。 年末なんかは商戦真っ最中なので、猫の手も借りたいくらいと裏方だけでなく、表に借り出されることもしばしばでした。

    その当時は呼び込みの仕事が恥ずかしくて、冬はクリスマスケーキやチキンの丸焼きなどの呼び込みができずに、よく叱られていました。 そして大晦日が近づくとミカンや柿などの店頭販売で、これまた人の歩く前で声をださないといけない恥ずかしさがあり、自分でもあの時は学費を稼ぐ為に一生懸命だったと思います。

    裏方作業としても色々やりましたが、そのひとつに鮮魚があります。 私は魚をさばくのはなんとも無いのですが、それは魚をおろしてパックにつめて店頭に並べると言うのをしていたからです。 その他にもスーパーで野菜の鮮度を見分けることができるのは、自分が陳列していたのに加えて、野菜を元気に見せかける裏舞台を知っているからです。

    元気がなくなってしおれてきた野菜は捨てるわけではなく、ある液体に30~60分ほどつけておけば、水分補給できてものすごくみずみずしくなり活き活きとして見えます。 ただし、見えるだけで本当に取れたて新鮮野菜かどうかは別ですが…。 (全部のスーパーがしているわけじゃありませんので、勘違いされないように。)

    スーパーの裏側も書き始めると色々ありすぎて、どれから始めようかと迷うくらいです。 服の販売にしても、商品のある部分を見るだけで原価がわかるので、私はつい原価を見てしまいます。 これは知らない方が良いと思うのですが、店頭に並んでいる物の原価がすぐにわかると、これは間違いなく買う意欲が減ります

    注:そのお店のシステムにより、見る場所や掛け率(利益率)は違います。 ちょっとだけ種明かしすると、100円ショップは利益率が高いのでかなり儲かる業種のひとつです。 (注:最近は競合店が増えてきたので、昔ほどは儲かりません。)

    それ以外でもアルバイトをしていると、色々な経験ができるのですが、例えば某○ーナツショップの場合、持ち帰りはできませんが食べるのは良いので、廃棄処分の○ーナツをかじっては捨てかじっては捨てるができます。 ただ、毎日毎日いろんな種類を食べていると、いくら○ーナツが好きでも飽きてきます。

    注:飲食系は、飲み物の利幅が一番大きくて楽です。 次に○ーナツの定番商品の利益が大きく、パイなどは原価率が高いのでお店側としては余り注文して欲しくないのです。

    ちなみに何でこんなに捨てるほど作るかと言うと、お店のイメージとして売り切れはダメと言う規則があり、常に閉店までショーケースに品物があるように本部の指示があります。

    計算ミスやお客様の増減にも寄りますが、新品の○ーナツやパイが1店舗あたり100~200個は捨てられています。 日本全国単位だと凄い量になりますが、アフリカの子供たちやイランイラクの子供たち、難民キャンプで生活していたりストリートチルドレンにならざるを得ない子供たち、この立場にいる子供がこれを見たらどう言うと思いますか?

    他には八つ橋などのお煎餅の工場だと、当然ですが欠けや割れは不良品です。 しかし、不良品とはいえ見た目だけのことなので、欠けたり割れたりしているお煎餅が出るたびに休憩室にもって行き、働いている人のおやつになるのです。 ところが最近は機械の発達によりそんなに不良品が出ない為、おやつは自腹で買うことが多くなっています。

    しかし、不思議なことに同じ工場内でもおやつが少なくなると、何故か不良品が出てくるラインがあるようです。 上層部や設計部の人は、「何でこの機械は不良品が…?」 日夜改善に努めているのですが、原因は別な所にあるのでシステムでは改善できないかも…?

    エコフィード(廃棄食品のリサイクル)などにより無駄なことをなくそうと言う試みは素晴らしいけれど、余剰食品を出さないようにする方が先決だと思うのです。 たくさん作って余れば捨てるなんてもったいないことをして、それでリサイクルに目を向けようなんて本末転倒かもしれません。

    食の安全性が最近言われるようになり、自浄作用が働き清潔で安全な物が食べられるようになるのは良いことです。 自分が食べる物に目を凝らすのは悪いことではなく、問題意識を持つことで自らも向上できると思います。

    あなたは食における安全性やありがたみについて、考えたことはありますか?

