徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    来春のパワスポ巡り。

    おはようございます。 昨日も無事に東京より帰って参りましたが、これもひとえに素敵なお客様のおかげと感謝しております。 ここまで既に飛行機へ40回ほど乗っていますが、全てきちんと運行できているのでありがたい話です。

    さて、遅ればせながら北海道出張の話をしたいと思いますが、9月13日は北海道にて出張鑑定をしました。

    岡山から北海道へ行く便は車が無いと難しい利用時間帯で、しかも一日一便なので利便性も悪いです。 沖縄便も当初は一便でしたが二便に増やすなど岡山県庁は沖縄に力を入れているので、北海道の人が県庁へ挨拶に来た時も県庁や県知事は適当な挨拶しかしません。

    本来ならば北海道と岡山の結び付きは強く、岡山四聖人の一人である留岡幸助氏は岡山県出身で日本の社会福祉の先駆者、感化院(現在の児童自立支援施設のこと)教育の実践家でもあり、北海道上湧別村字社名淵に北海道家庭学校を作った創始者です。

    この岡山四聖人のことも知らずにいたとすれば、北海道の人たちが県庁へ挨拶に来た時の不遜な態度も合点が行きます。 今の北海道は海外からの観光客が多くてお金持ちも集まっているから、そこから岡山へ海外の観光客を引っ張ってくる知恵も発想も無いのなら、岡山県の発展は難しいと言わざるを得ません。

    沖縄なんかに力を入れても全くの無駄、仮に沖縄から流れてきたとしても岡山の治安を乱すだけで得も徳もありません。 基地があるのに文句は一切言わない北海道、基地のお金を受け取るのに文句たらたらの沖縄県、どちらと仲良くすればいいかはまともな大人ならすぐに分かります。

    公務員は国民の税金で食べているのですから、国民の生活が豊かになるようにしないとダメではないかと思います。

    もっともっと行政は良いアイディアを出して栄えるようにするのが使命で、私は2011年3月以降に各自治体から相談があった時には、国内海外問わずに観光客増のアイディアを中心にお答えしていましたが、それにより税収アップ+環境整備+人口増と好循環になったのは嬉しい限りです。

    ただ、岡山県内で私のところへ相談に来た地方自治体は「0」で県外の方が頼りにしてくれている、県内だとブログを読んでアイディア盗用は多いけれど聞きに来ることはない、それが残念と言えば残念ですけど仕方がありません。

    さて、この度の北海道出張では私個人がパワースポットと感じている場所へ行って参りましたが、デジカメの小部屋にアップしてある場所がそれで、心の浄化とやる気などかなり良かったような気がしています。

    詳しいことは実際に行って感じて頂ければと思いますが、一つの案として2016年4月に行う予定の春のパワスポ巡り、これを初の遠征版として北海道にて行えればと思います。

    北海道の大自然には何回行っても感動しますが、国内でお金を落として日本の為に使う経済活性化も考えて、一泊二日でパワスポ巡りはどうなのか、素敵なお客様の御意見もお聞きしたいと思います。

    例えば、新千歳空港へ13時集合で翌日の11時に新千歳空港で解散、こんな感じで考えて頂ければと思いますが、これならどこからでも時間的に余裕で集まれると思いますし、翌日も11時に新千歳空港で解散すれば、ほぼ当日中に自宅まで帰ることができると思います。

    そして移動は北海道なので公共交通機関は当てにできずレンタカーは必需品、参加人数にもよりますが何台かに分かれて移動して一つ目のパワスポへ行ってから宿へ行き、荷物などを置いてから二つ目のパワスポへ行って、それから後は温泉と夕食を楽しんで後は自由行動にしたいと思います。

    そして翌日は午前9時出発にすれば新千歳空港へ午前11時には着けるので、余裕が生まれるパワスポ巡りになると思います。 これなら北海道の方々も参加できると思いますし、普段は行く機会がない北海道へ足を運ぶきっかけになればと思います。

    ただし、いくつかクリアしなければならない問題もあり、一つ目は予算で本来ならば私が全額出すべきですが、さすがに温泉宿など全てを出すのはキツイので宿代は負担して頂くことになるかもしれません。

    そしてレンタカーでの移動となれば免許を持っている人の参加人数により台数が変わり、免許を持っている人が多ければレンタカーを増やして詰め込まず楽に移動が出来ます。

    最後の問題は部屋割りですが、男女は完全に分けて男は参加が少ないので一纏めにすればOKですが、女性は誰と誰が同じ部屋になるか、二人部屋にするのか~大部屋に4~5人ずつにするのか、色々と議論の出るところです。

    この部屋割りの問題が一番で知っている人同士を同じにすると後は知らない人同士になるとか、くじ引きやじゃんけんにすると仲の良い人と違う部屋になるなど、これが解決しないといけない最大の問題になるかと思います。

    しかし、北海道の大自然の中でパワスポへ行けるチャンスは余りないので、素敵なお客様方の御意見をお聞かせ願えればと思います。

    もしも、やるなら宿が安くなる日曜の晩に泊まる予定なので、日月での一泊二日になると思います。 (注:2016年4月の日曜に泊まり、月曜の朝9時出発など。)

    あなたは来春のパワスポ巡り、どこが希望ですか?

