徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    制約。

    おはようございます。 今日は月末なのでどんな会社やお店でも、何かと忙しいかもしれません。 これを読んでいる素敵なあなたが、今日も朝から元気で明るく過ごせると信じています。

    日々を過ごすと言うのは偶然の産物であり、物事が全て決まっていたなら人は努力できなくなります。 偶然に対して必然と言う言葉がありますが、必然とは「必ずそうなるさま」を意味します。 辞書で引くと、それ以外になりようの事とか、決まっていると言う意味合いが強い言葉です。

    その他にも必然に関しては、スピリチュアル的にはアカシックレコードと言う言葉があり、全ての事が記録してある全知全能のレコード(記録)があり、人は生まれてくる前に自分の人生の台本を決め手から生まれてくると言うお話もあります。

    しかし、物事が全て必然ならば、人はどのように生きれば良いのですか?

    努力しても人生が変わらない、勉強しても受験に不合格、結婚しても離婚する、こんな事が全て決まっているならば、人生を歩む意味がないのです。 もしも、生まれてくる時に子供が親を選んで生まれてくるのなら、虐待される事がわかっているのにその親を選ぶのですか?

    選べると言うのなら生まれてくる生命全部が、温かい愛に包まれた親を選ぶと思うのですが、これも学びや修行と言葉で片付けてしまうようでは、いい加減極まりないのです。 何かと言えばすぐに、「それはあなたの修行や学び」と言うから、私は釈然としないのです。

    私は人生においては偶然の塊で、努力する事や自分の意思で動く事により、人生のゴールは次々と変化していくと考えています。 偶然の産物が世の中で不可能と言われた事を覆した例はいくらでもあるし、偶然があるから人生は楽しいのです。

    私の所へ御相談に来る人には、自信を持って生きて欲しいと思うのですが、人生は決まっているわけではないのです。

    右の道へ行くと、Aと言う結果。
    左の道へ行くと、Bと言う結果。

    どちらへいっても同じ結果なんて、ありえないのです。

    私は人生が必然なんて、とても信じられません。 もしもそうだと言うのならば、子供を殺された親の前で、「それは必然です。」と言えますか?

    親御さんの気持ちを考えると、このような適当で出鱈目な発言はとてもできないのです。

    私は犯罪被害にあった方々のお力になれればと思いますが、それは犯人逮捕に協力と言う形でしかできません。 (霊視が出来る人は犯罪捜査の協力は、当たり前の事であり筋道なのです。)

    ※日本全国には私のようなヘタレではなく、もっと凄い先生方が大勢います。 全知全能の神様の声が聞こえる~アカシックレコードにより何でもわかる。 これらは本当に凄いのですが、それなのに犯罪捜査に協力しない&犯人を発見できない、これが矛盾した不思議な部分です。

    将軍の徳川家康公が、「人生とは、重き荷を背負い歩き続ける事。」 こういう言葉を残していますが、まさに生きる事とは「制約と重荷」なのです。

    生きていると言う事は、色々な制約の元に行動する事になります。 

    地域の制約。
    時間の制約。
    会社の制約。

    このように色々な制約の元に、人は生きていかざるを得ません。 なかでもその際たるものは「寿命」で、基本的に死を選ぶ事は誰も出来ないのです。 病気になるのを事前にわかる人はいませんし、事故に遭うのを予見できる人もいません。 死とは知らない間に忍び寄ってきて、いきなり出現して気が付いた時には寿命の期限を過ぎている場合がほとんどです。

    つまり、この世における制約に関しては、取り除いたり捨て去る事はできません。 しかし、重荷に関しては良心により取り除く事ができると思うのです。 良心の呵責と言う言葉もあるように、良心がゴーサインを出した事ならば、それを行う事で自分の気持ちが綺麗に澄み渡ると思うのです。

    人事を尽くして天命を待つという言葉のように、自分にできる事を一生懸命したなら、あとは神のみぞ知ると言うスタンスで、運命にお任せしても良いと思うのです。

    良心が気持ち良いという事をして、自分の心がふさぎこむ事はありません。

    あなたの良心は、どのようなゴーサインを出していますか?

    ☆⌒(*^∇゜)v ありがとう!

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    美しい。

    成功や幸せと言う言葉、これは誰にでも降り注ぐ公平なチャンスであり、誰かの頭上にのみ存在するものではありません。 人が成功したり幸せになったのなら、それはキチンと祝福してあげる必要があると思います。

    精神論や自己啓発論などの本には必ず無の境地に関することが書いてあり、そこには嫉妬や妬みに関することも多々書いてあります。 人の心には善と悪の両面があり、善だけで生きていこうとする場合は何か支えがないと、行けば行くほどきつくなります。

    私の場合は自堕落的な生き方をしてきたのと、自分の私利私欲だけで生きてきた過去の反省と言うのか、罪滅ぼし的な自己概念があるから、お客様が元気になって帰っていく姿が嬉しいです。 善だけで生きていこうとするのは難しくもないし、息苦しくもなく楽しいだけです。