    アイビーム!(ノ☆_☆)‥‥…☆☆☆☆ビビビィー!

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    気付く。

    自分の力を試せることを何かしたいと思うのは自分の心に渇きがあり、それを満たす為には今のままではダメだ気付いた時です。 その悩みを抱えているお客様を拝見させていただく場合は、ついつい力が入ってしまいます。

    海外でボランティアをしている人達が、物事を教えるので一番大事にしているのは、自分達でできるようにするという点です。 自分で道筋を見出すことができれば、それは自分で動き出す力を身につけることができたからです。

    仮に井戸を掘るとして、井戸を掘って水が出るようにしてあげるだけなら、今の日本人の技術力なら簡単な事ですが、それでは日本人の援助がなくなった時にどうにもなりません。 また、いつまでもそこだけにボランティアの人がずっと居るわけにもいきません。

    それよりは、井戸の掘り方やメンテナンスを教えて、故障した時や井戸が枯れた時に自分達で対処できるようにしてあげる必要があるのです。

    「いいことないかなぁ~!?」 これは誰しも思うでしょうが、いいことを起こすヒントとは日常の生活の中に一杯隠れています。 ただ、それに気付くか?気付かないか? それだけのことなのです。

    気付くと言うのはものすごく重要な事なのですが、わかりやすく説明すると…?

    今現在のあなたが年収1億円でないならば、それは実際に年収1億円の人と行動や考え方など何かが違います。 平均的年収の人は、平均的な行動や考え方をしているから、平均的年収だと思うのです。 年収1億円の人と自分では、どこが違うのかを良く見て、それと同じ真似をする事である程度は近づけます。

    最初は真似で良いから、とにかく年収1億円の人ならば、どういう行動をしているのだろうと、勉強しても良いし研究しても良いのです。

    成功のパターンはひとつではないので、億万長者の人が全員同じ行動と言うことはありませんが、まず考えると言う事に意味があるのです。 何かの問題や悩みにぶつかった時に、「もしも、年収1億円の人なら、どういう解決方法があるのだろう?」 このように自分が年収1億円の人になったと考えて、自問自答してみるのです。

    何かについて自問自答するというのは、自然と考える癖をつけることになります。 そして考えるたびに、その回答が正解でも不正解でも人生における栄養として、あなたを大きく成長させてくれると思います。

    運が良い人と言うのは、第一条件として素直と言うのが挙げられますが、「そんなことしても無駄だ。」といってやらない人が、幸せになれることはありません。 「騙されたと思ってやってみよう。」 こういう自然な思いを持つ人の方が、運命の神様も応援しがいがあると思うのです。

    頭の中で思うだけで、その思いが自動的に相手に伝わるなんていうのは、残念ながらおとぎ話でしかありえません。 しかし、自分の人生を自分の思いで変えるというのは、自分の未来だからできることなのです。

    自分の思いが日常の行動を作るので、面倒くさいと思えばやらないけれど、楽しいと思えばすぐにやる。 思いが自分の行動をどれだけ作り上げているのかと言えば、ほぼ全部の行動が自分の潜在意識の中にあると思います。

    実際問題、この世で成功することと学歴はほとんど関係ありません。 もしも、学歴がすべてと言うのなら、学校の先生や銀行員の方が商売を立ち上げたら、成功例ばかりになります。 残念ながら、学校の先生や銀行員の人が商売をしても失敗例の方が多いというのが現実です。

    学校の勉強(成績)ができる(良い)というのと、社会で成功すると言うのは別物なのです。

    注:余計な話ですが、私の学生時代(小中高)の成績は、順位は常に最下位(60人中60番など)で、通知表の評価は全て最低(5段階評価&10段階でオール1など)でした。 点数でいうなら0点とまでは言いませんが、30点とか20点とか低い点数ばかりで、60点以上取ることはありませんでした。

    もしも、あなたがどこかにたどり着きたいと思うのならば、今居る場所から移動しなければなりません。 同じ場所にとどまると言うのは、変わらない~もしくは後退を意味するだけで、決して成功とは言えないのです。

    あなたは今居る場所から、動き始めることができますか?