    よろしくねぇヽ(〃´∀`〃)ノ

    予約専用電話:090-4690-4618
    予約受付日時:火・水・木の夜8~10時

    鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。

    霊視カウンセリング 山崎かずみ
    倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
    東京事務所:東京都港区赤坂9-1-7

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    有珠山~昭和新山。

    おはようございます。 昨日も無事に東京より帰って参りましたが、今回は日曜日に北海道出張を挟んでいた為、土曜は東京~日曜は北海道~月火は東京と、かなり移動しましたが北海道はバカンスも兼ねていたので楽しかったです。

    そして今回も色々とありましたが、まず土曜の夜は羽田空港そばのホテルに宿泊して翌日の移動に備えましたが、夜8時頃にドアがノックされたので、「なんで?」と思いつつドアスコープを覗くと、80歳くらいの知らないお婆さんが立っています。 (1回目)

    知らないお婆さんなので出ませんでしたが、その後も夜10時頃にノックされて先ほどのお婆さんとは違う人が立っていて、またまた知らない人なのでドアを開けませんでした。 (2回目)

    更に深夜1時頃に3回目のノック、既に寝ていたので無視していたらノックの音が何度も連続してあり、「なんやねん?」と思いドアスコープを覗くと大きな目があり、なんと向こうもこちらを覗いていました。 (3回目)

    私は非常に驚き後ずさりしましたが気を取り直して再度スコープを覗くと、3回目も知らないお婆さんが立っていてこちらをじっと見ているのです。 夜中に知らないお婆さんが部屋の前でドアをノックし続けたら凄い恐怖で、私も「どうしようか?」と考えていたら、いきなりお婆さんが…。

    さて、話は代わり北海道出張で鑑定後の目的は「火山を体験」で、果たして火山と言うのはどれほどのパワーなのかを感じてみたく、今回は昭和新山⇒有珠山⇒洞爺湖と言う順でドライブしてきました。

    この「昭和新山(しょうわしんざん)」は北海道有珠郡壮瞥町にある火山で、支笏洞爺国立公園に含まれます。 標高398mで温度低下と浸食などによって年々縮んでいて、現在も噴気活動が見られます。

    かつては有珠山の麓の平地だったところに火山が形成され、山が赤色に見えるのは土壌が溶岩の熱で焼かれて煉瓦のように固まった為です。 そして川に運ばれ平地の地下に埋まるなどしていた石が溶岩によって持ち上げられた為、昭和新山の中腹に河原にあるような丸い石が場違いに転がっているのも見られます。

    噴火前の状況としては「東九万坪」と言う広大な畑作地帯で、壮瞥川の川沿いにはフカバと言う集落があり、集落名は鮭鱒の孵化場があったことに由来します。 胆振縦貫鉄道が通る長閑な田園地帯でしたが、火山の隆起とともに集落は消滅しました。

    この昭和新山は1943年12月~1945年9月までの2年間に、17回の活発な火山活動を見せた溶岩ドームですが、当時は太平洋戦争中で世間の動揺を抑える為に噴火の事実は伏せられ、公的な観測を行うことができませんでした。

    地元の郵便局長の三松正夫氏は昭和新山の観察記録を作製、ミマツダイヤグラムと名付けられ貴重な資料となりました。 三松正夫氏は火山の保護と住民の生活支援の為、民家から山になってしまった土地の買い取りを行い、昭和新山は三松家の私有地でNZのホワイト島等と同じく世界でも珍しい私有地内にある火山です。

    昭和新山の山麓には三松正夫記念館が建っていて、三松正夫氏による観測記録などの資料類が展示されています。

    トリビアとして、1960年代以降に団体旅行では昭和新山を背景に記念写真を撮ることが増えましたが、北海道への観光客が大勢犠牲となった全日空羽田沖墜落事故やばんだい号墜落事故や全日空機雫石衝突事故などで、昭和新山での記念写真が遺されることになり一時期はマスコミが、「呪われた山」として取り上げたことがあります。

    そして「有珠山(うすざん)」は洞爺湖の南に位置する標高737mの活火山で、20世紀の100年間だけで実に4度の噴火活動が観測、世界的に見ても活発な活火山(二重式火山)で、直径約1.8kmの外輪山の中に大有珠(737m)や小有珠などの溶岩円頂丘や、オガリ山~有珠新山(669m)などの潜在円頂丘が形成されています。

    また、山麓にも溶岩円頂丘の昭和新山や潜在円頂丘の金比羅山、四十三山(明治新山)などを有し、1663年以降の活動はケイ酸(SiO2)を多く含んだ粘性の高いマグマによるもので、噴火前には地殻変動や群発地震を発生し噴火に伴って溶岩ドームや潜在ドームなど、新山を形成するのが特徴です。

    洞爺湖を形作る洞爺カルデラの南部に有珠山が形成されたのは約2万年前、噴火を繰り返し年月をかけて成層火山を成し約7千年前に山頂部が爆発、その際に山体崩壊が発生して南側に口を開けた陥没地形が形成、この時に発生した岩雪崩が噴火湾に達して有珠湾周辺の複雑な海岸線を作りました。

    デジカメの小部屋を見て頂くとお分かりのように、火口からは蒸気と言うか~煙と言うか~白い物が出ていて、いまだに活動していることが分かります。 まさに火山のエネルギーを間近で感じられる場所で、心や体が浄化されるとともに元気が出てくるようです。

    ところが一つだけ残念だったこと、それは昭和新山へ到着すると日●テレビ「笑って●●えて!」の、企画の一つであるダーツの旅のロケに遭遇、そこには大勢のスタッフや吉本のお笑い芸人Aがいました。