    注:自閉症で知恵遅れと言われいじめられていたので、誰かと話をできるだけで嬉しい限りです。 誰かと話せる嬉しさは、私の中では消え去ることは一生ないのです。

    お越しくださる時には凹んでいたり~落ち込んでいたり、元気が無い状態であったとしても、帰る時に元気で生きる希望が沸いていれば、それでいいと思うのです。

    しかし、昔の私がそうだったのでよくわかるのですが、人に良い事があれば「何であの人だけ…?」とか、「自分には良いことが、何で起こらないんだろう?」 ついつい、こう考えてしまうのが人の心のスキマにある、邪念とも言うべきものなのです。

    昔の私を例にとると、愚痴が多くて人に不快な台詞ばかり聞かせていたと思います。 お恥ずかしい限りですが、あぁ言えばこぅ言うの繰り返しで、自己中心的な考えにしかならなかったのです。

    いつもきれいな言葉やプラスの意味合いの言葉を使うのならば、それはあなたの未来が明るいと言うことであり、いつかその言葉が自分に戻ってくるのです。

    「良い言葉を使えば、良い言葉に恵まれる。」 その為にも、希望とか望みを持つということを考え違いをしてはいけないのですが、なぜか希望を持つという意味を間違えて思い込んでしまうのです。

    ただ漠然と「希望を持つということ」と、「その希望を現実の物として受け入れる準備をする」のでは、根本的に違いがあります。

    ある会社の社長は、大きな取引や売り上げにばかりに目が行って、足元が見えていない為に会社が傾きかけたことがあります。 人員やネットワーク(機動力など)が揃ってもいないのに、大企業との取引を夢見て突き進んでいました。 しかし陣容が整わないのに取引してもらえるわけが無いし、取引開始してもクライアントの依頼に答えられないのでは取引中止が見えています。

    こういう時には意外と社長ではなく、社員の方が良く状況が見えているものです。 (社長の暴走に対して社員の皆様が心配をして、私に相談に来ると言うことが多いです。)

    その企業と取引しても大丈夫な陣容にして、いざと言う時には依頼に答えることができると言うのが、「願望を受け入れる準備をして待つ」と言うことなのです。 それを、「取引さえしてくれれば、ウチは大丈夫なのに…。」と他力本願では、うまく行くはずがないのに見えてない経営者が多いのです。

    私は愚痴や不平不満を言わないのかと問われれば、「最近は言う必要がないかも?」 こう答えると思います。 昔の私は愚痴や不平不満を言い続けていましたが、今は言う必要性がなくなりました。 凹んだり落ち込んだりするのは自分のせいであり、誰のせいでもなく自分の歩む道が少し違っていたと反省する方が先だからです。

    美しい唇でいたいと思うのなら、美しい言葉使いをしてください。
    美しい瞳になりたいと思うのなら、目の前にいる人の美点を探してください。
    美しい人生を送りたいと思うのなら、誰かの幸せを願って人生を歩んでください。

    運命は今と言う部分だけを切り取ると不公平感がありますが、時が流れていけば時間がその不公平感をなくして、いつの間にかプラスマイナスゼロになっているのです。

    人を妬み続けている限り幸せが自分のところに降り注がれることはありませんが、誰かの幸せを願って生きているのなら幸運はいざと言う時に助けてくれると思うのです。

    あなたの幸せとは自分だけですか? それとも誰かと一緒に幸せになりたいですか?

    ヘ( ̄ω ̄ヘ)(ノ ̄ω ̄)ノ

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    時間の正体。

    おはようございます。 今日は月曜日なのでお仕事開始の方も多いと思いますが、毎日毎日流れていく時間を前にして、「会社行きたくないなぁ~。」「時間が止まらないかなぁ~。」 こう考えたことがある人もいると思います。 しかし、正直言って時間の正体とはよくわからないもの、冷静に考えると不思議なのが時間の流れです。

    時間の正体とは、私が中学2年の時に理科系の先生にした質問ですが、当時の私は知恵遅れと言われていたので、まともに取り合ってもらえませんでした。 昔から私は友達もいなくて本ばかり読んでいたので、スティーブン・ホーキング博士(イギリスの理論物理者)の著書を読んで時間の流れを勉強しました。

    時間と言うのは時計としてや曜日として存在してはいますが、それを目で見ることは出来ません。 年の取り方ひとつとっても、老けて見える人と若く見える人がいるのですから、時間の経過を確実に確かめるすべはありません。

    時間と言うものの考え方のひとつに、分量で考えるというのがあります。 少し子供の頃をふりかえってもらいたいのですが、8~13歳などの小さい頃には時間の経過を早く感じましたか? それとも遅く感じましたか?

    普通の感覚の人ならば、幼い時ほど時間の経過を遅く感じていて、年を取るごとに時間の経過を早く感じると思います。 人は一日24時間で変わらないはずなのに、時間の経過の感じ方は人それぞれと言うのが、時間の不可思議な所です。

    1年が過ぎるのを基準に考えてみると…?