    ф~ \(ε ̄\)~~~~~

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    返事。

    「聞くのが怖い。」 相手に対して返事が欲しいのだけれど、その返事を聞いてしまうと何かが変わるかもしれない…。

    聞くのが怖いと言うのを一番身近に感じるのは、恋する気持ちを確かめる時かもしれません。 相手に対する恋の想いを伝えた時に、返事が欲しくてたまらないけれど、聞いてしまうと関係が終わってしまうかもしれない。 その為に友達以上~恋人未満で我慢して、できる恋かも知れないけれど、できない恋のままで終わらせてしまう。

    子供じゃないんだから~大人なんだから~、こう自分に言い聞かせて心の叫びと共に、彼の前にいつも立っている自分を、本当はどう思えばいいのかわからなくなるのが、恋の難しいところなのです。

    友達でいられるなら関係は壊れないけれど、それ以上進むことはない。
    友達でいられない関係は壊れるかもしれないけれど、恋が始まるかもしれない。

    生きている限り、誰かを好きになる気持ちと言うのは抑えられません。 自分の道を突き進むのは苦しいけれど、恋のチャンスは苦しさの中に生まれてくるから、複雑な関係はパズルを解くようなわけには行かないのです。

    会社帰りにアナタと偶然一緒になり、駅までの道程を二人で歩いていると、「このまま駅に着かなければいいのに…。」と思ってしまうかもしれない。 駅に着いたら着いたで、「彼が乗る電車が来なければ、もっともっと話していられるのに…。」と考えてしまうかもしれない。

    心が感じることを身体に伝えることができたなら、指が動いて~手が動いて~身体が動いたかもしれない。

    あのね、普段のわたしは笑顔でウキウキはしゃぐようなオンナじゃないの。 本当はね、はしゃぐ気なんかなかったけれど、アナタと歩いていると心が嬉しくて、何故だかはしゃいでしまうの。

    「好きな気持ちを伝える勇気は、まだない。」 アナタの瞳の中にわたしが写っているのなら、その存在に対して勇気が出たかもしれない。 だけど、わたしの姿はアナタにとって、まだ景色の一部でしかないんだよね。

    想いを伝えたい、叶えたい。
    出会いを偶然じゃなく、必然にしていきたい。
    現実と理想は違うし、その間にあるものは希望しかない。

    アナタのヒトコトがあれば、わたしの人生は変わるかもしれないのに、そのヒトコトはまだ言ってもらえない。 アナタに恋する気持ちは誰にも負けないのに、恋に気持ちの強さは関係ないのかな?

    駅で見送る時にね、わたしは鈍感なふりをするしかなかったの。 聞こえない~気付かない~傷つかない、自分を嘘で防御しなければ、あなたを見送るのが辛い。

    偶然出会ったのはあの日だけで、あれから前と変わらぬ日々を淡々と過ごしているだけ。 あなたがいないだけで、他は何も変わらないまま今日も一日が過ぎていく。 駅で見送る時に、「いつか、また会えたらイイね。」 あぁ言ったけれど、あれはウソ。

    本当は、「今すぐに会いたい。」

    アナタが今、何をしているのか気になるし、何を考えているのかも気になります。
    わたしは今、アナタのことを考えています、想っています。

    「あぁ~あ。 あの時にちゃんと聞いとけば良かったなぁ?」 1ヶ月たった今でも偶然の出会いの時を思い出してしまうのは、あきらめきれないから…。

    問いかけと返事は、裏と表なのです。 どちらかひとつだけでは成り立たないし、どちらが欠けてもそれは不完全燃焼になってしまうのです。 返事を聞くのが怖い気持ちはわかるけれど、聞かなければ前に進めないのは恋だけでなく人生のルールでもあるのです。

    忘れられない、いつまでも心に住み続ける思い出。 それは取り戻せない時間の中に埋もれたままで、いつまでたっても掘り出せない宝物。 開けてみないと中に何が入っているのかわからないけど、開けてしまうとタネがわかってしまう恋のマジック。

    自分の気持ちに対する返事を聞くのは、大人の恋を味わっている証拠なのです。

    あなたは恋のカクテルを、大人として味わっていますか?