    この様子は10月2日(水)か9日(水)に放映予定で、しばらく撮影の様子を見ていると「第一●●発見!」など仄々した風景は、全て役者さんと台本のヤラセのようでしたがスタッフたちは上から目線で本当に感じ悪いです。

    また、一般の人々がお笑い芸人Aへ近付いたら、「撮るな・あっち行け・うるせぇ・じゃまだ」など酷い言葉を浴びせていましたが、芸能人は上から目線で本当にファンを大切にしない裸の王様、もしかして●●しかいないのかと思いました。

    最後に「北海道で懇親会などイベントをして欲しい」との御要望についてですが、もしも開催するなら新千歳空港へ集合&解散でレンタカーでの移動となります。 北海道は道が広いので運転が下手な割にスピードを出す車が多く、運転は男性参加者がした方が良いかと思います。

    例えば、N市のIさん~H社長~私など車の運転が苦にならない男性が運転して、新千歳空港⇒昭和新山⇒有珠山⇒洞爺湖などを巡り、そして洞爺湖で一泊して翌朝に新千歳空港と言う行程になると思います。

    まぁ、今のところ何の予定も計画も無いので、仮に開催するとしても素敵なお客様の意見や要望をお伺いして、それを検討してからなので来年になると思います。

    あなたは有珠山へ、行ってみたいと思いますか?

    ヽ(*>∇<)ノ イキタイ~!

    予約専用電話:090-4690-4618
    予約受付日時:火・水・木の夜8~10時

    鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。

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    さっぽろ雪まつり。

    おはようございます。 2月10日の北海道では鑑定終了後に札幌へ行きまして、その目的は「さっぽろ雪まつり」です。 これは北海道札幌市内の大通公園を主に、複数の会場で毎年2月上旬に開催される雪と氷の祭典で、すすきの会場を中心に氷像も展示されます。

    この時には日本中&世界中から約200万人の観光客が訪れ、北海道で最も大規模なイベントの一つで、雪まつりの始まりは1950年に札幌観光協会と札幌市の主催によって開催されたのが始まりで、これ以前にも札幌に冬の祭りがいくつかありましたが、第二次世界大戦により途絶えました。

    初期の雪まつりで雪像を作ったのは札幌の中学校&高等学校の生徒で数は5~6基、当初は雪像の高さを7メートルにしていましたが、1953年の第4回で北海道札幌伏見高等学校が高さ15メートルの大雪像を制作、この時に大量の雪が必要なので市はトラックとブルドーザーを動員して準備、これが現在の機械力を用いた大規模な雪像作りの始まりです。

    1959年の第10回頃から雪まつりを目当てに北海道外から訪れる観光客が増え始め、札幌オリンピックがあった1972年の第23回には世界的に雪まつりが紹介され、これから海外の観光客も目立つようになりました。

    「すすきの氷の祭典」は雪まつり開催に合わせた独自のイベントとして、1981年から開始でしたが1983年の第3回より雪まつりの会場の一つとなりました。 1986年の第37回から夜間電飾イベントの開催期間が2月の雪まつり閉幕まで延長、それにより日没後も雪氷像鑑賞を楽しめるようになったのはかなり集客に影響があります。

    北海道では陸上自衛隊北部方面隊が「夜戦築城訓練」の名目で、雪まつりの雪像製作に協力しているので基地に文句ばかり言う県とは大違いです。 1954年頃から駐屯地内に雪像を作り始めたのですが、1963年に真駒内駐屯地を一般開放して「真駒内スノーフェスティバル」を開催しました。

    そして1965年の第16回から真駒内の祭典は正式に雪まつりの一部となり、これ以後は人員と機材を持ち年々ノウハウも蓄積して陸上自衛隊は雪像製作の主役となり、今では大雪像のほとんどが陸自の製作か~陸自の協力を仰いでの製作です。

    しかし、2001年のテロ対策特別措置法の施行後は陸自の担当する数が削減され、更に長く親しまれた真駒内会場は2005年の第56回で廃止となりました。

    現在は札幌市から職員を派遣すると共に市民ボランティアの参加も募って、大通会場の一部の大雪像の製作などの会場運営を行っています。

    また、雪まつり期間中における札幌市近郊の宿泊施設の料金は1年で一番高く設定され、「便乗値上げ」が多発しているので私もホテルは苫小牧でした。

    民主党の日本潰しはここでも影響があるのですが政権交代後、円高などの不景気政策により雪まつりからスポンサーが減少、全会場で展示される氷雪像が前年比で44基減少など、参加を取りやめる企業や媒体が続出しました。

    なお、雪像の為の大通公園へ雪の搬入など準備は前年の秋頃から行われ、制作を担当する陸上自衛隊や市民ボランティアの雪像制作団体によって、雪像のモデルとなる建造物などの資料の収集や必要に応じて現地の視察などが行われます。

    雪不足だった2007年には採雪地を求めて陸上自衛隊のヘリコプターも出動しましたが、大通公園で使用される雪は5トントラックで約6000台分、「雪まつり雪輸送」のプレートを掲げた陸上自衛隊のトラックが、雪を山積みにして走っているのを見ることができます。