    あなたが10歳の頃の時間の流れで1年と言うのは、「10年分のうちの1年」になりますから数学で言う「10分の1」になります。

    次にあなたが現在30歳として、今の時間の流れは「30年分のうちの1年」になりますから、これも数学で言うところの「30分の1」になります。

    これにより、時間の分量は当然のことですが、「10分の1」>「30分の1」となります。

    つまり10歳の時の1年とは、生まれてきてから10年しか経っていないのだから、10年分の1年として時間の流れを感じています。 (人生の10%として感じています。)

    それに引き換え、30歳となった今では、30年分の1年として時間の流れを感じているのだから、「もう冬かぁ…。」 こう思っても不思議ではないのです。 (人生の3,3%として感じています。)

    1年を距離に置き換えて考えると、子供の時は1年と言う時間を10メートルと言う距離で走り抜けるのですが、大人になると1年と言う時間を3,3メートルで走り抜けてしまうのです。 10メートルと3,3メートルでは、走り抜ける時間の感覚の差を速く感じるのは普通なのです。

    年々、時間の経験分母(30→40→50年)が大きくなり続けるのに、経験分子(1年)は変わらない為、年を取る感覚は速度を増していくのです。

    文明が進化しても自然界を操れないのと同じで、科学がいくら発達しても時間の経過も操れないのです。 SFの世界など空想の産物ではタイムマシンが可能でも、現実世界においてはタイムパラドックスと言う言葉があるように、タイムマシンは不可能です。

    物理学では、原因~過程~結果と言う感じで、物事の因果関係そのものが重要であり、そこにファンタジーは入り込む余地がありません。 タイムマシンで時間を越えるというのは、まだ投げてもいないボールを打とうとするようなものです。

    物理学における、「質量保存の法則」により、もしも未来の人が現在にタイムスリップしてきても、その人やタイムマシンを構成する原子自体がどこから来たのかと言う、矛盾が発生します。 (未来と言うのは、現時点で発生していないという大原則です。)

    また、小難しい物理学で説明しなくても、一番重要なことがあります。

    それは、「未来からの訪問者が、現実にきたことが無い。」 この一点に尽きます。 未来からの訪問者が来たのなら、それはタイムマシンの存在を否定できないのですが、仮に未来が現在と同時に存在しえたとしても、「未来人が来たことは、一度も無い。」 つまり、人などの生命体が未来において存在し続けたとしても、タイムマシンだけは無理と言うことなのです。 (アインシュタインは、また別の理論を打ち立てていますが、別な機会に書きます。)

    これが、スティーブン・ホーキング博士の「時間順序保護仮説」です。

    話がだいぶそれたかもしれませんが、時間の経過は歳とともに早くなるのですから、今日一日を精一杯生きるのが人としての役目でもあると思います。

    あなたは時間を大切に、有効的な使い方をしていますか?

    (∪。∪)。。。zzzZZ

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    相手の立場。

    おはようございます。 今日は日曜日でお休みの人も多いと思いますが、自分の時間の大切さを少し考えてみるのもいいかと思います。

    さて、新しいHPは携帯電話(機種にもよります)でもある程度、順序よく見えると思いますが、やはり知識のある人が作ると違うなぁと感謝しています。 また、新しいHPの感想など教えていただければ幸いです。 (携帯からでも、HPやログが見えると思います。)

    今日は人間関係について少し書いてみたいと思うのですが、「誰ともぶつからずに、スムーズに過ごしていけたら…。」 これは会社でも学校でも、人間として一度は考えると思うのですが、人間関係が得意と言う人の方が少ないと思います。 自分だけが苦手なのではなく、相手も苦手な部分があると思って、気持ちよく好印象を与えることだけに専念してみると、意外と突破口になる場合があります。

    意見の相違と言うのは誰しもあるものですが、それが自分本位の考え方になっていると、「周りが見えていない=人望がなくなる」となります。

    人の習性と言うか、DNAの産物と言うか、人はどうしても「自分の意見の方が正しい」と心の中で思いがちです。 しかし、相手の立場になってみると、今度は見方が変わるかもしれません。

    私が年中無休でしているのも、お客様の休みにできるだけ合わせようと言う思いがあるからです。 土日が休みばかりじゃなく、美容院や商店街などは月曜日の休みが多いし、医療関係なら水曜や木曜日の休みが多いとか、人により休みは違います。

    ならば、365日全部営業しておいて、予約がない時を休みにすれば良いのです。 予約が入るというのは、お客様が大切な時間を使いわざわざ足を運ぶと言う、もの凄い大変な手間暇をかけてくださっているのです。

    それだけのお手数をお掛けして、お越しくださるお客様に対して、「今日は休みです。」とか「その日は休みです。」とか、自分の都合でお客様に迷惑をかけてはいけないと思うのです。 予約が一杯の場合は仕方がないにしても、お客様が来たい時に休みだとしたらどれだけガッカリするか、自分の立場に置き換えてみればわかると思います。

    ひとりでしているお店ならば物理的に体はひとつしかないので、仕事中に電話応対などができないのは仕方がないと思います。 しかし、予約受付の時間を決めて、その時間には必ず電話に出るようにすれば、ひとりで何役もできるようになります。

    ならば、覚悟を決めて365日するとしたらやれないことは無いのです。 私は365日していますが、来年はこれに加えて出張が増えていくと思うので、さらに忙しくなるように努力したいと思います。 今の私では、まだまだ暇で時間の無駄が多いとしか言えないと、自己反省の日々です。

    以上はお店を経営している場合を例にとりましたが、それは会社や学校でも同じです。

    意見の相違とは、自分の都合で物を考えるからであり、相手の都合で物事を考えれば、そうそう意見の相違は生まれないのです。 相手が「○○しろ」と言ったとしたら、その通りにすれば相手は何も言えなくなります。 相手が一時の感情で言ったとしても、相手の指示通りにしておけば言った本人の責任なのですから、指示された側の責任ではないのです。