    。。。ρ(-ω- ) イジイジ

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    リテラシー。

    リテラシーと言うのは現代社会においては重要なヒトコトなのですが、これは読み書き能力を表します。

    時代の流れもあり、今はネットやTVなどで情報だけなら無数に集めることができます。 しかし、それらの情報については有効なものか無効なものかと言う、正否の判断がつきづらいと言う側面も出てきました。

    人の心理として、後光効果とも言うべき「知名度の高い人の話は大丈夫」とか、「ここの会社は有名だから大丈夫」などと言う、言葉の魔力やマスメディアの力に弱い所があります。 情報や選択肢が多いということは、迷ってしまうことが多いとか、選べるがゆえにどれを選んで良いのかわからなくなると言う自己矛盾も発生します。

    しかし、いくら情報を手に入れることができても、その中には正しいものもあれば正しくないものもあり、どうして良いのか取り捨てができない場合もあります。

    例えば、カレーライスの写真や画像を見ても、体験や記憶により辛いとはわかります。 しかし、それがどのような辛さなのかまではわかりませんから、その先は想像になります。 ほんのり辛いのか、ものすごく辛いのか、どちらにせよ辛いと言う以外は、あくまで想像の域を出ないのです。

    リテラシーとは、正否の判断をより正確にしてくれるものであり、自分の意識改善や努力でできる分野なのです。

    誤解と言うのは、自分の伝えたいことを相手が受け止められなかった場合に起こると考えがちですが、自分も相手の言うことを理解せずにいることが多々あるのです。 相手の話をキチンとリテラシーできないままに受け答えをすると、当然ですが中身はチンプンカンプンと言うことにもなります。

    そうなると誤解が誤解を生み、取り返しのつかないレベルまで行ってしまいます。

    日本の書店は減る一方なのですが、店舗数は減っても大型店舗ができている為に、書店の面積で言うとそうでもないのです。 若い人は本を読まないと言う人がいるけれど、本屋に行って見ると買う買わないは別にして、やはり人はいるのです。

    本を読む習慣は小さい時に身に着けないといけないのは事実ですが、じゃあ大人になってからでは無理なのかと言うと、本人の意思でどうにでもなるのです。 ただ、その意思を呼び覚ますのが一苦労で、ナカナカ目覚めにくくなっている点は仕方がないのです。

    リテラシーを身に着けて、その上で意識が勉強に向いたなら、信じられない吸収力が身についていると思います。 筋肉を鍛えるのには限界があり、骨量との関係でこれ以上は無理と言う限界があります。 しかし、人の脳細胞はいくらでも鍛えられますから、年を取ると忘れっぽくなると言うのは嘘で、使わないから退化して忘れていくと言うのが正しいのです。

    年齢で脳の実力が決まるわけではなく、使うか使わないかと言う刺激の問題です。

    ギターの神様、エリック・クラプトンは若かりし頃から、自分が今するべき事をちゃんとできるだけの意志を持っていました。

    クラプトンがセミプロの時から心がけていたのは、今しなければならないことを認識すると言う点です。 いつものことですが、演奏終了後には「飲みに行こう」と仲間から誘われるのが常でした。 日本でも付き合いと言う言葉で、赤ちょうちんで一杯と言うのも珍しくありません。

    しかし、クラプトンはこう答えました。

    「飲みたいのは山々だけど、今日うまく引けなかった曲を今から練習するんだ。 一流のギタリストになる為に今の僕がしなければならないことは、酒を飲むことではなくギターの練習をすることなんだ。」

    いくら素晴らしい夢があっても、それが欲望に負けるようでは実現は難しいのです。

    欲望が勝てば、夢への実現は遠くなります。
    願望が勝てば、夢への距離は近くなります。

    あなたは、どちらの力が勝っていますか?