    ちなみに運ばれた雪は重機で押し固められ、削るのに必要な巨大な雪のブロックが作られます。 そして足場も組まれて建築現場のようにして、そこからブロックをスコップなどで荒削りをして大体の形を作り、更に細かく削って細部を作り、最後に「化粧雪」と呼ばれる新雪を貼り付けて仕上げます。

    雪像の制作は約1ヶ月で実行委員会に引き渡されるのは雪まつり開幕の前日、開催中は係員が会場に常駐して雪が降って積もった場合は雪払いを行い、融けたり痛んだりした場合も補修するなど、絶えずメンテナンスを行って雪像の美しさを保っています。

    また、全ての雪像は倒壊等の危険防止の為に、雪まつり閉幕の翌日には重機で解体されます。 それから札幌市内の排雪作業が一段落する3月上旬にトラックで運び出され、大通公園に春を呼ぶ準備が始まります。

    今回のデジカメの小部屋にある画像は大通会場で、ここが雪まつりのメイン会場で駅からも利便性が良いです。 (注:12~15時の間にアップします。)

    それから長く開催していると細心の注意をしていても事故もありまして、第63回雪まつり開催中に大通会場6丁目会場に設置されていた小雪像が倒壊、崩れた雪が観光客にぶつかりました。 雪像の崩落&倒壊で負傷者を出す事故は雪まつり史上初で、雪像の頭が大きく足が細いデザインでバランスが悪かったこと、気温が3月上旬から中旬並みの気温で暖かく雪像がもろくなったことが原因でした。

    岡山⇔新千歳(Air Do)も運航が開始されますし、さっぽろ雪まつりも一度は良いと思います。 個人的には次に行くなら旭川冬まつりで、ついでに旭山動物園などにも行ってみたいです。

    今回は革靴とワイシャツにスラックスに普通のコートと、倉敷や東京での恰好のままで見に行ったけれど寒くも無いし普通に歩けました。 転んでいる観光客もいましたが、当日の-8℃と翌朝の-15℃は意外と平気でした。 (注:県北と建設現場で鍛えられたから…?)

    あなたはさっぽろ雪まつりへ、行ってみたいですか?

    ☆ヾ(-Θ-:) オイオイ



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    鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。

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    懺悔。

    おはようございます。 今年も今日を含めて残り3日ですが、悪いことは今年で終わり来年は良いことがある、そう思えるのが理想ですがなかなか嫌な記憶は消せません。 私の中で今年一番の懺悔は北海道出張で、これは自分の馬鹿さ加減に嫌気が指したこと、素敵なお客様のおかげで救われたこと、そういう悲喜交々がありすぎました。

    9月5日の午前11時55分頃、岡山空港で羽田行きANA656便B787の左エンジンから白煙が上がり欠航、油圧系トラブル=左エンジン後方のパイプ油漏れで、もしも上空で起きたなら墜落かもの事態で、乗員乗客102人が無事で何よりでした。

    2010年度にANAの利用客数がJAL超えをして、№1になった気の緩みや驕り高ぶりがあるのか、逆転してから一歩間違えると大惨事の事故が続々、ANA140便が静岡上空にて急降下、ANA731便が仙台空港で機体後部を滑走路に接触、ANA956便が成田空港に着陸する際に大きな衝撃を受け機体が変形、全国で岡山空港のような事例は一杯あります。

    まさに「驕れる者は久しからず」で、この意味は思い上がった者は長く栄えることはなく、必ず身を滅ぼす時がくることで、ANAも天下を取って少し歯車が狂って来ているのではと思います。 (特に新型機=B787になってから。)

    事故については「ハインリッヒの法則」があり、1つの重大事故には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在すると言われます。

    これはハーバート・ウィリアム・ハインリッヒによる理論で、労働災害5000件余を統計学的に調べ、それにより災害について明らかになった数値は「1:29:300」で、些細なミスを防げば大きな事故は防げる、不安全行動と不安全状態を無くせば事故も災害も無くなると証明しています。

    本来ならばリストラの嵐でボーナスカット、人間関係も最悪で上から目線のJALの方が危険なはずなのに、利用者数を逆転してからのANAは300の小さなミスが連続して、今は29の軽妙なミスが起き始めている時期に思われます。

    以前にネタで遅刻話を書いたことはありますが、リアルな話としては10月8日のブログに書いたように1回だけ飛行機の欠航で遅刻をしました。 その時は自分の馬鹿さ加減と未熟さに嫌気がさしましたが、この時は予約を入れて頂いていた素敵なお客様に救われました。

    その1回とは2012年9月2日の北海道出張で、「岡山⇒羽田・羽田⇒新千歳」と乗り継いだところからミスが始まりました。 安いチケット確保の為に予約は3~4か月前にしますが、飛行機が飛ばない時に東京なら新幹線へ切り替えますが、さすがに北海道は飛行機でないと行けません。

    この日は到着後に2時間30分の余裕があった為、「2時間の遅刻でも大丈夫」と油断していました。 ところが岡山空港の搭乗口で待っている時に「次の便は飛ばない」と確信、すぐにGHへ「次の羽田行きは飛ばないから、振り替えて貰えないでしょうか?」と申し出ました。 (GH=地上職員のことです。)

    するとGHは「何、この人?」と言う感じで、「欠航が確定したら他社便や後続便への振替はできますが、まだ到着していないのでしばらくお待ちください」と相手にして貰えません。 「欠航=遅刻」だから食い下がっていると、警備の人が来たので仕方なく引きさがりました。