    理不尽なことや我慢ならないこともあるでしょうが、運命は勝手な行動をいつまでも許さないのです。 人生の波を泳いでいれば腹がたつこともあると思いますが、怒るだけ損の場合があります。

    しかし、ときたまですが、相手の望むようにしてあげても、さらなる不平不満を生み出す相手がいます。

    そういう時の対処法は、相手に対処法を考えさせるというのが正解です。 「それでは、あなたはどうすれば満足しますか?」 これにより相手に問題の本質をパスしているのだから、困るのは相手の方になります。 特に一切逆らいませんからお気の済むようにどうぞなんて言われると、とたんにどうすれば良いのかわからなくなるのが人間なのです。

    自分の事でなければ無理難題を平気で言う人がいますが、そういう人は自分が邪魔されるともの凄く怒るものなのです。 人に言うのはいいけれど、自分が言われると凄く怒る人って、年齢を重ねた人に意外と多いのが不思議です。 年齢を重ねるというのは知識や経験が増えているはずなのですから、もっと心が穏やかで平穏なはずなのですが、そうでもないのが人間社会なのかもしれません。

    人は色々経験をしますが、その経験とは自分が好まないものこそが血となり肉となり、自分を成長させてくれます。 先ほどの、自分がクレームをつけるのは良いけれど、自分がクレームをつけられると怒るというのは、自分の間違いに気付かずに生きている人なのだから、こちらが包み込むような器の大きい愛情を見せるものなのです。

    意見の相違は生きている以上避けられない試練で、その試練を財産にできるかどうかは自分の心掛け次第なのです。

    この世の中において、自分の望むとおりの事ができたなら、それはとても幸せな事です。 本来は、望むという事と生きるという事は、別々なのです。 もっとも肝心な事は、生きていく事や望みをもつ事に飽きない事です。 飽きないでいれば、自分のするべき道は見つかるし、自分の本当の未来が希望と共に理解できてくるのです。

    チャレンジャーは失敗と成功のどちらでも選択できるのですが、チャレンジャーでない人は失敗も成功も何もない、最初から選択肢自体が存在しないのです。

    あなたには挑戦者たる実力はちゃんとありますが、挑戦する心構えはありますか?

    O(≧∇≦)O ヤルゾー!

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    恋する気持ち。

    同じような恋をしてしまう時って、何度も何度もあると思いますし、そういう恋って苦しいけれどやめられない、悲しい結末に終わろうとも進んでいくしかない。

    あなたに恋してた。
    とても苦しかった。
    たくさん泣いた。

    でも、それは全部わたしだけ。

    恋を繰り返すうちに人は強くなっていくものですが、別れのたびに大切な何かを手に入れるからこそ、恋をする女性は美しく見えるのです。

    今すぐに会いたい、好きだった日が流れていくうちに、好きと言う気持ちだけが大きくなり、アナタの背中を見ているうちに何も言えなくなってしまうから、余計に会いたいと言えない。

    恋をするというのは、一杯傷つくこともあるだろうし、一杯泣くこともあると思います。 だけども、それ以上に彼のことが好きと言う気持ちが、あなたの心を支えていると思うのです。

    あなたが好きになる相手は、とても上手なことがあります。 それは、あなたを嬉しくさせたり悲しくさせたり、心を自由自在にときめかせてしまうことです。 誰かを好きになるってことは、誰かに心を奪われてしまうと言うこと。

    例えば、仕事中でも遊んでいる時でも、ひとりで部屋にいる時でも、彼のことを好きでいる時間、彼のことを考えている時間の流れは、とても早くて一日を短く感じてしまうと思います。

    しかし、彼と何かの約束をした時から、その時間は急に長く感じるのです。

    彼から電話があるなら、その電話を待つ時間はとても長く感じて、「まだ1分しか経っていない…。」 彼と会う日が決まると、それまでの間が短縮されないかなと、とても長く感じて指折り曜日を数えてしまうかもしれない。

    「恋愛は、惚れた方が負け。」 こういう言葉がありますが、好きになって電話を掛ける。 この行動ひとつとっても、ドキドキしながら電話を掛けるのですが、電話を掛けると決めてから行動に移るまで2時間かかり、いざ電話を掛けて話し終わるまで2~3分。

    しかし、ドキドキしながら勇気を持つ為の2時間を、彼は知らないのです。

    私は霊視でお客様の色々な恋愛を見るのですが、ドキドキしている姿を見ると応援したくなるのです。 一度で良いから話をしてみたいとか、一度で良いから食事に行って見たいとか、楽しい想像を何度も重ねながら実行できない。 そういう彼に思いが伝わらない時の、ため息の重さがしみじみと理解できるのです。

    恋をしている時には、待つこと自体はそんなに辛くは無いかもしれない。
    待つことしかできないと言うのが、本当につらいことなのかもしれません。

    つらいことや悲しいことが起きると言うのは、普通は悪いことした時だけのはず。 ただ、あなたのことが好きなだけ。 好きで好きで頭の中から離れないし、好きで好きで心の中から出て行かない。 ずっとずっとあなたに見つめられていたい、それだけのことなのになんでこんなに辛いんだろう?