    どろん!!|ω-)  |-)  |) ※パッ

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    一番。

    「君子危うきに近寄らず。」と言う言葉がありますが、私が悪い事を基本的に言わないのは、何も悪い未来を選ばなくても良いと考えているからです。

    人生は決まっているわけではないので、悪い未来と良い未来があれば、良い方を選ぶ方が幸せになれると思います。 面白い事に自分が今ある状態の方へ、ついつい流されてしまうと言うのが「判断の誤り」となります。 自分ではそれを悪い選択だと思わずに選んでしまうのですが、周りから見るとなんでこんな選択をしてしまうのかと首をかしげる場合があります。

    人には常に選択肢がある代わりに、決定権は自分にゆだねられています。 その決定権を使えるにもかかわらず、進むべき道を間違えてしまうのは勿体無いと思うのです。

    決定したい事柄に対してきちんとした判断が、自分の心の声にかき消されてしまうのは、欲とか~情とか~感情の問題なのです。

    夢でも目標でもやりたい事は、一度しかない人生だからチャレンジするべきなのです。 このログを読んでいる人の心の中には、優しさと勇気が備わっていると思います。 今のままでは駄目だから何か自分にできることを始めたいと言う、熱い思いが眠っている素晴らしい人なのです。

    始めようと考えるあなたもいれば、もう終わりでこれ以上は無理だ考えるあなたもいます。

    やろうと決断して前に進み始めると、急に怖くなったり~大丈夫かと心配になるかもしれません。 しかし、運命はあなたのチャレンジに拍手することはあっても、足を引っ張っるなんて余りしません。

    世の中は常に変化していくものですが、その変化の中で変わらないものがあります。 それがなんなのかを見極めることが自分の理念や信条となり、周りに対して自分と言う個性を認識させた時が本当の独り立ちした瞬間なのです。

    私がここでも度々、ライバル不要論や過去の成功体験の不要論を述べているのは、自分の成長を妨げるだけだからです。

    ライバルの動向に目が行くのは、その人しか見ていない狭い視野を確立させてしまいます。 過去の成功体験を覚えているのは、いつまで経っても良い思いをした過去の時間に現実逃避をしてしまうからです。

    苦労した人の言葉に真実味があるのは、自分の辛い思いを相手にさせたくないと言う、思いやりや優しさがある為なのです。

    自分が先駆者となるのは勇気がいりますが、それは誰も踏みしめていない雪の上に自分の足跡を残すと言う、心地良さもあるものなのです。 自分の足跡以外に何もないというのは、紛れもなくあなたが一番であり~最初にやったと言う証明なのです。

    自分が残した足跡を真似されるくらいに登り詰めたなら、もうあなたがその分野では第一人者です。

    真似をされるのは余り気持ちの良いものではないのですが、オリジナルを作り上げた自信と技術と経験などは揺るぎません。 短期的には真似をした方が得をする場合があるかもしれないけれど、長期的には真似をされる方が得をするのです。 いくらきちんと模倣してみても、オリジナルでないと言うのが後々尾を引くのです。

    それよりも、むしろ真似をしたいと思わせるような自分になれば、一流の証なのです。 (誰もが真似したいと思うからこそ、魅力があると考えてくださいね。)

    例えば? HPには著作権がありどこも厳しく流用を禁じているのですが、私はそうでもありません。 このログを流用してもらうことでより多くの人々の目に触れて、読んだ誰かの心が元気になるのであれば、いくら流用されても人の役に立っているからイイと思っています。

    このHPをリンクしていただけるのならそれでいいし、HPの内容を模倣されてもうるさく言うことはないので、自由度が高い方だと思います。 ログを使用すると言う連絡くらいはあればと思いますが、それもまたその人の自由なのでいいんです。

    このログをコピーしておいて、落ち込んだ時に電車や会社で取り出して読み、少しでも心が元気になれば、その方が私は嬉しいのです。

    あなたは誰かに真似されるくらいの、魅力を発揮していますか?