    岡山便は到着したら機内を片付けて折り返しとなるので、到着していない便が欠航なんて「この人、頭がおかしいの?」と言う視線でしたが、恥ずかしいなんて言っている場合では無いので必死でした。

    そこで予約を入れて頂いている方々へすぐに電話、「まだ、発表はされていないけれど、飛行機が飛ばないので時間を遅らせて頂けませんか?」と連絡&説明、会議室へも電話して利用時間をずらして貰い、取り敢えず遅刻しても良いだけの体制は整えて飛行機の到着を待ちました。

    そしてB787は時間通り到着して、出発準備を整えて乗客が飛行機へ乗り始めたところで、機体後部からオイル漏れが起きて「出発時間が大幅に遅れる」とのアナウンス…。

    すぐにGHへ行くと私の顔を見るなり、「あっ!」と言う顔で「すぐに振替便の手配を」となり、しばらく待っていると「申し訳ありませんが、満席で用意できません」との報告で万事休すでした。

    「だから欠航すると言ったでしょうが! 何で早めに振り替えてくれないんですか!」と、言いたい気持ちはありましたが、人のせいにする前に対策を講じていない私が間抜けなだけです。

    おまけに羽田で乗継の時もバカップルが搭乗口でケンカして出発遅延、それでも何とか4時間半遅れで苫小牧へ到着、それにも関わらず「大丈夫でしたか」~「また、北海道へ来て下さい」など、素敵なお客様方より優しい言葉の数々で感動しました。

    この件で北海道は二重三重の保険を掛けることを学び、私自身が「驕れる者は久しからず」を学ばねばならない大馬鹿者と言う事実も分かりました。 次回の北海道は2013年2月10日(日)で、これに懲りず御予約をお待ち致しております。 m(__)m

    ANAのB787は岡山~羽田間(最近4ヶ月)でもトラブル続き、9月2日にオイル漏れが見つかり欠航、9月5日にエンジンから白煙が出て欠航、12月24日に上空でガラスにヒビが入り緊急着陸⇒欠航、B787についてはキリがないくらいで、あの新型機(B787)に乗るならダイヤの乱れと安全には注意した方が良いです。

    ただし、間に合うと言う驕りを持っていた私自身が最大の馬鹿者で、多くの方々にご迷惑をお掛けした事実は消せないからこそ、今後は遅刻のないよう更に磨きを掛けて自己に厳しく参りたいと思います。

    そして真剣に心配しているので選挙のお願いみたいですが、2013年1月1日のお昼12時より無料の御守りプレゼントを開催します。

    過去に一度でもお越し頂いた方はモチロンのこと、来たことのある知人友人などにもお声掛けの上で御一緒に、たくさんの方々とお越し頂ければ非常に嬉しいです。 今のところガラガラで誰も来ない予感があり、お守りが余りそうだからヒヤヒヤで、ぜひとも素敵なお客様にお渡ししたいので宜しくお願い申し上げます。

    11月30日の「感謝の気持ち~倉敷編」に詳細が書いてありますが、岡山県内は勿論のこと~広島・香川・兵庫など近県の方々も遠慮せずにお越しくださいね。

    いつも御支援と御愛顧を頂き、本当にありがとうございます。

    m(__)m

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    野生。

    おはようございます。 本来は東京より帰ってからと思いましたが、北海道で気持ちの良いことがあったのでお裾分けできたらと思い、急いで作業したので何とかブログとデジカメの小部屋の更新ができそうです。 今回の北海道は色々ありすぎたので、もう一つの話は東京より帰ってから更新します。 (デジカメの小部屋は、午後3時頃までにはUPします。)

    さて、今回のデジカメの小部屋の画像は洞爺湖が中心ですが、この洞爺湖(とうやこ)は北海道虻田郡洞爺湖町と有珠郡壮瞥町にまたがる湖で、支笏洞爺国立公園に含まれ~2008年の日本百景に登録されています。 洞爺カルデラ内にできた湖で面積は日本で9番目、カルデラ湖としては屈斜路湖~支笏湖に次いで3番目の大きさです。

    東西約11km~南北約9kmのほぼ円形の湖で、中央に浮かぶ中島(面積4.85km²)の最高点トーノシケヌプリ(標高455m)を中心として、東北東~南東~南南西にかけての領域が壮瞥町で他は洞爺湖町の区域で、中島には昭和35年頃までは2世帯6人の家族がいたようです。

    この「とうや」とはアイヌ語で湖の岸を意味する言葉「トヤ(ト・ヤ)」に由来、湖の北岸を指す地名だったことから和人はその北岸を向洞爺と呼び、洞爺を湖の名にしてアイヌの人々は洞爺湖のことを「キムント(キム・ウン・ト)」(山の湖)と呼んでいました。

    洞爺カルデラは約10万年前の最終間氷期に数回の噴火を経て形成、最後の大規模な噴火による降下火山灰は北海道から東北にかけての広い範囲の地層に見られ、カルデラ壁周辺には火砕流堆積物による台地も形成されているので、大地のパワーと言う点ではまさにパワースポットです。

    元々の洞爺湖は極貧栄養湖で透明度は高かったけれど、閉山した鉱山廃水の他にも南岸の洞爺湖温泉街をはじめとして排水の流入が増えたので透明度の低下が著しいです。

    ここは漁業もあり、在来種はアメマス、ウグイ、ヨシノボリ、ハナカジカ等で、現在までにワカサギ、ヒメマス、ニジマス、サクラマス、コイ、ブラウントラウト等が漁業および遊漁を目的として人為的に放流されています。