    付き合う時でも別れる時でも、「もう少し話せたなら、本当の気持ちが言えたかもしれない。」 こう思い返しても、過ぎてしまった時間は取り戻せないのです。

    思い切って告白しても、「今はごめん。」 「今は仕事を優先したいから。」 「今はひとりでいたいから。」 今は今は今は、都合のいい言葉だけど、今はと言う言葉で未来につい期待してしまう。

    だけど、その今というのは、いつまで待てば叶う今なのですか?

    「彼にはひとつだけ悪いところがあるんだけど、それはわたしのことを好きになってくれないところ。」

    あなたの恋は辛いままではなく、嬉しい恋として目の前に現れると思いませんか?

    ♪~~((*^o^*)(o^_^o))~~♪

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    新規一転。

    おはようございます。 今日から少し模様替えとなりましたが、可愛い仕上がりのHPになったと思います。 これから少しづつ陣容を整えていきますので、今後も御愛顧と御支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

    さて、占いに興味のあるなしに関わらず、本気か遊びかも別にして、生きていれば一度くらいは御神籤(おみくじ)を引いたことがあると思います。 特に恋人や夫婦で行くと、つい引いてしまい「大吉だ」とか、「吉や」とか、一喜一憂してしまうかもしれません。

    おみくじを引くのはお正月の初詣とか、何かの祈願に言った時が多いと思いますが、10月と言うのは意外と神社に行くのに適しているのです。 簡単に言うと神様にお願いに行く月でもあるので、行ったついでにおみくじを引くのも良いかもしれません。

    普通の考えで言うと、お正月に初詣と称して祈願に行くのですが、私は以前からそれ自体に疑問を持っていました。 大勢の人が1年に1回だけお参りして、それで神様がお願いを聞いてくれるのか、とても不思議に感じていました。

    そう考えた経緯については話が長くなるので省略しますが、10月に神社仏閣にお願いに行き、1月にその結果や成果を受け取りに行くと言うのが、初詣としては良いのではないのかと思います。

    私が10月に東京出張した時に田宮神社にお布施を奉納して、お客様の幸運をお願いしてきたのは神様にお願いする期間だからです。 人により考え方は色々あるのでしょうが、私は10月にお願いに行き1月に受け取ると言うのが良いのではないかと思っています。

    簡単に書くと? 神様にとっては、10月がお願い事を受け取る月で、11月が出雲大社へ移動してお願いを叶えて良いかどうか神様同士の話し合いの月、12月は自分の神社仏閣へ戻りお願い事を渡す準備の月、そして1月はお願い事の結果を渡す月。 こう考えている人は、私以外にも結構いると思います。

    注:ただし、一般的な普通の考えで行くと1月に初詣でお願いするというのが当たり前みたいな感じがあるので、これを実践すると変わり者と取られるかも?

    話がそれましたが、おみくじを引いて何が出ても本来はその内容の方が重要で、凶だろうが吉だろうが、それよりも書いてある内容の方をよく見た方が良いと思います。

    元々、おみくじの始まりとはいくつか説があり、まず叡山の高僧が信者の悩み相談を基にその回答として作ったものを百首ほど作りランダム抽選により授与していたのが、いわゆるおみくじとして最初と言う説がひとつ。

    もうひとつは、国の祭ごとや政治に関する重要な事項や後継者などを選ぶ時に、神の意思を問うと言う意味でくじ引きをすることがあり、これがおみくじの起源と言う説もあります。 現在のように個人の参拝者が吉凶を占う為に行われる形は鎌倉時代の初期が始まりです。 ただし、当時は自分で籤自体を用意して自分で引くと言うようなこともあったようです。

    おみくじを引いた時に出る吉凶の段階は、その神社により選択が違います。 5段階~7段階~12段階とあり、凝るタイプの宮司さんならば12段階を選ぶし、シンプルイズベストと言うタイプなら5段階得を選ぶと思います。

    その順番ですが「大吉」から始まり、「中吉→小吉→吉→半吉→末吉→末小吉→凶→小凶→半凶→末凶→大凶」の順番です。 12段階分紹介しましたが、これは大まかな区分であると言う点と、その神社仏閣独自のシステムにより順位や等級を決める場合もある為、あくまで参考程度にしてくださいね。

    占いの基本は良いことを言われたら信じて、悪いことを言われたら忘れる&気にしないというので良いと思います。 おみくじを引いてウキウキできたらそれで良いし、いつかの思い出話として話せても良いと考えれば前向きになれると思うのです。

    また、おみくじには色々なタイプがありますが、筮竹などの棒を引いてそこに書いてある番号の籤を受け取るタイプや、くじ自体を自分でつかみ取るタイプ、さらには自動販売機まであるので、その神社により販売形式はかなり違います。

    注:おみくじの自動販売機が、実用新案に登録されたのは大正時代の話です。 商売に関しては、人の知恵と言うものはものすごく進むという一面でもあります。

    もしも凶がでて気になる人は、利き手と反対側の手で木に結べば修行になり、凶が吉に転ずると言われています。 あなたは元々強運なのですから、おみくじには左右されない人生だと思います。

    でも、くじを引いたら結果は気になりますから、遊び気分で軽く引く方がいいかも?

    (-^〇^-)

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    適材適所。

    おはようございます。 今日も元気で素敵な笑顔に、なれていますか?