    (-.-)Zzz・・・(°_°) ぱちっ \(o ̄∇ ̄o)/ふぁ~

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    心の花。

    おはようございます。 今日は月曜なので新たな気持ちで仕事に迎えたら、今日から1週間という時間を有意義に過ごせるかもしれません。 その為にも自分の心に誇りを持たせて、すがすがしい生き方をできればいいと思うのです。

    あなたの心にはきれいな花が咲くのですが、その花はあなたがいる場所にしか咲かないあなただけの花なのです。

    そしてその花の色は、あなたの人生の歩む道の通りに咲きほこるのです。 黒い考えを持っていたなら黒い色に、白い考えを持っていたなら白い色になります。

    未来に漠然とした不安が沸き起こる時がありますが、それはあなたが前進しようと決めた瞬間でもあります。 物事には行き詰まりと言うのがあるから、進歩もあるのです。 何かをしていて壁にぶつかると、もう駄目だと思ったりあきらめようかと考えたりします。

    しかし、それが上手く行かなくても他の何かが上手く行く前兆だと捉えて、Aと言う方法が駄目ならBと言う方法に切り替えろと言う暗示だと思えば良いのです。

    「したいことが~やりたいことが~、見つからない。」

    これは確かにそうだと思いますが、親に食べさせてもらっている○ートの人が言う言葉ではありません。 自分でチャレンジして壁にぶつかり、それを乗り越える為に休息している状態の人が言う言葉なのです。 休息とは何もしていない状態ではなく、新たに何かを始めようと考えている状態だと思ってくださいね。

    この世で一番強い状態と言うのは、どんな時でもあきらめずに自分の力で立っている人のことを指します。

    私はお客様の未来を見た時に立っている姿が素晴らしい輝きと共にあると考えて、明るい未来を視るようにしています。 できないことがあったり無理なように見えることが出てきたなら、それはできると言うことの裏返しです。 人は空を飛びたいと思ったけれど自力では無理だった。

    しかし、ハンググライダーや飛行機により不可能を可能にして、できないことに対する挑戦を人類は続けているのです。

    人生とは自転車を漕ぐのに似ていて、あなたがペダルを踏むのをやめない限りは、倒れることはありません。

    人の未来には個人個人の色々な選択肢があり、それの中から自分の生きるべき道を探し出して、悲しんだり喜んだりするのです。 そしてその過程においては、人の成功を妬んだり羨んだりせずに祝福してあげることが必要だと思うのです。

    運命の神様は、誰かの幸せを共に喜んで上げることができる人を、幸運にしたいと思うのです。 「おめでとう」などあらたまらなくても、「凄いね!」「素敵だね!」このようなヒトコトがあれば、相手は喜びが倍増するはずです。

    言葉は私たちが生きていく中で生活に影響を与える、とても重要なものだと思います。 言葉にはどうしても感情が移入されるので、言葉と感情は密接につながり切り離せないものなのです。 言葉を発するたびに心や身体に影響を与えて、そのうち自分自身の人生にまで影響を及ぼすことがあるのです。

    自分の発した言葉により相手を傷つけた場合は、自分の傷つく覚悟が必要なのです。 しかし、自分の発する言葉で相手の心をときめかせたり喜ばせたなら、今度は自分がトキメキを感じれる状態で言葉が戻ってくると思うのです。

    いつだって、不運な状態を逆転するのは幸運な出来事ではなく、行動する自分によって逆転するのです。 自分に実力がないと未来や夢をあきらめなくても、自分に足りない物を知ることにより、新たな自分を作り上げることができると思うのです。

    「たまたま、あれが駄目だったから今の自分はこうだけど、上手く行きさえすれば…。」 これを繰り返していると、先へ進むどころか後退してしまいます。 自分の実力の足りない所は自分の実力を教えてくれているのですから、それを基準に更なる向上を求めたならあなたの未来は違ってくると思います。

    失敗と上手に付き合っていく為には、どうにもならないことではなく、今の自分にコントロールできることに集中するしかないのです。

    あなたの心はどうコントロールすれば、何色に咲くと思いますか?