    このヒメマスは阿寒湖から1893年に最初の放流が行われ、1908年には支笏湖からの放流もありました。 そしてワカサギは1912年に霞ヶ浦から移植、ニジマスは1926年に~サクラマスは1928年に千歳孵化場から移植さました。

    デジカメの小部屋にもある中島のエゾシカについてですが、現在中島にはエゾシカが多数生息しているけれど、最初から中島に生息している訳では無いようです。 中島にエゾシカが生息するようになったのは、日高地方から1957年にオス1頭+1958年にメス1頭、そして1965年に妊娠したメス1頭の計3頭が島に導入されたからです。

    後に個体数が増えて最大400頭超となりましたが、島内の食料となる植物が減少したので個体数の増減を繰り返しています。 そして外来種であるエゾシカを導入したから、中島に生息していた在来生物が消滅&絶滅している可能性も指摘されています。

    ここはフェリーで渡ることができるのですが、甲板へいたら鳥が飛んできたりして気持ちが良いです。 この甲板で写した写真の中に偶然に撮れたベストショットの一枚があり、これはもう一度撮れと言われても無理で、個人的には結構良いなと思う一枚です。

    船から降りてついでだからと「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」へ行きましたが、ここは2008年夏に開催の第34回主要国首脳会議(サミット)において、首脳会議開催会場に利用されたことで一気に知名度が上がって利用者が増加しました。

    話のネタにサミットで各国首脳が並んだ場所へ行ってみましたが、別に何の変哲もないキャビンで特に変わった場所ではありません。 別に政治家に会ったところで嬉しい訳でもないし、仮に政治家に会ったところで感動できる訳でもないので、ここは単なる客寄せでわざわざ行くほどでもないと思いました。

    しかし、ウィンザーホテルやサミットキャビンに意味は無くても、行ったことに意味があったと思える出来事があり、それはウィンザーの屋外駐車場で野生のキタキツネに出会えたからです。 TVで見たことはあるけれど実物は初めてで、この姿を取る為に何ヶ月も撮影する時もあるのに、野生のキタキツネの方から近寄ってくるとは非常にラッキーです。

    このキタキツネ(北狐)は北半球に広く分布するアカギツネの亜種で、日本では北海道・樺太および周辺島嶼に生息します。 名称「北狐」(きたきつね)は1924年(大正13年)に、岸田久吉が樺太に生息する本種に対して命名したのですが、その後に北海道と千島列島南部に生息する本種も「北狐」と呼称されるようになりました。

    なお、キタキツネはアイヌ語で、「チロンヌプ(cironnup)、スマリ(sumari)、キモッペ(kimotpe)、フレプ(hurep)」など、多様な呼び名があります。

    1978年(昭和53年)公開のドキュメンタリー映画「キタキツネ物語」で、よく知られるようになったのですが、本州・四国・九州に生息するホンドギツネよりも全体的にやや大きく、耳の裏と四肢の足首の部分が黒いです。 (画像を見ると足首が黒いのは、キタキツネの証拠です。)

    北海道の平地から高山帯まで広く生息していて、ネズミやエゾユキウサギ~鳥類や昆虫などを主に食べますが、秋になると果実や木の実も食べるようです。

    その生態は土手などに穴を掘り巣穴として、春先に子どもを産み~秋にかけて雌が育て、雄は単独で行動して子育てはしません。 近年では青森県でも目撃されるようになりましたが、それは青函トンネル内の監視カメラなどに映っていることから、55km以上もあるトンネル(内部は通年気温20℃、湿度95%)を通っていると思われます。

    車から降りた時に視線を感じて、ふと目を向けるとキタキツネがお座りしていて、私と目が合うと近寄ってきて写したのがデジカメの小部屋の画像ですが、この時に「おぉ、カワイイ!」と思いましたが、それと同時に「触ってはいけない+触れてもいけない」と緊張しました。

    もしもキタキツネの頭や身体を撫でたりしたら、もしもキタキツネが甘えてきてズボンや服に身体を擦りつけたら、私は病院へ直行して検査を受けなければならないし、服は捨てるしかなくなります。

    何故なら、キタキツネはエキノコックス(寄生虫)の最終宿主だからです。 キタキツネの糞便と共に排泄されたエキノコックス(虫卵)が人へ入ると、体内へ寄生してエキノコックス症を引き起こします。 早期に発見なら治療は可能ですが、発見の遅れや手術の難しい部位への寄生だと、最悪の場合は死に至る可能性も大いにあります。

    感染と言うのはどこでどうなるかは分からないので、特に動植物の場合は必ず感染すると思っていた方が安全で、仮に頭や身体を撫でようとした時に豹変して噛みつかれたら、間違いなくエキノコックスは体内へ入ると考えてくださいね。

    長くなるので一区切りとしますが、北海道では初日にもう一つの出来事がありましたので、そちらは東京より帰ってからにしたいと思います。

    あなたは野生のキタキツネに、出会ってみたいですか?

