
おはようございます。 今日も元気で生きていられる、何も無いからつまらないのではなく何も無いからこそ幸せで、病気や事故や怪我がないのは幸せなことに多くの人が気付かないのは勿体ない、平和こそ一番で平和とは退屈ではなく幸せなことです。
さて、平和な中で生きていると退屈してしまうのか、人はお涙頂戴みたいなことにむやみやたらと感動してしまい、それを否定する人がいたら総攻撃する世の中ですが、今はネットの時代だからSNSでも自分は匿名で陰に隠れて総攻撃、それを正義だから正しいとすら思ってしまう時代です。
例えば、昨年の8月に山口県周防大島町で子どもが行方不明になって、そのこどもを発見した人が英雄視されています。 それ自体は素晴らしいことですし、色々な所へボランティアへ行っているのは誰も否定できない素晴らしいことです。
しかし、異常に持ち上げたり凄いことだと報道しまくるのには違和感で、世間の人は意外と普段からボランティアや寄付をしていないことがよくわかります。
何故なら、ボランティアをしている人はこの人だけではないのに、この人だけがスーパーボランティアだと持ち上げている、そして世間の人たちもこの人は凄いと思っているけれど、マスコミが報道した内容を鵜呑みにしているだけで、本当にボランティアをしている人たちのことを分かっていません。
西日本の水害で倉敷市真備町が大変なことになりましたが、そこへボランティアに行かれた方の感想と言うか御意見として、「あの人だけがスーパーボランティアじゃなくて他にもたくさんいる」と言う体験談を語られています。
まさにその通りで、日本中にスーパーボランティアはたくさんいるのに、あの人だけが凄いことをしているように報道するマスコミはだめだし、その報道を見てあの人だけが凄いと思う世間もどうかと思います。
更に普段からボランティアをしていない人や思いやりの無い人が取る行動は同じで、ボランティアへ行った時や誰かの力になった時に、相手が御礼をしたいのを断る人は相手を傷付ける人です。
ここで大抵の人は、「えっ? お礼は受け取らないのが当たり前、ボランティアだから。」と言うのは大間違い、相手が御礼をしたいと言うのを無下に断るのは相手の気持ちを傷付ける行為、被災地で片付けのお手伝いをした後でその家の人が千円くれたとしたら、有り難く受け取るのが礼儀です。
そして次に行く時に、その千円でジュースやお菓子など何かを買って持っていく、そういうのが気持ちの循環でもあります。
何かをお手伝いした時にお金を受け取れない人は、そのお金を自分の物だと思っている証拠、その場では受け取って御礼を言って相手の気持ちを満足させる、そして頂いたお金をどこかへ寄付したらいいだけ、この考え方が出来ていない人は普段は寄付やボランティアをしていないことがよくわかります。
私は寄付をしているからよくわかりますが、お金とは自分を通り過ぎていくだけで自分の所に留めておくものではなく、相手が謝礼をするなら気持ちよく頂いて御礼を言う、そして頂いたお金は寄付するなり、次に来る時に手土産を買うなり、相手の気持ちを害せずにやる方法はいくらでもあります。
あなたの子ども(家族など)が行方不明になった時、それを見つけて助け出してくれた人がいたなら、普通の人ならお礼をしたいと思う筈です。 それなのにお礼は受け取らないし、お茶も水も一切拒否、とにかくいらないの一点張りだったら、あなたのお礼をしたいと言う気持ちはどうなるかを考えて欲しいのです。
だから世間ではスーパーボランティアと評価していますが、私は最初から違和感があって凄い人とは思うけれど、助けた分だけ人を傷付けているからプラマイゼロどころかマイナスになってしまうのは必然です。
それに素敵なお客様方にはボランティアをしている人が多いし、寄付をしている人も多いので、あの人に違和感を感じる人はかなり多いのですが、いくら正論を言っても世間ではボランティアをしていないから話が通じない、お礼を受け取ることが相手の気持ちを傷付けないと言う真実が理解できないのです。
こちらが請求していないのに相手が自発的にお礼をしようとしたら、本当にボランティアをしている人なら断らずに受け取る、そして頂いた御礼で次に来る時にお土産(お礼)を持ってきます。 そして二度と行かない場所ならどこかへ寄付をする、それができてこそ人の心も救える本当のスーパーボランティアです。
マスコミも世間の人も礼儀を誤解していますが、自分としては善意のつもりでしていても、相手は労働をして貰っていることへの心苦しさもあります。 だから申し訳ないと言う気持ちから労働に対する対価を少しでも払いたいと思いますが、まともな人ならして貰うだけでいると苦しくなるからです。