    アリガト♪(*'-^)‐☆パチン

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    日曜日ですね。

    今日は日曜日なので、お休みの人は英気を養ってお仕事に備えてくださいね。 ここ最近の私は現事務所と新事務所の往復で、鑑定の合間に内装工事の打ち合わせに行ったり、大工さんにコーヒーを出しに行ったりして、鑑定はヒマなのですが所用の方が忙しいです。 (新事務所は現事務所より、徒歩3分くらいです。)

    今度の事務所は出入り口が2ヶ所あるので、他のお客様と顔を合わせなくても退出が可能になりました。 新しい事務所の場所(地図)は、内装工事や電話線の工事などが完了したら載せたいと思います。 (NEW地図も、白石さんにお願いしています。)

    私の場合、移転は急展開でも場所や内装はあらかじめ視ていたのと、出ることになるとわかっていたからスムーズに行くだけです。 普通、未来と言うのは予測のつかないもので、いつどうなるかわからないから未来なのです。 しかし、だからと言って動けないのであれば、チャンスを逃してしまうかもしれません。

    霊視で未来を視た時に、その通りになる人とそうならない人の違いと言えば、あると言えばあります。 それは個人の行動によるので私がどうこうは言えないのですが、11月にお店を出す予定ですと言っても、11月の人もいれば12月の人もいます。

    運命は常に変化しているので今日は右に行く予定でも、明日になると左に行かざるを得ない状態が起きたりします。 その時の選択肢で真っ直ぐに進む人や右に行く人や左に行く人など、ここで選択が千差万別なのです。

    運命はいたずら好きでうまく行き始めると足を引っ張るし、落ち込んだりうまく行かない時は助けてくれる。 人生を歩んでいると、これを感じたことのある人は結構いると思います。

    未来予想図と言うのは、良いように書けば良い方向へ行くし、悪いように書けば悪い方へ行く。 自分が思い描かないことはそんなに起きないのですが、人はつい潜在意識の中で失敗している自分やミスをして窮地に陥っている自分をふと頭がよぎることがあります。

    私を例にとると、「父親の借金が、またいつか来るぞ?」 これを想像しないように~考えないようにとしていても、ふといつ来るだろうかとヒマな時などに考えてしまい、そして潜在意識に書き込んでしまうのです。

    潜在意識は良いことと悪いことの区別はつきませんし、現実か空想かも判別できません。 自分にとって良いことを考えて、夢や目標をドンドンと想像するのは潜在意識を動かすのに、とても良い事なのです。

    私自身も凹んだり落ち込んだりすることは山のようにありますし、うまく行かないと思うことも1年通して言うと無数にあります。 そういう時こそうまく行った自分を想像したり、うまく行っている自分を考えて、夢や希望を優先させるべきなのです。

    私は今の時期だと来年の自分はどうなっているかを時々視ていますが、来年は出張が増えたら良いなぁと思います。 365日事務所のみだと、たまには別な景色を見てみたくなります。 (霊視で色々な景色を見るのと、実際に目で見るのとでは違います。)

    東京は今までのように時々出張しますが、それ以外にも次の候補地として大阪や名古屋を考えております。 この2地区については、「ウチを使えばイイよ。」とお声掛けくださっているお客様が2人いらっしゃるので、「どうしよう?」と思案中です。

    今までは公共の場所(会議室や応接室など)をお借りしていましたが、「そういう場所でなくてもイイよ。」と霊視希望のお客様が言われるなら、来年より東海地区と近畿地区の出張はすぐに開始できます。 (また、ご意見を聞かせていただければ幸いです。)

    凹んだ時や落ち込んだ時、つまり元気の無い時には自然とうつむいてしまいます。 しかし、うつむいたとしても足元に成功が見えたなら、再び元気に歩いていけると思います。 その為にも、自分の未来においては「良いことがある!」 こう想像して楽しい気分になるだけでも、少しは心が元気になると思うのです。

    私はお客様がうつむいた時に、再び元気になれるお手伝いができればと思いながら、霊視カウンセリングをしています。

    霊視は絶対ではなく、見当違いの視え方や間違った指南をしてしまうこともあると思います。 それでも希望となる一筋の光が少しでも見えたなら、あなたにとって役立つツールになるかもしれないのです。 楽をするお手伝いはできませんが、明るい未来へ進むお手伝いはできます。

    私はお客様に目の前にある選択肢を、どう選んでいくのかまで強制はできません。 未来の選択肢をお話しすることで、あなたの可能性が広がり判断する材料になればと思うのです。 あなたの選択のお手伝いができることが、私にとって何より嬉しいことなのです。

    あなたにとって霊視カウンセリングとは、未来へのナビとなることができるでしょうか?

    キク~ (~o~ )qq(^^ ) ツボ刺激

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