    V(○⌒∇⌒○) ルンルン



    お知らせ:東京出張の為、ブログの更新は9月13日(木)から再開します。 素敵なお客様に御支援と御愛顧頂ける、そんな奇跡に感謝の気持ちで一杯です。 いつも御予約頂き、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    支笏湖。

    おはようございます。 昨日も無事に北海道より帰ってきましたが、久々の北海道出張でした。 私が北海道出張を休止した理由は3つで、1=飛行機の時間が大幅変更で札幌⇔岡山が不便になった、2=東京出張が増えていけなくなった、3=会議室が借りられない、この3つが主な理由です。

    その中でも3番目の会議室が借りられないは大きな痛手で、札幌駅北口にある会議室が借りられなくなったとのは、行くなと言う暗示なので北海道を休止していました。

    こうなると会議室を借りる為に少々無理をすることになるので、料金が高くても借りられるところだと経費が増大してしまうので、次の北海道出張はマイルが貯まるまで行けないと思います。 (来年も1回、行ければと思います。)

    今回はマイルも貯まったのでタダで行けるから経費も浮くし、会議室も苫小牧やススキノなら借りられるので久しぶりに開催となりましたが、北海道をレンタカーでドライブできたのは気分爽快です。

    さて、北海道出張の内訳話はこれくらいにして、今回は鑑定終了後に車で支笏湖へ行ってきました。 北海道は早く太陽が沈むので暗い雰囲気ですが、支笏湖の模様はデジカメの小部屋にアップしていますので、よろしければご覧くださいね。

    なお、運転中には写せないのでところどころになっているのと、とにかく直線道路と原生林ばかりなので行く途中は写していない点は御容赦くださいね。

    この「支笏湖(しこつこ)」とは北海道千歳市にある淡水湖のことで、支笏洞爺国立公園に属していて日本最北の不凍湖として知られる湖です。

    支笏カルデラの形成後に恵庭岳と風不死岳がカルデラの縁に形成されて、現在のようなくびれた形となったカルデラ湖です。 南に位置する樽前山は、同湖に付随する活火山で生きています。

    千歳市の公式ホームページによりますと、湖の名前の由来はアイヌ語の「シ・コッ(大きな窪地)」から付けたようです。

    しかし、この場合の「窪地」とは現在の支笏湖や支笏カルデラを指すのではなく、この湖を水源とする千歳川の開削した深い谷のことであり、同時に千歳川の旧名でした。

    なお、松前藩は現在の苫小牧市の周辺までを「志古津(当時の漢字表記)」と、アイヌ民族は支笏湖を「シコツ川(千歳川)の水源の湖」の意で「シコツ・トー」と呼び、改まった場合には「シコテムコ・エアン・パラト」(シコツ川の・水源・そこに・ある・広い湖)と称えていました。

    それから都市伝説として支笏湖の由来は「死骨湖」とされますが、それは水深が深くて古代の火山の噴火により出来たカルデラ湖、そして水底に枯木などがあるので一度沈んだら浮かんでこないなどは大嘘です。

    ただし、支笏湖を含む千歳市はアイヌ語で「シ・コッ」と言うのが、日本語では「死骨」に通じることから縁起が悪いとして、1805年に現在の地名に改名されていることから、前述の都市伝説に関連があるように感じさせるのは仕方が無いかもしれません。

    貯水量は20.90km3と日本で琵琶湖に次いで二番目に多いのですが、面積は琵琶湖の1/9に過ぎないのは深さがある為です。

    温かい水が深部に残存して水面を暖めることから、湖面の水温が下がりにくいので基本的に結氷しにくいのですが、低温の日が続いた場合には結氷することもあります。 (最近の全面結氷は2001年、その前が1978年です。)

    支笏湖は透明度がもの凄く高いのですが、それは摩周湖やバイカル湖に匹敵する透明度です。 近年の水質調査においては全国No.1に認定されているほどで、支笏湖の北西には北海道三大秘湖の一つであるオコタンペ湖があります。

    そして支笏湖には温泉があるのですが、支笏湖温泉は北海道千歳市にある温泉で、炭酸水素塩泉~塩化物泉~源泉温度39℃です。

    なお、支笏湖の周りには色々な温泉があるのですが、支笏湖の東岸に支笏湖温泉~北西側に丸駒温泉と支笏湖いとう温泉が存在します。 支笏湖温泉は遊覧船の発着場所に位置して、飲食店やみやげ物屋なども多く温泉街を形成していますが、丸駒温泉や支笏湖いとう温泉はそれぞれ一軒宿です。

    支笏湖畔で最も古い丸駒温泉の開湯は大正4年で、かつては湖畔を行く船のみが交通手段でしたが、現在は陸路が確保されています。

    そして支笏湖温泉は交通の便が割と良い方ですが、それは何故かと言えば1974年にボーリングにより湧出した仁子いう的に作り上げた環境にある温泉で、観光などを目的として整備されているからです。

    私は北海道へ行くと変わった野菜を仕入れてみるのですが、今回はピュアホワイトと言って生で食べられるトウモロコシ、味を表現するなら水分の少ないブドウに桃の甘さと言えますが、これで冷たいスープを作れば飲食店の売りになると確信しています。

    なお、今回の北海道は素敵なお客様と遭遇することが重なりました。 まず、新千歳空港で帰りの便の時間待ちに函館ジェラートを食べていると、以前に鑑定したことがある看護師の方3人組と遭遇しました。

    そして飛行機へ乗っていると「お客様…。」と話しかけてくるので誰かと思えば、これまた以前鑑定したことのあるCAさんでした。 おまけに帰りの席はCAさんの前の席だったので、「久しぶりですね」と話をしていたら退屈しませんでした。

    注:看護師の方は広島~CAさんは北海道なので、普通は遭遇するはずが無いのに不思議な偶然でした。

    あなたは支笏湖へ、行ってみたいと思いますか?