    私はお客様にお会いできてること自体が勉強になりますし、素敵なあなたを視る度に心に感動をいただいています。 あなたが元気で心が軽くなるのが、私のとっての一番の喜びや原動力になり、さらに努力する気持ちが沸き起こるのです。

    人には歩む道の中で、必ず適材適所と言う名の方向性があります。

    自分には何ができるのだろうと、思い悩んだことは誰しもあると思います。 今のままじゃ駄目だとわかっていても、何をしたら良いのかがわからない。 私自身が何もできずに日々自堕落な生き方をしていたので、その気持ちはよく理解できるのです。

    この世に才能の無い人はいないのですが、才能の方向性を間違えている人はいます。

    例えば? カミソリがいくら切れると言っても、それによりジャングルを切り開く事はできません。 ものすごく切れ味のいいハサミがあっても、それにより切れる素材と切れない素材があります。 いくら切れ味が良くても、人間関係を断ち切ることはできないし、切る道具ひとつとっても千差万別なのです。

    これが人間となると、なおさら向き不向きがあります。

    適材適所の怖い部分は役職や地位が変わったとたんに、力や才能を発揮できなくなる事なのです。 平社員の時はバリバリ働けていたのに、役職がつき部下ができたとたんに能力を発揮できなくなる場合があります。

    有能な営業マンだった人が管理職になった時から、イライラして怒鳴るばかりになってしまった。 部長の時にはその部内をきちんと取りまとめて、人扱いが上手いと言われていた部長が、役員になった時から急に元気がなくなり、存在感がなくなってしまった。 店員として人気もあり販売実績もある人が、店長になったとたんに分からず屋になり、何を言っても受け入れないくらい人が変わってしまった。

    このような事例は、あげていくといくらでもあるのですが、どうして同じ人が~同じ職種で~同じ会社内にいるのに、人が変わったようになるのでしょうか?

    人はそういう場合に、「あいつは、その器じゃなかったんだよ。」とか、「あいつには、まだ無理だった。」などと言いますが、そんな事はありません。

    昇進したから無能になったのではなく、やり方が間違っているから能力の発揮の仕方がわからなくなっていると言うのが正しいのです。 上に昇るというのは力や才能があるからできるのですが、その力や才能があるがゆえに過去のやり方や経験が、そのままなんでもかんでも通用すると思っているのです。

    TVでトップセールスマンだった人が新人社員研修をしている番組が時々ありますが、あんな方法で会社が生き残れたら、たいしたものだと逆に感心してしまいます。 時代に沿わないやり方でいつまで過去の遺産で生きていこうと思っているのか、勘違いしていると生き残れません。

    ある新人研修を請け負っている会社の社長は、ミシンを年間に300台以上売ったと言うのが自慢ですが、昭和30年代にミシンを売るのならばできると思います。 しかし、平成の世で同じように売れと言うのは、現在の生活様式も何も考えていない証拠です。

    昔は物がなかったから手作りでないと間に合わない、内職など家でする仕事でないと働く場所が無かった。 こういう時代から、今のように修理するよりも買う方が早くて安い、女性の社会進出で家にいる時間が少ないなど、昔と今では時間の使い道が違います。

    時代に合わせると言う考え方がない人(会社)は衰退していくしかないし、不景気だとか~社会情勢が悪いとか、自分のせいではなく周りの状況が悪いからだと思い込んでしまいます。

    昨日は上手くいったから、今日も上手くいくだろう。
    去年は良かったから、今年も良かっただろう。

    これでは進歩がなくなり自己満足の世界で生きていくだけになり、気が付いたら裸の王様状態になっているかもしれません。

    今の日本には社員研修を請け負っている会社が数多くありますが、本当に成果があれば退職率(新人離職率)がこんなに高い数値は示しません。 会社に入ったは良いけれど長続きせずに辞めてしまったというのは、研修に余り意味が無いのではと考えてみる必要があるかも?

    立場が変わったなら、まずやり方を変えてみる。
    そうすれば、自分を変えずに済みます。

    自分を変えずに人生を生きていくのは大変ではありますが、基本的な部分は変えずにいれば理念や信念ができます。

    枝葉はいくら変えても良いけれど、幹の部分は変えてはいけないのです。

    あなたは信念や理念を変えずに、進む事ができますか?

    ○)))ヘ(^・・^=)~ ~(=^・・^)ヘ (((○

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    成し遂げること。

    最近は色々な媒体(TVや雑誌など)があるので、その影響かもしれませんが生まれてきた意味を聞かれる人が時々おられます。

    質問自体は変ではありません、自分の生きている意味を探すのも良いと思います。 ただ、生まれてきたのはなぜかと考える前に、人生を歩むうちに成し遂げることはあるのかと、自分に問いかけるのも一考だと思います。

    こう考える方が未来へ向けての意味があると、アヤシイ?霊視カウンセラーとしては思うのです。

    今の日本には1億2千万人以上の人がいますし、地球上には60億人以上の人がいます。 これらの人すべてに~個人別に~、生まれてきた意味を説明できるとすれば神様だけです。

    ヘタレの霊視カウンセラーの私としては、生まれてきた意味を尋ねる人の前世や現世におけるある共通点はお話できますが、個人別の生まれてきた意味はわからないのです。

    生まれてきてから歩んでいく過程において、「将来こういうことをする未来なので、途中で辞めるのはもったいない。」 「未来であなたに出会う人がいるので、出会わないとコレコレこういう運命に変わるので、それでも良いですか?」など、未来における意味はお話できます。