そのお礼をしたいと言う良心の呵責を減らす好意を踏みにじるのは、どう考えても良いこととは言えません。 相手の好意を完全に断るとは相手の心を傷付けること、こうやって説明したらどれだけ相手に失礼なことがよく分かる筈です。
お金を支払う→受け取るが汚い行いだと思っているなら大きな間違い、せっかくの相手の好意を無下にするのは気の毒ですし、そのお金を自分のモノと考える方が卑しく汚い考え方で、お金を受け取る=自分のモノと言う人は真のボランティアとは違います。
日本では一度目はお礼を断るけれど完全否定ではなく、申し訳ないので受け取れませんと一度は言うけれど、二回目に言われたら「分りました、そこまで言われるなら有り難く頂きます。」と受け取るのが真の礼儀です。
せっかくの相手の気持ちを全否定して受け取らない、それは相手の気持ちを傷付けていることに気付かない人がスーパーボランティアなんて、持ち上げる方がどうかしていますが分からない人は永久に分からない話、だから家族から尊敬されないままになります。
ボランティアに行って相手がお礼をしたいと申し出たなら受け取る、そこに相手の気持ちがあるのですから受け取って心を軽くしてあげる、そして次に行く時に何か持っていく資金にするか、どこかへ寄付したら受け取ったけれど通過しただけになります。
断るのは相手の好意を踏みにじる行為である、それに気付けないうちはボランティアをしてもプラスよりマイナスの方が大きいかもしれません。 マスコミや世間は相手の心を傷付けない、それが出来てこそ真のボランティアであることにいつ気付くのかなと思います。
あなたは相手の思い、受け止めていますか?
(*^-^)ニコ
東京鑑定:現在は7月の予約を受付中で、4~6月は一杯になりました。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m
予約専用電話:090-4690-4618
予約受付日時:火・水・木の夜8~10時
東日本の方は東京事務所へ、
西日本の方は倉敷事務所へ、
予約をお入れ下さいませ。
鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。
霊視カウンセリング 山崎かずみ
倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
東京事務所:東京都港区赤坂9-1-7
さて、平和な中で生きていると退屈してしまうのか、人はお涙頂戴みたいなことにむやみやたらと感動してしまい、それを否定する人がいたら総攻撃する世の中ですが、今はネットの時代だからSNSでも自分は匿名で陰に隠れて総攻撃、それを正義だから正しいとすら思ってしまう時代です。
例えば、昨年の8月に山口県周防大島町で子どもが行方不明になって、そのこどもを発見した人が英雄視されています。 それ自体は素晴らしいことですし、色々な所へボランティアへ行っているのは誰も否定できない素晴らしいことです。
しかし、異常に持ち上げたり凄いことだと報道しまくるのには違和感で、世間の人は意外と普段からボランティアや寄付をしていないことがよくわかります。
何故なら、ボランティアをしている人はこの人だけではないのに、この人だけがスーパーボランティアだと持ち上げている、そして世間の人たちもこの人は凄いと思っているけれど、マスコミが報道した内容を鵜呑みにしているだけで、本当にボランティアをしている人たちのことを分かっていません。
西日本の水害で倉敷市真備町が大変なことになりましたが、そこへボランティアに行かれた方の感想と言うか御意見として、「あの人だけがスーパーボランティアじゃなくて他にもたくさんいる」と言う体験談を語られています。
まさにその通りで、日本中にスーパーボランティアはたくさんいるのに、あの人だけが凄いことをしているように報道するマスコミはだめだし、その報道を見てあの人だけが凄いと思う世間もどうかと思います。
更に普段からボランティアをしていない人や思いやりの無い人が取る行動は同じで、ボランティアへ行った時や誰かの力になった時に、相手が御礼をしたいのを断る人は相手を傷付ける人です。
ここで大抵の人は、「えっ? お礼は受け取らないのが当たり前、ボランティアだから。」と言うのは大間違い、相手が御礼をしたいと言うのを無下に断るのは相手の気持ちを傷付ける行為、被災地で片付けのお手伝いをした後でその家の人が千円くれたとしたら、有り難く受け取るのが礼儀です。
そして次に行く時に、その千円でジュースやお菓子など何かを買って持っていく、そういうのが気持ちの循環でもあります。