    ♪サンキュッ (v^-^v)♪

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    倶多楽湖。

    おはようございます。 昨日も無事に北海道より帰ってきましたが、今回は自然の驚異と言うか自然界のエネルギーを感じることができました。 おまけにネタとなる出来事もあったのですが、ANA379便(岡山発→新千歳行き)が空港へ着陸した時のことです。

    滑走路へ着陸して空港の到着ゲートへ向かっていると、機長より「お客様が離席した為、飛行機を停止しました。」とアナウンスがありANA379便が滑走路上で緊急停止しました。 航空法により着席していないと動かしてはいけないのですが、その男性は荷物を持って前方の出口へダッシュしました。

    機内は騒然となりましたが、あっさりとCAさんに取り押さえられました。 仮に逮捕されても個人の勝手ですが、新千歳空港の滑走路が閉鎖されて日本中のダイヤを狂わせるなんて迷惑な男性です。 そういう私も邪でアホなことを考えたのですが、「もしもハイジャックなら、捕まえたら有名になれるかも?」と思いました。 (笑)

    今回は鑑定終了後に行ってみたい場所があったのでレンタカーで移動したのですが、私は霊視カウンセラーとなってからは一度も車を運転していません。 建設現場時代以来となる久しぶりの運転でしたが、北海道はJRより車で移動する方が楽だと分かりました。

    さて、どこへ行ったかと言えば「倶多楽湖(くったらこ)」なんですが、この湖は北海道南西部の白老郡白老町にあるカルデラ湖です。 支笏洞爺国立公園の特別区域に入っている湖で、地名の由来はアイヌ語の「クッタル・ウシ・トー(イタドリが生える湖)」からです。

    この倶多楽湖は白老町側からは道が無く、湖へ近づくには登別市から観光道路を行くしかありません。 登別温泉から東へ約2kmの位置にあり、直径約3kmのほぼ円形の湖で流入&流出する川が無いので水質はきわめて良いです。 環境省が発表する公共用水域水質測定では毎年湖沼部門の上位に名を連ねて度々1位になるほどで、透明度は摩周湖に次いで2位とされています。

    この倶多楽湖を形成した倶多楽火山は玄武岩~安山岩の成層火山体で、約8万年から4万5千年前までの期間に複数の火口で火砕流を伴う大規模な噴火を繰り返して、約4万年前までの活動で倶多楽湖を形成しました。 近年では約1900年前と約200年前に活動をしていたと考えられ、現在も湖の西側にある日和山は噴気活動を続けています。

    この倶多楽湖をグーグルアースなど衛星写真で見て頂くと円形の湖であることに加えて、噴火口跡の倶多楽湖南西から流れ出した溶岩が太平洋岸に蘭法華岬とポンアヨロ岬を形成したことが分かります。

    倶多楽湖は河川の流入や流出が無いのでプランクトンの量に乏しく、エゾサンショウウオ以外は生息していなかったのですが、1909年にヒメマスが移入されてからはヒメマスの養殖が行われています。

    倶多楽湖は白老町自体が利便性の良いポロト湖以外の観光に関しては余り積極的ではない為、どうしても洞爺湖の方が有名です。 登別温泉街から湖の西側へ行く観光道路がある程度なので、登別市に所属していると勘違いされていますが本当は白老町の所属です。

    白老町は小さな町なので予算も無いから湖を一周できる道路も作られず、西側に一部の観光道路があるくらいで知る人ぞ知ると言う秘境です。 この湖は雨や雪で水が増えて~太陽の熱などで水が蒸発して減ると言う、本当に自然環境のみで水かさが増減する湖です。

    このように人の手が入らないからこそ真のパワースポットになっているのですが、車が無いと行けないし~観光スポットも無いから行く人もいないので、深い青色の湖面が見たことも無い景色を醸し出していました。

    古(いにしえ)の昔より白老コタンのアイヌの方々が神の住む場所として崇められて、コタンより倶多楽湖を望むと天空に向かって電光が発せられる現象が起こるので、この現象は古来より神が昇天する時だと言われています。

    倶多楽湖の姿は山の中に自然のすり鉢状で巨大な円形が出来ているので、これは見た人しか分からないかもしれないのですが不思議な光景でした。 予算が無いことに加えて地元の人は誰も興味が無いことが、逆に環境保護となって神秘的なブルーを作り出して神聖なる神の湖が山奥に存在しています。

    私は倶多楽湖へ行ってから口では説明できない不思議な感覚があり、何故かは分からないけれどもう一度行ってみたい気持ちが一杯です。

    もしも倶多楽湖へ行ってみたいと言う声が多く寄せられるなら、倶多楽湖へ行くツアーを開催してもいいと思えるくらいです。 この感覚は感じられる人と感じられない人がいるとは思いますが、本物のパワースポットへ行くことで得る感覚は無駄ではありません。

    明治神宮の清正の井戸みたいな誰でも行けるなんちゃってパワースポットではなく、簡単には行けない神が住む湖はあなたの中にある夢のスイッチを入れてくれるかもしれません。

    あなたは神が住む倶多楽湖へ、行ってみたいと思いますか?

    w( ̄△ ̄;)wおおっ!

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