    しかし、何故この世に生まれて来たのかの解析は神様レベルでないと、私程度の実力では無理です。m(__)m

    私はいつも思うのですが、「やりたいことをやらずに死んでいく。」とか、「誰にも必要とされない人生を送る。」 これが人生においては、一番不幸なことではないのかと思います。

    せっかく生まれてきた以上は、何か自分が生きてきた証を残して誰かに喜んでもらう人生、これこそが人生の最後において一番幸せを感じれるのではないのかと思うのです。

    誰かの記憶の中に住もうとすると、その人の記憶の中に残る何かを成し遂げなければ、記憶の中に住まわせてもらうことはできません。 記憶の中に住もうとするなら一番手っ取り早いのは、相手にとってかけがえのない人になれば良いのです。

    その人にとって忘れえぬ人になり、かけがえのない人物として住むことになれば、他人と違う自分を相手の記憶の中に一生住むことになるのです。

    もしも恋をしているのなら、相手にとってその気持ちが隠せないくらい、その思いを伝えることができていますか?

    もしも恋を続けたいのなら、行く時も2人で帰る時も2人、恋に墜ちている苦しい思いを楽しい思いに変える必要があるのです。

    やりたいことをしようと思えば、誰の目も気にしないというのが必要になります。 「こうしたら、あぁ言われるかもしれない。」 この思いは人としては当たり前の感情なのですが、これに縛られてしまうとできることもできなくなります。

    こんなくだらない感情のせいで、あなたの素晴らしい才能が開花できないとすれば、どれだけの損失かわかりません。

    人の言うことは外野の意見として、「気にしない」のが一番です。

    人の言うことを一々気にしていると、前に進むことすら怖くなってしまいます。 人の意見を聞くと言うのは良いことですが、全ての意見が重要なわけではありません。

    もしも、人の言うこと(意見)が全部正しいのなら、私が小学校~中学校の9年間で言われていた「知恵遅れと言う評価」や、会社員時代に「お前は生きている価値がない。」と言われたことは、今の私を見て正しいと思いますか?

    人の評価と言うのは当てにならないけれど、人の意見も聞くのも大事という相反する両面があります。 しかし「意見の重要性」を選別するのは、他ならぬ自分自身なのです。

    ある意味「常識」と言うのは、昨日までの自分が見につけた偏見と言う名のコレクションなのかもしれません。 幸運と言うのは大胆な人や行動を起こす人に、微笑みかけることが多いのですから…。

    あなたが明日へ向かっていけるだけの説得力を持つ意見は、どれだと思いますか?

    ♪┐(・。・┐) ♪♪(┌・。・)┌ ♪

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    立地条件。

    日本全国どこでも商売をする上で、駅前と言う言葉は魅力的なものです。 テナントでもマンションでも、「駅前ですから…。」 この一言で賃料や販売価格がすぐに跳ね上がります。

    ところが日本全国単位で言うと、駅前でも空いているビルやテナントの場所は意外と多いのです。 (立地条件は良いのですが、家賃も高いため入れないことも多々あります。)

    倉敷でも駅前の東ビル(旧三越)は空いたままで、現在某デパートと交渉中ですが、報道によると仮契約まで行くようです。 東ビルにデパートが来るのなら入居させてもらおうと、あの手この手とする人もいるかもしれませんが、商売をしていく上では仕方のないことです。

    幸いなことに私はそんなことをしなくても、どうにかこうにかやっていけるのでお客様に感謝の気持ちで一杯です。そのおかげでズルイことをせずに、清く正しい生き方ができるのです。

    さて、地方における中心市街地の空洞化は、車社会の発達や生活スタイルの違いからも生まれてきて、郊外の駐車場があるお店でゆっくり買い物をしたいというライフスタイルとなりつつあります。

    駅前となるとそれなり以上の資金力や企業規模が必要になり、三越&そごうのクラスに出て行かれてすぐにすぐ、「ハイ、次が決まりました。」 なんて事はありえません。 2年~3年と月日は流れて、4~5年ほっとかれる建物も珍しくありません。 これはひとえに無計画が産んだ産物で、未来予測がさっぱり立っていないからこうなるのです。

    「誰ひとり歩かない駅前。」

    こうなってからでは遅いのですが、こうならないと気付かない人も多いのです。 大規模テナントが撤収してしまえば、アトは小規模のみで細々しないといけないけれど肝心の集客力がないのです。

    おまけに駅前の再生には色々な問題が発生するのですが、そのひとつに地元商店街との話し合いがあります。 空いているテナントビルに目玉となるようなものを呼んでくると、今度は地元商店街が閑古鳥になりかねない。 こう危惧される為に、激安スーパーや大型量販店は呼ぼうと思っても呼べないのです。

    一応建前としては「今までデパートと肩を並べて営業してきたプライドがある」とか、「激安店を入れると品格が落ちる」とか、理屈はつけるけれど本音を言えば「自分の店の売り上げが落ちるのは嫌!」 やる前から負けることを考えていたり、自分のお店に魅力が無いのをわかっていなかったり、理由は何であれ地域の発展を考えないと、自分のことしか考えていない場合は調整が難航します。

    大型テナントが出て行くことを言う前に、今まで恩恵を受けていたことも忘れないようにする必要があります。 大型テナントが居る時にしっかり儲けておきながら、少しでも損し始めると途端に文句を言うのは、人間の本質として自分だけ良ければと言う見苦しい考え方だと思いませんか?