何かをお手伝いした時にお金を受け取れない人は、そのお金を自分の物だと思っている証拠、その場では受け取って御礼を言って相手の気持ちを満足させる、そして頂いたお金をどこかへ寄付したらいいだけ、この考え方が出来ていない人は普段は寄付やボランティアをしていないことがよくわかります。
私は寄付をしているからよくわかりますが、お金とは自分を通り過ぎていくだけで自分の所に留めておくものではなく、相手が謝礼をするなら気持ちよく頂いて御礼を言う、そして頂いたお金は寄付するなり、次に来る時に手土産を買うなり、相手の気持ちを害せずにやる方法はいくらでもあります。
あなたの子ども(家族など)が行方不明になった時、それを見つけて助け出してくれた人がいたなら、普通の人ならお礼をしたいと思う筈です。 それなのにお礼は受け取らないし、お茶も水も一切拒否、とにかくいらないの一点張りだったら、あなたのお礼をしたいと言う気持ちはどうなるかを考えて欲しいのです。
だから世間ではスーパーボランティアと評価していますが、私は最初から違和感があって凄い人とは思うけれど、助けた分だけ人を傷付けているからプラマイゼロどころかマイナスになってしまうのは必然です。
それに素敵なお客様方にはボランティアをしている人が多いし、寄付をしている人も多いので、あの人に違和感を感じる人はかなり多いのですが、いくら正論を言っても世間ではボランティアをしていないから話が通じない、お礼を受け取ることが相手の気持ちを傷付けないと言う真実が理解できないのです。
こちらが請求していないのに相手が自発的にお礼をしようとしたら、本当にボランティアをしている人なら断らずに受け取る、そして頂いた御礼で次に来る時にお土産(お礼)を持ってきます。 そして二度と行かない場所ならどこかへ寄付をする、それができてこそ人の心も救える本当のスーパーボランティアです。
マスコミも世間の人も礼儀を誤解していますが、自分としては善意のつもりでしていても、相手は労働をして貰っていることへの心苦しさもあります。 だから申し訳ないと言う気持ちから労働に対する対価を少しでも払いたいと思いますが、まともな人ならして貰うだけでいると苦しくなるからです。
そのお礼をしたいと言う良心の呵責を減らす好意を踏みにじるのは、どう考えても良いこととは言えません。 相手の好意を完全に断るとは相手の心を傷付けること、こうやって説明したらどれだけ相手に失礼なことがよく分かる筈です。
お金を支払う→受け取るが汚い行いだと思っているなら大きな間違い、せっかくの相手の好意を無下にするのは気の毒ですし、そのお金を自分のモノと考える方が卑しく汚い考え方で、お金を受け取る=自分のモノと言う人は真のボランティアとは違います。
日本では一度目はお礼を断るけれど完全否定ではなく、申し訳ないので受け取れませんと一度は言うけれど、二回目に言われたら「分りました、そこまで言われるなら有り難く頂きます。」と受け取るのが真の礼儀です。
せっかくの相手の気持ちを全否定して受け取らない、それは相手の気持ちを傷付けていることに気付かない人がスーパーボランティアなんて、持ち上げる方がどうかしていますが分からない人は永久に分からない話、だから家族から尊敬されないままになります。
ボランティアに行って相手がお礼をしたいと申し出たなら受け取る、そこに相手の気持ちがあるのですから受け取って心を軽くしてあげる、そして次に行く時に何か持っていく資金にするか、どこかへ寄付したら受け取ったけれど通過しただけになります。
断るのは相手の好意を踏みにじる行為である、それに気付けないうちはボランティアをしてもプラスよりマイナスの方が大きいかもしれません。 マスコミや世間は相手の心を傷付けない、それが出来てこそ真のボランティアであることにいつ気付くのかなと思います。
あなたは相手の思い、受け止めていますか?
(*^-^)ニコ
東京鑑定:現在は7月の予約を受付中で、4~6月は一杯になりました。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m
予約専用電話:090-4690-4618
予約受付日時:火・水・木の夜8~10時
東日本の方は東京事務所へ、
西日本の方は倉敷事務所へ、
予約をお入れ下さいませ。
鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。
霊視カウンセリング 山崎かずみ
倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
東京事務所:東京都港区赤坂9-1-7