    あぁだこぅだという前に、まずやらなければならないことは一杯あるのですが、どうしても自分が楽な方に行く為に誰かのせいにすると言う精神がていたらくを招くのです。

    私はお客様の才能や可能性にものすごく期待していますが、昔から全ての大偉業は「無理だと言われたこと」がほとんどです。

    過去の偉人の多くは、反対されたり馬鹿にされたりしました。 しかし、才能や可能性を笑う人がいても、現実の数々の功績はそういう声に耳を傾けていたらなかったから、なしえたことばかりです。

    空想~空想と言いますが、同じ空想をするのならおもいっきりデカイ空想をした方が楽しいと思います。 創造するのはタダだし、想像するのも自由です。 同じ思うのであればデカイ事や到底無理だと思うような夢を、最初は描いていけば良いと思うのです。

    常識~常識と言いますが、誰かに迷惑をかけるのならしてはいけないのですが、自分が苦労したり自分が努力することにまで常識を当てはめなくてもいいと思うのです。

    大きな目標を立てて叶うと良いなと考えるのは、建設的で素晴らしいと思うのです。

    あなたの夢は、どれくらいデカイですか?

    (○゜ε^○) ぷぷっ

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    恋愛とは。

    「人を好きになるって言う気持ち」は、どういうことだと思いますか?

    彼のことを好きになる、相手のことが気になって仕方がない、つい目で追いかけてしまう。

    これが恋の始まりとは言うけれど、恋と言うものの正体は誰にもわからないのです。 ただ、相手のことが好きと言う一言でしか表せない。 けれど心の中では、いくつもの好きが交差して、悲しかったり嬉しかったりするのです。

    アヤシイ?霊視カウンセラーとして、さまざまな恋愛を拝見させたいただくたびに思うことがあります。

    私が視る恋愛とは、「心の占有率」ではないのかと思うのです。

    人には感情と言うものがあり、当然の事ながら日常を過ごしていく上で色々なことを考えながら生きていきます。 人の思考回路と言うのは、常に何かを考えている状態が普通であり、何も考えないと言うのは「無の境地」と言われるように、天才とか神の領域と言われるほどです。

    あなたが朝起きて会社に出勤するまでにも、「顔、洗わなきゃ。」「今日も電車込んでいるかなぁ?」「う~ん、良い天気!」などなど、常に何かを考えています。

    恋愛を成功させる為には、この「心の占有率」の部分をあげていく、つまり占める割合(領域)を増やしていくしかないのです。

    例えば、あなたがAさんと言う同じ会社の同僚を好きになったとします。 このAさんと「知人&同僚」と言う立場から「友人→彼女→奥様」となっていく為には、Aさんの心の占有率を上げるしかないのです。

    Aさんの心の占有率(100)のうち、半分である50を占めることができたなら、それはAさんがあなたに夢中になって、もう離れることは無いと言う瞬間でもあります。 (心の占有率とは恋愛だけじゃないから、50を占めることができれば充分なのです。)

    例えば、Aさんの心の占有率(100)が、「仕事=50、趣味の車=25、友人や家族=20」と言う状態ならば、あなたと言う女性との恋愛に使える心の占有率=5なのです。 こうなると、あなたと言う存在(5)は「他の95」にかき消されてしまい、Aさんにとって心にはあるけれど、重要ではないということになります。

    逆にあなたの心の占有率はどうなのかと言うと…?

    あなたがAさんを気になり始めた時には、あなたの心の「25」くらいをAさんのことで占めている状態です。 次にAさんのことが寝ても覚めても何していても気になるというのは、もうあなたの心の占有率のうち「50以上」がAさんで占められているということです。

    人が恋愛に対して本気になるというのは、心の占有率が50を超えた時なのです。

    「50と言う占有率」が、相手を好きと言う意味での50ならば、寝ても覚めても彼のことしか考えられないと、相手があなたの心の中にいる50です。

    「50と言う占有率」が、魅力と言う意味での50ならば、「好きです。」と告白されること、つまり相手の心の中にあなたがいる50になるのです。

    恋愛とは、「いかにして相手の心の中の占有率を増やせるか?」と言う戦国武将並みの戦略が必要なのです。

    恋は計算してできるものではないと言いますが「恋には色々な形」があり、その中身は100人いれば100通りで、イケメンや高収入が基準の人もいれば、優しさや誠実さなど性格重視の人もいます。

    「もてる」と言う言葉の裏側には必ず「魅力」と言う言葉が隠れていて、「魅力」とは何を基準にしているかで中身と意味が変わってくるのです。

    相手に求める基準がお金なら、高収入が魅力となります。
    相手に求める基準が顔なら、ハンサム&美人が魅力となります。
    相手に求める基準が性格なら、優しい&誠実が魅力となります。

    新しい自分を探している人は常に基準が変わり、色々な経験と共に本当の基準が判明してきます。

    あなたは好きな人の心の中を、どれだけ占めることができていますか?

    LOVE★⌒ヾ( ̄〓 ̄ヾ)

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